ゆうさんの自転車/オカリナ・ブログ

飛田雄一の個人的なブログ、オカリナ、登山、自転車のことなどを書こうかな・・・

ジパング倶楽部の旅-身延線、小淵沢、そして諏訪湖 

2022-10-12 19:55:03 | コロナ自粛エッセイ
コロナ自粛エッセイ<番外編>(そのⅣ)
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ジパング倶楽部の旅
見延線、小淵沢、そして諏訪湖  
飛田雄一 HIDA Yuichi 
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 10月4日(火、2022年)、ジパング倶楽部の旅にでた。コロナ下、久しぶりだ。ここ2年間は会費だけを払って、一度も利用してないのではないかと思う。
 八ヶ岳に田口重彦牧師を訪ねる旅だ。神戸から私、大阪からYWCAの鹿野さんと大塚さん。お二人は、広島女学院高校のときに、流川教会の田口重彦伝道師にお世話になったというのだ。3年前にミニミニ同窓会で田口さんを訪ね、今回また訪ねることになったというのである。それを聞いた私は、同行させてもらうことにした。
 田口さんは、88歳。私が幼稚園の時代にお世話になった。祖父(鈴木浩二)が牧師をしていた神戸教会に、当時同志社大学神学部の学生だった田口さんが実習生として来ていたのだ。当時の私の家は、石井幼稚園の中。そこは神戸教会の石井伝道所でもあった。そこに、実習生の田口さんが来ていたのである。私は「雄一」、「ゆうちゃん」と呼ばれていた。
 その後、牧師さんとしては朝鮮問題に関心の深い先輩として、1970年代に岩国の教会を訪ねたことがある。『朝鮮の民話』のソノシート(これが分かる人は相当?だ)付きの絵本をいただいた。それをテキストにむくげの会の講座を開いていたこともある(と思う)。


 「青春18きっぷの旅」派の私は、ほんとうはそれで行きたいところだ。が、青春18きっぷの時期ではない。仕方なくジパング倶楽部で行くことにした。
 ジパング倶楽部、ここには性差別がある。女性は60歳から、男性は65歳から加入できるというのである。ひどい。夫婦、またはカップルであればどちらか一方がその条件を満たしていればOKともなっている。このカップルには、要住民票などと言わないのはいいことだ。私は、連れ合いが加入ののち52歳から会員となっている。最年少の男性会員であったかもしれない?。3割引きは大きい。
 集合場所は小淵沢。直線的にいくのはつまらないので、身延線経由にした。
 チケットを買いにいった。乗車券が往復ではないので少々ややこしい。できれは、神戸、名古屋、静岡、身延、甲府、小淵沢、塩尻、名古屋、神戸の、すっきりとした一枚のチケットが欲しかった。が、だめらしい。渡された乗車券は、(1)神戸、名古屋、静岡、身延、甲府、小淵沢、塩尻、金山(名古屋)と(2)名古屋、神戸だ。最近の朝日新聞に「1万キロJR一筆書き切符」の記事があって興味深く読んだが、交錯する区間があると別の切符になるようだ。それに、新幹線2枚、身延線特急券1枚、中央線特急券1枚、計6枚となった。


(左:6枚の切符/中:名古屋で通過証明をしてもらった2枚の切符/右:愛用の時刻表、ちょっと古い・・・)

 そして、パソコンと時刻表。ジパング倶楽部では新幹線のぞみ号に乗れないことも考慮しなければならない。正確には乗れないではなくて、割引(3割引き)がきかないということだけだ。
 ちなみに青春18きっぷ的に小淵沢まで行ったとすると、以下のようになる。
 六甲道9:05、米原11:00、大垣11:41、豊橋13:23、浜松14:10、静岡15:24、富士16:20、甲府19:55、小淵沢20:34。11時間半。だいぶ時間がかかる。富士16:20から甲府19:55の身延線に時間がかかるようだ。でも、魅力的だ。


