うさぎ歯科 blog NEXT

内外行動日記です。blog復帰しました^ ^

鎌倉殿の13人 第21回、あらすじ、感想、ネタバレ

2022-05-30 01:44:08 | 歴史
奥州藤原氏征伐
藤原泰衡を討ち取った元家臣を源頼朝が弾圧するところから始まります。源頼朝の無情ぶりはここでも健在でした。

梶原景時と他の御家人とのいざこざ
比企能員と北条時政のいざこざの表面化

これらは現時点ではフラグで源頼朝の死後にくっきりと浮かび上がってきます。このフラグの回収はまだまだ先の話です。

後白河法皇と北条時政のやり取りが少々。
まあこのへんはそれっぽくって感じですね。
後白河法皇は源頼朝を征夷大将軍に任命することはありませんでした。色々と官位を用意しましたが、任命されたと同時に全て辞退しています。
しかし、法皇が没した後、後鳥羽天皇の時に征夷大将軍に任命されます。この後鳥羽天皇が上皇となり、承久の乱へと発展するのは大河ドラマのクライマックスに近い回になると思います。ほぼ年末。
いわゆるラスボスってやつです。
まだまだ先の話ですが、ここでもフラグが立つわけです。このへんの話は次回で観れそうですね。


今回は八重が子供を助けて力尽きて川に流されてしまった話がありました。
八重姫は伊東祐親の娘で、源頼朝の最初の妻で子供の千鶴丸を設けています。大河ドラマでは後に北条義時の妻となっています。息子の金剛は後の三代目の執権となり、六波羅探題を設置した北条泰時であることから、史料によると北条泰時の母は阿波局と言われています。ここで阿波局についてですが、北条義時の妹にも阿波局がいます。こちらは源実朝の乳母をし、阿野全成(源頼朝の異母弟)に嫁ぐ。こちらの阿波局とは別の人物のようです。すると金剛の母の阿波局は八重と同一人物となり、色々と矛盾が出ています。このへんはドラマとして割り切って観るしかないのかと思います。
八重姫については生没不明のためこのような演出となったのでしょう。
また、八重と三浦吉村との会話で、『金剛と俺の娘は将来夫婦になればいい』というようなやり取りがあります。
北条泰時は正室に矢部禅尼(三浦吉村の娘)を迎えていたことから、ここでもフラグが発見できたわけです。相変わらず脚本家の演出が上手いと思いました。
生没不明の八重をここで退場させたのは、今後の歴史の流れを見ると納得できるかもしれません。
1192年3月 後白河法皇が崩御
1192年7月 源頼朝、征夷大将軍に任命
1192年9月 北条義時、姫の前を正室に迎える
、、
という流れです。
どうやら北条義時は比企一族の姫の前に恋をし、なかなか振り向いてもらえず、源頼朝が間を受け持ち正室と迎えた経緯があるようです。
このへんのお話は次回見れそうですね。
北条義時はこれからどんどん性格も変わっていく、、はずです。

あと、北条時政が伊豆に願成就院の本堂を奈良の運慶という僧に作らせた話もありました。ちょうど奥州藤原氏の征伐中に建てたそうです。阿弥陀如来の像の設置。薬師如来など、後にここは比企能員と北条時政の今後のやり取りに深く関わってきます。

次回で源頼朝はいよいよ征夷大将軍に任命されます。すると次に退場するのは弟の源範頼。
平家討伐の総大将です。
源頼朝は弟たちをとことん弾圧してしまったので、源氏が三代で滅んでしまう伏線がこういうところに出てくるのだと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉殿の13人 第20回のあらすじ、感想

2022-05-23 02:20:18 | 歴史
第20回を観ました。
源義経が京都から落ち延び、奥州藤原氏に匿われ、その生涯を終えるまでが描かれていました。
鎌倉に保護された静御前が鶴岡八幡宮で源頼朝の前で舞を行う話。
産まれた子供が男の子であったため生かしてもらえなかったこと、藤原秀衡が亡くなり泰衡によって義経が滅ぼされるとこらまで、見どころが満載でした。
守護と地頭の話などは割愛されていました。

