秀山の俳句写真日記

日々の生活、旅先での出逢い・思いを俳句、写真、文にした徒然日記です

新緑の 苔寺しづか 経写す

2022年07月05日 12時39分22秒 | 旅行

新緑の 苔寺しづか 経写す
  
 

 鈴虫寺を後にし、5分ほど歩いて苔寺に行きました。このお寺は、今から1,300年前の奈良時代、聖武天皇の詔により、行基菩薩が開山し 、開山前の飛鳥時代には、苔寺があった土地に聖徳太子の別荘があったとのこと・・・。
 山門をくぐると新緑溢れる小径が写経会場のある本堂へと続いています。写経会場は広く、写経されている方が大勢居られるのに、もの音一つしません。
 写経は初めてです。赤絨毯が敷かれている大広間で漆黒の一人机の前に正座した時は、心身引き締まる思いがしました。渡された写経手本の「延命十句観音経(えんめいじっくかんのんきょう)」も初めて見るものです。意味は漢字から凡その推測がつきましたが、「常楽我浄」がよく理解できませんでした。
 でも、持参の筆ペンで心静かに書きました。心が落ち着きました・・・

以下、宿に戻って調べたWikipedia情報です:

観世音。南無仏。(かんぜおん。なむぶつ。)
与仏有因。与仏有縁。(よぶつういん。よぶつうえん。)
仏法僧縁。常楽我浄。(ぶっぽうそうえん。じょうらくがじょう。)
朝念観世音。暮念観世音。(ちょうねんかんぜおん。ぼねんかんぜおん)
念念従心起。念念不離心。(ねんねんじゅうしんき。ねんねんふりしん)

口語訳
観世音菩薩に帰依します。
我々は仏と因縁でつながっています。
三宝の縁によって、「常楽我浄」を悟ります。
朝にも夕べにも観世音菩薩を念じます。
観世音菩薩を念じる想いは我々の心より起こり、また観世音菩薩を念じ続けて心を離れません。

「常楽我浄」とは・・・
仏や涅槃の境涯は;
「常」・・・常住で永遠に不滅不変である
「楽」・・・人間の苦を離れたところに真の安楽がある
「我」・・・人間本位の自我を離れ、如来我(仏性)がある
「浄」・・・煩悩を離れ浄化された清浄な世界である

以下、WikiArc情報
 この世は無常・苦・無我・不浄であるのに常・楽・我・浄と思い誤ること、これを「四顛倒(してんどう)」というそうです。

 わが心を顧みれば、四顛倒の部分が多いと反省しています。


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