 9:00、六甲道からスタートした。快速電車で新大阪。新大阪からひかり502号9:29で静岡11:37。ジパング倶楽部なのでのぞみには乗らない。静岡11:45からは「ふじかわ」5号で甲府14:03、身延線経由だ。こんな特急があるのだ。途中、富士12:14、身延14:03を通過する。そして甲府14:08から普通で小淵沢15:04、約3時間半だ。トータルで8時間、けっこうな時間だ。先月、大学の同級生・伊藤一幸を訪ねる「青春18きっぷの旅」での神戸、宮田(長野県、飯田線)が10時間だから、それに匹敵?する。新幹線、特急をつかっても8時間かかるのだ。距離は439.5キロ、やはり私は「鉄ちゃん」だ。私は写真の「撮り鉄」ではなく「乗り鉄」だ。でも少しは写真を撮った。
 新幹線は久しぶりだ。いつ乗ったのだろうか。コロナ下、2~3回は乗ったような気がするがどこへ行ったのか覚えていない。おそらく東京だろう。むかし、朝早くからの東京出張のとき、新神戸駅で、習慣で?ビールを買ってしまったことがある。そういえば周りの人にじろじろと見られていた?。習慣というのは恐ろしい。
 今回は、日経新聞だけを買う。最近、新聞を買うことが少なくなっていると思う。先日、大阪KCCでの「エキュメニカル運動史研究会」の講師・村山盛忠さんの『コプト社会でくらす』(1974、岩波新書)も持参した。出版社品切れになっていたので、アマゾン古本で買ったものだ。600円。活字が小さい。むかし、活字のポイントを測る下敷きのようなものがあったが、それを買って調べてみたくなった。そんな下敷きはもう売っていないだろうか。アマゾンで調べてみよう。おそらくこの本は9ポイントだと思う。
 まずは新聞を読む。最後の面に「西洋人の疎開、軽井沢の記憶―第2次大戦中に1500人移住、過酷でも希望失わぬ姿見つめ直す」(高川邦子)の記事があった。日経のこの文化面は面白い。今回の記事は普通の記事だが、植木職人、石の関係、蝶を指にとめた写真を写す人、口笛、ドジョウすくい名人など、編集者がよくこんな人物をさがしてくるなと感心している。
 私は、『<資料集>アジア・太平洋戦争下の「敵国」民間人抑留―神戸の場合―』(2022.4、神戸学生青年センター出版部、660円、アマゾン新本で購入可)を出したので特に関心があった。買いたてのアシスト自転車で、再度山中の抑留所発見のために走り回ったのだ。結論を書いてしまうとその冊子が売れないかもしれないが、その抑留所跡にはまだ到達できていない。
 新幹線のとなりの3人組のおばさんは、よくしゃべっている。悪い感じではない。家庭菜園での白菜栽培の話などもしている。すぐに、その中のひとりがサンドイッチを食べだした。そしてまたしゃべる。11時半には弁当を食べようなどとも話している。なのに、そのおばさんも含めて3人は、11時には弁当を食べ始めた。けっこう大きな立派弁当だ。中身までは見えない。


 岐阜あたから、KENWOODウオークマンで聞く。ウオークマンはソニーの製品なので、表現がおかしいが分かりやすいのでこうしておく。この品物も今や製造停止で、アマゾンで中古新品?を買った。優れものだ。3代目だ。また使いつぶす可能性があるので、今のうちに4代目を買うつもりだ。
 そのKENWOODには、落語CD 200枚、朗読100枚、オカリナ関係 100枚、韓国語関係50枚、一般音楽200枚ぐらいが入っている。落語、朗読は、神戸市内のTSUTAYAにあるものは、ほぼ全て入っている。私の宝物だ。
 「詩歌朗読」というのを聴いてみた。なかなかいい。以下が入っている。

 雨ニモマケズ、開墾、初恋、大漁、秋刀魚の歌、少年の日、花のある杜、落葉松、失はれたるモナ・リザ、親の家、君死にたまふことなかれ、乳母車、赤光、冬が来た、春と修羅、稲作挿話、小景異情より、こほろぎのうた、秋の祈、邪宗門扉銘、石竹の思ひ出、秋風の歌、あらたま、水辺月夜の歌、旅に立つ、烏、湖上、一点鐘二点鐘、死にたまふ母、私と小鳥と鈴と、接吻の時、道程、レモン哀歌、初めて「カラマゾフ兄弟」を読んだ晩のこと、千曲川旅情の歌、春は来ぬ、おかる勘平、ひとり寝、あどけない話。

 けっこう知っているフレーズがでてきる。こういう流れでのフレーズだったのかと勉強になった。旅は勉強なのだ? 「さんま苦いか塩っぱいか」も、ちゃんと詩の一部だったのだ。
 名古屋をまえにして私もお腹がへってサンドイッチを食べた。静岡で買った一個260円のサンドイッチ2個。ボリュームがあった。
 静岡11:45から「ふじかわ5号」に乗る。そのまま身延線に入り、甲府まで行く。
 富士12:14から身延線に入る。列車の方向が変わる。けっこう登っていく感じだ。ここで山と高原地図33『日本アルプス総図』(昭文社、15万分の1、2015年版)を出す。125万分の1、愛用している登山地図だ。身延線では、右に富士山、左に南アルプスが見えるはずだ。が、天気がもうひとつ、近くの山しか見えない。もうひとつ山と高原地図33『八ヶ岳 蓼科・美ヶ原・霧ケ峰』(同、5万分の1、2022年版)もだす。あれ、どちらも「33」だ。これも気になるが先にすすむ。


 特急だがスピードはでない。山間をぬうように走るので、しかたない。富士川ぞいを走る。単線、ここでまた時刻表を出す。追い越し、すれちがいなどをチェックするのだ。完全に乗り鉄である。
 身延13:08。なんとなく、来た、という感じだ。また、『日本アルプス総図』をひろげる。下部温泉13:21、この東に椹島(さわらじま)がある。名前を憶えている。そしてそこから西に、南アルプスの赤石岳3121M。登ったはずだか、いつのことだか、ひょっとして登りたかっただけなのか、記憶が定かでない。
 その後も、すれちがい列車のあるたびに時刻表で確認して、安心する。村山先生の本がなかなか進まない。


(左:身延線・下部温泉駅でのすれちがい/中:小淵沢駅からの南アルプス/右:同、八が岳連峰)

 13:38、鰍(かじか)沢口。ここで普通列車を追い越す。鰍は、サンマのことではないのか? まあ、そんなことは、どうでもいい。
 13:47十島(とおしま)。ここから、八ケ岳山岳地図にでてくる。あとは、この地図を主に見る。
 内船13:55で、甲府から来た「ふじかわ8号」とすれちがう。この列車は、甲府12:37、富士14:21、時刻表どおり。もう完全に鉄ちゃんだ。忙しい。KENMOODを聴く時間もない。


 甲府14:03。身延線を走破したという達成感がある。そして、普通列車で小淵沢へ。中央線の新宿発「あずさ」があるが乗らない。そして、小淵沢15:04。まあまあの天気。駅の展望台に登った。南アルプス、八ケ岳が見渡せる。少し雲がかかっているがいい景色だ。360度、動画をスマホで撮った。みなさんにここでお見せできないのが残念だ。Facebookにはアップしておこうと思う。
 待ち合わせは3時~4時、駅から5分の「泉園」。グループリーダーの鹿野さんが予約してくれた。線路を地下道でくぐるとあるが、その地下道入口が分かりにくい。通りがかりの高校生に聞いてももう一つの返答。ウロウロしていると線路もむこうから鹿野さんの声が聞こえた。そして、合流した。
 さっそくコーヒーを飲みながら懇談。田口さん、関西から鹿野さん、大塚さん、飛田。そして北杜市で田口さんのご近所にお住まいの寺島昭二牧師と奥さま・順子さんの計6名。私は、田口さん、鹿野さん以外は初対面だ。寺島さんは、センターに古本を毎年送ってくださっていると聞いて恐縮。ノーマークだった。
 寺島昭二さんは80歳。お元気で、歯はすべて自分のものだという。うらやましい。魚を骨ごと食べる。ますます、うらやましい。
 山にも登られる。南アルプスの山もよくご存じだ。北岳が気になっている私に、鋸山の東に頂上だけが見えているのが北岳だと教えてくれた。
 翌日のスケジュールの打ち合わせをして、寺島夫妻はご自宅へ、4名は宿で夕食。その日、客は私たちだけで、贅沢な夕食だった。寺島さん差し入れのワイン「シャンモリ山梨/甲州」もいただいた。おいしかった。
 瓶に説明がある。パソコンでスキャンしようとして失敗した。なので、写真をはりつけておく。「シャンモリ」て、なんだ? フランスの地名か?。でも、先に進む。


(寺島さんからいただいたワイン/同、ラベル/翌日、小淵沢道の駅で夕食、プラス飛田カメラマンで計7名)


 田口さんと同室。時間は十分ある。50年間のつもる話を、たくさんした。
 つい1週間前、田口さんは、米寿のお祝いで飯盛山(めしもりやま)1595Mを仲間8名と登山した。これからもハイキングはするが高い山はこれが最後とするとのことだ。
 毎年の健康診断では、血液検査がすべて基準内というから驚きだ。私は、尿酸(痛風)ともう1、2ケ所ひっかかる。ただ、緑内障が進行して車の運転はしんどいそうだ。家族からは、夜の運転はしない、知らないところには行かないなど10カ条の約束をさせられているとのことだ。
 今回は小淵沢まで、自宅から寺島さんの車に先導してもらってきたとのこと。その後のドライブは私が担当することになっている。私は2、3年ぶりの運転だが大丈夫だろう。最近は、ほんとに、時々レンタカーを運転する程度だが。
 20年ぐらい前、学生センターの車で電柱にぶつかった。急に老人が飛び出してきたのだ。老人には接触していない。修理に出したが、この車は修理の価値がない、と言われて廃車にした。その後、韓国からの客人らが来たらレンタカーを運転していた。年に1、2回だ。そのうち学生センターには車がないということが知れわたって、運転を依頼されることがなくなっていった。私はもともと運転がそれほど好きではないから都合がいい。