もともとは、平家を1185年に壇ノ浦で滅ぼすまで、源氏と平家は戦の歴史があります。
厳密に言えば、それは室町時代にも続くのですが、元々は朝廷内の争いに摂関家の藤原氏が関与し、そこに武士による武力が登場したのが保元の乱(1156年)でしたので、約30年に渡り源氏と平家は争っていたことになります。

源義仲が京都に入り、平家を京から追い出した時、安徳天皇と共に三種の神器が持ち出されました。
壇ノ浦の戦いで源氏が勝利するも、三種の神器の剣(天叢雲剣)だけは見つからなかったと言われています。
このことと、源義経が京都で後白河法皇から検非違使の役についたことから鎌倉殿(源頼朝)の逆鱗に触れ、源義経は京都で襲撃に遭ったこともあり、後白河法皇から源頼朝を追討する院宣(法皇の命令)をもらいます。
一方鎌倉方は北条時政を使者に京都に送り、源義経追討の院宣を貰います。

鎌倉は源義経を探すということを名目に全国に守護と地頭を置きます。これによって鎌倉幕府は実質的に成立したと言われています。源義経は源九郎判官義経。
奥州藤原氏へ落ち延びるまで、忠臣の武蔵坊弁慶とのやりとりは有名で、判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉はこの頃に出来たとも言われています。

ようやく本編に入るわけですが、
奥州藤原氏の三代目当主の藤原秀衡が亡くなります。
奥州藤原氏は平泉に勢力を持ち三代続く有力な豪族です。
平泉については過去に記事を記載していたのでこちらを参考にされると良いです。
https://blog.goo.ne.jp/hiero8148/e/e16eb9a715d7ed29b8c87a79908d5488
平泉は坂上田村麻呂から始まり、安部氏、奥州藤原氏、伊達氏と引き継がれた歴史ある遺産なのです。

奥州藤原氏の三代目当主の藤原秀衡がこの時期に亡くなったことは源義経にとってはこの上無い不幸だったと言えるでしょう。
鎌倉側は四代目の藤原泰衡に働きかけ、泰衡は源義経を攻め滅ぼします。
この時武蔵坊弁慶は全身に矢を受け立位で死を迎えたなど色々な逸話があります。

その後鎌倉側は頼朝により、奥州追討軍を率いて平泉へと向かいます。
この頼朝による奥州追討軍に常陸入道念西(ひたちにゅうどうねんさい)なる者が参加していました。
この人物こそ、伊達氏の初代、朝宗(ともむね)です。400年後に有名な伊達政宗へ繋がるわけです。

次回かその次くらいでようやく源頼朝は征夷大将軍になると思われますが、これは後白河法皇が崩御された後の話になります。
鎌倉殿の13人は時代がすごく、えげつないくらい人間関係がドロドロしています。
昼ドラなんか比べものにならないくらいです。

源義経が最後に小四郎(義時)に文を渡し、梶原景時がこれを読むシーンは感慨深いものがありました。
梶原景時は源義経追討の総大将、つまり天敵です。こういう演出は流石だなと思って観ていました。
手紙の解説で、三浦氏(息子の三浦吉村)を味方につける話。
これらは全て今後の伏線となっていきます。

最後に義経の首が頼朝のところに届けられそれを見て泣く頼朝のシーンで終わりましたが
義経が自害するシーンは割愛されていました。
義経は落ち延びてチンギスハンになったなんて逸話まであるくらい。死のシーンをカットしたことで色々想像できますね。

そして主人公の北条義時、今のところは綺麗に描かれていますが、徐々に闇が出てきている感じがしました。
個人的には北条義時ほど悪賢い人間はいないと思っています。
初代将軍源頼朝の死後、二代将軍の源頼家。彼を全力で補佐していたのが梶原景時と比企能員、そして畠山重忠です。
彼らが失脚することで頼家は権力を失い失脚せざるを得なくなります。
最終的に鎌倉殿の13人のうち、何人が残っているのか?
その過程がとてもエグいので今後も楽しんで観てみようと思います。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする