ゆうさんの自転車/オカリナ・ブログ

飛田雄一の個人的なブログ、オカリナ、登山、自転車のことなどを書こうかな・・・

『極私的エッセイ―コロナと向き合いながら』エピローグ(あとがき)

2021-02-03 22:31:35 | コロナ自粛エッセイ
飛田雄一『極私的エッセイ―コロナと向き合いながら』(社会評論社、2021年2月)
以下、エピローグ(あとがき)です。(ひきつづき、アマゾンまたは飛田書店で発売中です。)

<エピローグ>
コロナ禍、なかなか収束しそうにない。昨年(二〇一九年)一二月に強制連行関連の集会に招かれて韓国に行って以降、海外にでていない。毎夏恒例の南京ツアーも中止となってしまった。ZOOMの集会も増え、それはそれなりに慣れてきたが、やはり対面にはかなわない。

「コロナ自粛」はやはり、いやだ。しかし自宅が六甲山麓にあるという地の利を生かして山に登ったり、家で少々迷惑なオカリナを吹いたりと楽しんでいる。そうこうしているうちに七〇歳になった。「むかし六〇のおじいさん」という歌があったが、七〇は立派なおじいさんか? いや、そんな気はまったくしない。でも、いろいろふりかえってみることも必要なことなのかなと考えた。

まず、ベ平連神戸時代のことを書いてみた。五〇年も前の話だ。そのことにがく然とするが、一方で当時のことをいろいろと思い出した。楽しく一挙に書いた。第二弾が「阪神淡路大震災」だ。書き出すとまたそれなりに記憶がよみがえってくる。というような具合にコロナ自粛エッセイがつづき、「その七・ゴドウィン裁判」まできた。

実は、「その一、ベ平連神戸」で書かなかったこと、書けなかったことがある。ここでそれを書いておこうと思う。

オウム真理教・早川紀代秀のことだ。私は一九六九年四月、学園闘争の時期に神戸大学農学部に入った。園芸農学科だったがその三〇数人のクラスのなかに早川もいた。そのクラスはみんなけっこう仲がよかった。クラス討論などもしたが、近くの鶴甲プール(冬はスケート場)に滑りにいったりもしていた。早川はそれほど活動的ではなかったが、クラス討論には参加していた。三〇数人のなかで彼は、中の下または下の上程度の意識派であったと思う。デモにも、最後列くらいで参加していたと思う。

オウム事件がマスコミで大きく報道された直後、立花隆が、「早川が革命をおこすためにオウム」に入ったと発言した。私はびっくりした。そんなことはない、と思った。その後、同級生にマスコミから問い合わせが殺到したが、同級生が一様に否定した。そのためだろうか、その立花説は消えていった。私は、入学時は彼と同級生だが、事情があって二年留年した。そのためその学年の同窓会名簿に私の名前がなく、マスコミからの電話がなかった。ただ一件、○○新聞が、「□□教授が「それなら飛田君に聞いたら」と言われたので」と電話がかかってきた。もちろん私も立花説を否定した。

ベ平連からゴドウィン裁判まで、「極私的」としたエッセイを書き続けてきたが、これで一段落とする。ネタがつきたということではないが、コロナ禍でも少しずつ活動が再開してきている。エッセイの作文、印刷、発送というサイクルをストップしなければ、日常生活にもどれないのだ。

出版を引き受けてくださった社会評論社の松田健二代表と製作を担当された中野多恵子さんに感謝し、私的体験を書いたこの本が、単に過去を回顧するためのものではなく、未来のために少しは役立つことを願っている。

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