 その日の夕方、温泉に行くことになった。鹿の湯温泉だ。だいたい20分程度。寺島さんが温泉まで先導してくれた。帰路も分かるように指導があった。
 ゆっくり温泉にはいった。いい湯だった。午後6時、もうあたりは暗くなっている。山深い八ケ岳山麓は、神戸より暗くなるのが早い。ほかほかした体で帰路についた。
 小淵沢インターを過ぎて左に入り、閉店したレストラン「紬」の看板を過ぎたら右に回り、その後変な三差路を右に回ると宿・泉園につくのだ。
 が、着かない。つかないどころが迷走した。田舎は街灯がない、聞く人もいない、カーナビはない。困った。やっとガソリンスタンドがあった。泉園への行き方を聞いた。
 答えが、ない。口頭では説明できないというのだ。
 「この道を道なりに行くと小淵沢駅に行けます」、とだけ教えてくれた。行った。駅はあった。
 私は、車での帰還をあきらめた。車を駅の駐車場にとめ、明朝とりにくることにしようと思った。
 でも田口さんが、駅の北側にでる高架の道が分かるという。チャレンジすることにした。駅の北に回ることができた。だいたい宿の場所は分かる。が、また迷走した。心配した寺島さんが電話で教えようと言うが、まあ無理だろう。
 寺島さんが、「駅にもどって待っといて、案内しに行くから」。
 と、そのころ、私の記憶が、突如、よみがえった。その「変な三差路」が見えたのだ。進んでいった。往路で通った道より細いような気がする。でも、進んだ。あった。泉園にでた。温泉で温まった体がだいぶさめてしまった。お酒を飲んで、温まって寝た。




(朝の散歩、「泉園」付近、石屋/カラスを追い払うトビ/憲法9条を守れ/ステキな朝食)

 翌朝、宿の人は言っていた。
「カーナビのないころは、お客様をよく迎えにいった。でも、最近は、それも年に数回になっている」
 よく、うまくもどって来られたとほめてもらったが、特にうれしくはない。
 水曜日(10月5日)、メインの行事だ。寺島さんご夫婦とは、「浅川伯教・巧兄弟資料館」で待ち合わせだ。そこは、田口さん宅から約2キロ。問題はなかった。
 私は2度目の訪問だが、比奈田善彦館長の説明がとてもよかった。元北杜市の公務員で、この資料館設立にも関わられたという。勧められて昨年出版された漫画『評伝・浅川伯教と巧-十四冊の日記帳』も買った。この資料館ができるきっかけがその浅川巧の「日記帳」であったという。
 記念館は、以下のようにホームページにある。
「北杜市高根町出身の浅川兄弟は、日本統治下(1910-1945)の朝鮮半島で生活しましたが、朝鮮の人の立場で朝鮮を捉えようとした数少ない日本人でした。/この資料館は、朝鮮工芸の美に魅せられた浅川兄弟の人と業績を紹介し、日韓友好親善の情報発信地でありたいと願って2001(平成13)年に開館されました。/資料館には兄弟の足跡がわかる年譜やビデオ解説、ジオラマ、朝鮮青磁・白磁のほか、朝鮮陶磁研究家であり芸術家であった伯教が残した書や絵画の数々、巧が朝鮮の人々へのさまざまな想いを綴った日記など、貴重な資料が展示されています。」
 日記帳にまつわる館長のお話が特に興味深かったが省略する。その漫画の本などを読んでいただきたい。


(資料館設立のきっかけになった浅川巧の日記/同、その歴史/資料室前で)


 浅川記念館見学後、ランチは「おいしい学校」。今回の旅、ゆったりしたスケジュールでうれしい。
 その学校についた。が、水曜日は、お休みだった。そこから、アバンチュールが始まった。
 海岸寺経由で、清里・萌木の村のレストラン「ROCK」に行くことにした。
 地元をよく知る地元の寺島さんの先導で車は走る。私の運転する車があとを追う。
 道がだんだんと「ぽつんと一軒家」的な道になっていく。でも、ついていくしかない。だいぶいって、寺島さんが車を降りてきた。「この家には人がいるようなので道を聞く」とのこと。ますます「一軒家」状態だ。ここで、飛田がスマホグーグルで海岸寺をセットして、寺島さんの車に同乗の鹿野さんに預けた。が、ダメだったようだ。そして、さらにだいぶ行って大きな道にでた。


(おいしい学校はお休みでした/清里のROCK/この店は標高1234Mでした)

 海岸寺はあきらめて、ランチに向かうという。承服するしかない。(あとで、海岸寺をネットで調べたらとてもいい感じの寺だった。残念だ。寺島さんは完全アナログ派だった。)
 ROCKについた。緑にかこまれたすてきなレストランだ。おいしかった。


 昼食後、清里の「美し森(うつくしのもり)」に向かう。あいにくの天候で、雨がふったりやんだり。南アルプスもまったく見えない。
 ここで、山梨英和大学の大久保絹さんと合流する。田口さん、寺島さんをよく知る若い女性だ。彼女が登場する前には、私が最年少だったのに残念だ。
 大久保さんは、甲府から車を飛ばして1時間半、待ち合わせの美し森駐車場にさっそうと現れた。そしてここで、われわれのグループは、今回の最大・7人となった。
 雨がやんだので、20分ほど小高い丘に登った。天気がよければ富士山も見えるはず。


(美し森山頂/中:私のうしろに富士山が見える、はず/右:幻想的な風景、芸術的な写真?)

 私は清里にはけっこう来ている。学生センターも加盟している「キリスト教施設長会」に清里・清泉寮も加入している。年1回の施設長会や職員研修は持ち回りで開催されたが、学生センターより清泉寮の方が人気だ。私もそうだから仕方がない。私が施設長会会長をしているときにも職員研修会で清泉寮があった。最終日、私はさぼって赤岳2899Mに登った。登るつもりで、あるいは登るために清泉寮に来ていたのだ。10月中旬、元気に登った。鎖場もありだいぶ緊張した。山小屋についた。するとその日が営業の最終日だった。よかった。
 そのころは、がんがん元気に歩いていて、翌日、おそらく白駒の池までいった。台風のすぐあとで、たくさんの倒木を乗り越えて進んだ。最後、きれいな池に感動した。猫が両手両足を広げて仰向きになっている形だった。今回、地図を見、ガイドブックも調べたがどの池か分からなかった。また行きたいものだ。
 また、清里まで自転車を持っていき、太平洋までサイクリングしたことがある。2010年のことだ。JR最高峰(野辺山と清里の間1345M)から一泊二日で下った。そのときはアシスト自転車ではない。「ゆうさんの自転車/オカリナ・ブログ」を見直してみた。韮崎、甲府、身延を通過している。最後は新幹線・新富士駅、160キロのサイクリングだった、ようだ。


 美の森広場で、記念写真を撮ったり、私がリクエストに答えて?オカリナを吹いたりした。下山して、田口さん宅に向かった。コーヒーをごちそうになるのだ。
 着いた。が、田口宅のカギは、小淵沢の宿にあった。で、家に入れなかった。が、庭のアトリエ小屋にはカギがかかっていなかった。入った。田口さんの描いた絵がたくさんある。退職後、絵をはじめ、北杜市のシニア賞も受賞している。他のメンバーもカギ忘れのおかげでアトリエに初めて入れてよかったとのこと。
 でもやはりコーヒーをと、寺島宅へ。ここも始めてという人も多い。これもカギ忘れのおかげだ。コーヒーもケーキもおいしい。ますます話がはずむ。


 夕食は、小淵沢の道の駅「イタリアンレストラン・ロトンド 小淵沢」へ。寺島さんは、好んで狭い道を走るが、今回は、だいじょうぶ。最短距離で道の家についた。安心した。
 7人で、パスタとピザをたくさん食べた。
 そして、寺島さんの先導で、宿にもどった。ウイスキーがあったので?、それを飲んで寝た。


 6日(木)、今回の小淵沢訪問の最終日だ。私は別行動。田口さん、鹿野さん、大塚さんは、寺島さんご夫妻と甲府にでかけた。甲府城跡、恵林寺、山梨英和大学などを訪ねたとのこと。ほうとうも食べたという、私も食べたかった。
 山梨英和大学で洪伊杓教授と会ったとのこと。洪さんは延世大学での徐正敏さんのお弟子さんで、むくげの会とも親しい。洪さんは双子だ。むくげの会が夙川で花見をしたとき、ふたりとも日本にいて、歌を歌ってくれた。上手だ。むくげの会では、ふたりを「韓国のサイモンとガーファンクル」と呼んでいる。私は、今回は会えなかった。徐正敏さんは、明治学院大学教授。同志社大学への留学時代、学生センター朝鮮語講座の人気講師だった。
 私は、ひとり、更に諏訪湖で2泊するのだ。宿は、ユースホステル「ユーペン(遊遍)ハウス」。上諏訪と下諏訪の間にある。
 まずは、下諏訪へ。私の事前調査によると、下諏訪にアシストのレンタサイクルがあるのだ。町おこし事業の一環で、1時間100円と格安だ。ただし事前予約はできないとのこと。行った。OKだった。
 天気はもうひとつだが、ここまで来たら諏訪湖1周サイクリングをしなければならない。ヘルメットも手袋も持参している。「こんな天気なのに乗るのですか」という雰囲気を制して借りた。いい自転車だ。1周16キロ、普通に走れば1時間ほどだ。時計と反対回りに走り出した。
 雨が激しくなってきた。原田泰治美術館があった。入った。原田泰治は朝日新聞でなじみがある。
 絵本『とうちゃんのトンネル』のビデオ上映もあった。感動した。これは、実話だったのだ。
 1階では宮崎学写真展「アニマル黙示録―自然界からのメッセージ―」もあった。これも、すてきだった。カメラをかまえる熊の写真が最高だ。自動シャッターカメラで遊ぶ熊を、もうひとつの自動シャッタ―カメラで偶然に撮ったものだという。名カメラマンだ。いや、カメラウーマンかもしれない。


(諏訪湖1周、ゆうさんの雄姿/諏訪湖と言えばこれ?/原田泰治美術館の喫茶室にて)


(原田泰治さんとツーショット/1階では宮崎学写真展/下諏訪の諏訪神社秋宮)

 2階に諏訪湖を見渡せるすてきは喫茶室がある。ゆっくりしていたら、いつのまにか雨がやんでいた。そしてまた自転車にのった。残り半周、まわって下諏訪駅にもどった。レンタサイクルは5時までとのこと、時間ギリギリまで、うろうろした。諏訪大社(春宮、秋宮)などなど、下諏訪の街を制覇した。
 小さな町で、飲み屋が少ない。夕食/ビールが心配になってきた。サイクリング終盤で、飲み屋をさがしてはしりまわった。中国料理「宝華」をみつけた。自転車をかえしてからそこに入った。ぎょうざ、にんにくの茎いため、ビール。もっと食べたいが、ひとりではそんなに食べられない。
 タクシーでユースホステルに行った。源泉かけ流しの温泉もある。もちろん入って、またひとりでビールを飲んだ。このユースホステルには、もう1泊する。翌日、どこに行こうか、いろいろ構想をねった。
 朝からレンタサイクルで、もういちど諏訪湖1周、坂をのぼって霧ケ峰までいけないかな、スキーでいったことのある車山はどうかな、がんばって白樺湖まで行って1周もしたい。そのうち、寝てしまった。


 朝(金曜、10/7)、雨だ。けっこう降っている。サイクリングは、無理だ。
 レンタカーで、いろいろ回ろう。レンタカー店にたくさん電話した。連休前で車がないという。仲良くなった下諏訪観光案内所にも電話した。下諏訪のレンタカー店は3年前に撤退したとのこと。上諏訪の案内所にも電話をした。上諏訪も撤退している。岡谷に行けばあると聞いて、岡谷のレンタカーに予約した。どうせなら上諏訪駅にでて、そこから電車で岡谷に行こう。上諏訪方面のバスに乗った。
 上諏訪駅についた。アナウンスが流れている。韮崎あたりで倒木があり復旧の見込みは未定という。ふむ、岡谷に行けない。レンタカーをキャンセルした。バスで霧ケ峰に行こうと思った。が、土日しか走っていない。また上諏訪案内所で相談した。レンタカーの件で電話をしたとき、とても親切な感じのいいおねえさんがいたのだ。親身なっていろいろ考えてくれた。


(上諏訪観光案内所おすすめのタクシー、山に行ってもなにも見えないので次回にしました/そば「小坂」/そば「更科」)


(小坂のざるそば・大盛1000円/「小坂」に原田泰治の色紙/同、メニュー)

 「純喫茶のいい雰囲気の店があるが喫煙可です、禁煙の静かな喫茶店は駅内にあります」
 そこへ行った。ホームがよく見える。倒木により東京行きの「あずさ」が止まったままだ。いい気味だ? 山岳地図を復習したり、浅川伯教・巧兄弟の漫画を読んだり、KENMOODを聞いたりした。
 甲府駅を出発した鹿野さんからLINEが入る。電車が動かないとのこと。新宿からの「あずさ」も止まっているのだ。いい気味、ではない。復旧まで2時間ほどかかったようだ。
 となりのおじさんは3人組。よく話している。方言があり20%ぐらいしか分からない。その中のひとりはほとんど聞き取れない。分かったのは「住民カード」だけだった。楽しそうだった。
 昼になった。また案内所にいった。「そばが食べたいのですが、おすすめの店はありませんか?」
「小坂」と「更科」。場所も教えてくれた。「どちらも人気店でおいしい。入れる店にはいればいい」。小坂へ行った。満席で入れなかった。更科に行った。お休みだった。また小坂に行った。こんどは入れた。大盛のざるそばを食べた。おいしかった。
 午後、まだ雨。上諏訪駅前ビルの3階にある「すわっチャオ」に行った。市の施設だ。Wi-Fi完備、とても広くて4人用のテーブルが15台ほど。ユースホステルのWi-Fiはもうひとつだったので、ここでだいぶ作業をした。


 そして、夜はどこで食べて飲むか。観光案内所のお姉さんにまたたずねた。ユースホステルの近くにある「はつしま 下諏訪店」がいい、と。地元の店で、品数も多くておすすめだとのこと。やはり、ここにいかなければならない。ユースホステルへのバスの時間も教えてくれた。
 バスに乗りユースホステルで荷をほどいた(そんなたいそうなことはない)。そして、「はつしま」へ。が、諏訪湖岸のその店が、ない。そのあたりにはセブンイレブンと「南大門」がある。実は前日、南大門にでも行こうかなと考えていたのだ。
 「ハルツ下諏訪」という名前の店があったので、入って聞いてみた。どう考えてもこのあたりなのだ。「はつしま 下諏訪店ではないのでしょうか?」。同業者に別の店のことを聞くのはもうしわけない。
 「はいそうです。2年前に店名を変更したのです。」
 OK、入った。店のおすすめのハンバーグと豆腐の重ね焼きというのを注文した。この料理、ビールも必要だ。サラダも注文した。これ以上大きなものはないのではないか、というようなサラダボールに野菜をたくさん入れて持ってきた。そこから取り分けてくれるのだ。もうちょっと、というような顔をしたわけではないのに、たくさん入れてくれた。うれしい。


(左:ユースホステル近くのレストランメニュー/中:NHKのテレビ、よかったです/右:この店、青春18きっぷの旅・宮田村訪問のときに、伊藤一幸と同じく神戸大学農学部の後輩・関さんと飲みにいった店。上諏訪をウロウロしていたらありました)

 「ハルツ」からユースホステルまでほろ酔い気分で約5分。源泉かけ流しのお風呂に入って寝た。きょうも、客は私ひとりだ。ユースホステル的な学生センターを経営していた私としては、なんとなく身につまされた。
 親切な上諏訪観光案内所に後日、電話した。親切な案内のお礼と店名変更の件だ。私のことを覚えてくれていた。うれしい。また行こう・・・。

 翌8日(土)は最終日だ。下諏訪へのバスの時間8:42をユースホステルで確認した。荷物をもって宿にさよならした。そこは、感じのいいおばさんが一人でされている。770円の朝ごはんも心のこもったいいものだった。おいしかった。
 感謝をのべて出発しようとした。おばさんが、いう。「ごめん、きょうはお祭りがあってバスはお休みです。」
 ふむ、下諏訪まで約2キロだ。歩いていくことにした。その循環バスの道を歩くことにした。諏訪湖が見おろせる道だ。やっと天気も回復し、気持ちがいい。「祭りで通行止め」の看板もでている。
 ラッパの音が聞こえてきた。祭りだ。「津島神社御柱(おんばしら)祭」だ。この祭り、急坂を大きな柱を落とす怖そうな祭りだ。その柱をおのおのの小さな神社が献納するのか、そんな感じだった。ラッパとかけごえが聞こえる。50人ほどの若者が、御柱を引きずってくる。スマホで上手にビデオをとった。ここでは見せらないがFacebookにはりつけた。なかなかおもしろい。バス休止のおかげでいいものを見た。
 御柱を見送ってすこしいくと「一里塚」があった。なんと、日本橋からの甲州街道、最後の一里塚だ。あと1キロほどで中山道につながるとのこと。感動した。寺島さんは日本橋から下諏訪まで徒歩で甲州街道を歩いたという。びっくりした。


(津島神社の庵柱祭り/通行止です/甲州街道最後の「一里塚」)


(下諏訪のオルゴール館)

 「日本電産サンキョーオルゴール記念館・すわのね」に入った。とてもよかった。私は「オルゴール館」が好きだ。清里でも六甲でも行った。古い大きいのがすてきだ。ここの案内人も感じよく、「演奏」もすてきだった。「オルゴール」は和製英語で、海外では通じないことも初めてしった。オルゴールは英語でどういうかご存じかな???
 そして、なじみの下諏訪レンタサイクル店へ。またアシスト自転車を借りる。
 やっとの「サイクリング日和」だ。さっそく走りだす。もう一度の諏訪湖一周もいいが、山に登ることにした。諏訪神社秋宮から山に登る。ほとんど車の通らない道だ。アシスト自転車なので、ラクラクだ。快調に走る。いずみ池広場があると聞いていた。そこまで登ることにした。案外簡単についた。約30分。グランドゴルフをしている人がいる。更にのぼると蓼科高原まで行けそうな気がしたが、ここまでとした。


(いずみ池まで登りました/中:??/右:わたし、さむかったのです)

 あとは、下りだ。ペダルをこがなくなると寒い。持っている上着をぜんぶ着て下った。ジェットコースターのようだ。あっというまに、神社についた。自転車を返した。1時間で100円だった。申し訳ない。いずみ池まで登ったと言ったら、少しびっくりしてくれた。

 
(スマホYAMAPより。左:諏訪湖1周、最後湖の上を走っているのは、スマホの電池が切れたから?/右:いずみ公園まで登ったとき)


 荷物を受け取って駅まで歩いて行った。待合室で地元の商工会が弁当を売っているマツタケ弁当があった。1000円、買った。おいしかった。マツタケはあまり入っていなかった。
 そして、事件が起こった。
 12時半ごろ、余裕をもって改札をくぐった。例の複雑は周遊的チケットを機械に入れた。OKだった。
 下りホームにいくため陸橋を登った。そこに「ここから富士山が見えます」とある。天気がよくないので見えないが、この掲示を撮っておこうとポケットに手をいれた。スマホがない。しまった、トイレで忘れたか、改札をでてトイレに走った。ない。スマホがないと、たいへんだ。何がたいへんか考えたら、ほんとにたいへんだ。大きい荷物をかついで途方にくれた。もう一度ポケットをさがした。寒いので2枚着ていたもうひとつの上着のポケットに、スマホがあった。うれしかった。
 時間が迫っていた。下諏訪発12:42。ふたたび陸橋を越えなければならない。しんどい。列車が入ってきた。ベルが鳴る。あと10段というところで、声をだした。「まって!!」。運転手が待ってくれた。乗れた。ああ。
 高校生もけっこう乗っている。なにごともなかったかのように、車窓をながめた。前日より天気がよく、南アルプスが見えている。
 塩尻13:03。ここから「しなの12号」で名古屋だ。やっと、呼吸がととのった。72歳の「ゆうさん」、もう、急に階段を走るのはやめたほうがいい。塩尻駅に、高校時代のスキーでいつも買っていた釜めし弁当があった。買いたかったがもう食べられない。見るだけにした。
 「しなの」が入ってきた。乗った。指定席をとる必要もないと思っていたが、乗り継ぎの確認のために指定席をとっていた。いちおう、そこに座った。こんどは、男性1名、女性3名の登山グループといっしょだった。彼/彼女らは塩尻弁当を買っていた。うらやましい。おそらく雨でさんざんな登山だったでしょう、と聞きたかったがやめた。
 


(左:旅の必需品/中:愛用のKENEOODとイヤホン/右:お世話になった地図とジパング倶楽部会員証)


(岐阜まで戻るといい天気でした/塩尻で買いたかった弁当/下諏訪駅のマツタケ弁当)

 塩尻からの中央線、充実した旅もほぼおわり。眠たくなった。ちゃんと寝るべく?、残りのウイスキーをのんだ。すぐ寝てしまった。中央線の名物、「寝覚めの床がみえます」のアナウンスも聞こえなかった。なかったのかもしれない。
 『コプト社会で暮らす』(村山盛忠)も、KENWOODも、浅川兄弟の漫画も、手に(耳に)つかない。そのままだ。でもいいだろう。
 名古屋についた15:01。新幹線へ乗り換える。最大6枚あった切符。4枚が残っている。乗車券2枚(神戸―金山、名古屋―神戸)、しなの特急券、新幹線特急券の4枚だ。自動改札に4枚入れたら面白いだろうなと思ったが、トラブルになったら困るので駅員に見せた。だいぶ考えて、2枚を回収して、名古屋―神戸の乗車券と新幹線の特急券に「通過証明印」を押して渡してくれた。おそらく4枚の切符を機械にいれたら、機械がこれはなんだ、と混乱しただろう。
 新大阪から快速電車に乗り換えた。先の4人組の登山グループもまたいっしょだ。山の様子を質問したかったが、しなかった。
 六甲の山並みがみえてくる。六甲山も海から900Mなのでけっこう急峻な山だ。感心した。
 切符は、残り一枚。名古屋―神戸の乗車券だけだ。名古屋で通過証明の印があるが、機械的な入場記録が入っていない。これはなんだ、どこから乗ったんだ、と機械がいいそうだったが、入れてみた。しばらく待ったが。出てこなかった。何かひょうしぬけした。



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