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内外行動日記です。blog復帰しました^ ^

鎌倉殿の13人を観て(比企尼が出ていました)

2022-01-17 11:40:52 | 日記
昨日の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に
比企尼が出演されていました。
比企尼が時代劇にこうして出てきたのはおそらく初めてではないだろうか。
1979年に同じ時代を扱った大河ドラマ「草燃える」では比企一族こそ出演されていたが、比企尼の出演は無かったと記憶しています。

かつて比企青年会議所に所属していた時、この当時の比企の歴史を詳しく調べたことがありました。今回は記憶の中からほんのちょっとだけ記載してみます。
めっちゃマニアックなので読める人は少ないかと思いますがw。

埼玉県のちょうど真ん中あたり、東松山市を含め、1市7町1村で比企を形成していますが、比企という地名はこの平安時代〜鎌倉時代にあたり、比企一族がこの地を統治していたことが名前の由来と言われています。
比企尼はその比企一族の最初に出てくる方です。当時女性に名前は無かったため、このように呼ばれているのだと思います。
鎌倉殿の13人では頼朝の乳母をしていた比企尼が流罪になった源頼朝を15年間に渡り支援し続けたと紹介されていました。その息子として比企能員(ひきよしかず)が紹介されていましたが、私が調べた限り実際は母親ではなく叔母であったと認識しています。

しかも比企能員の役が佐藤二郎ってwww
完全に今回の大河ドラマは三谷幸喜監督が脚本で、面白おかしくなったコメディに近いものがありますが、比企一族は北条と権力争いができるくらい有力な御家人でした。実際に源頼朝は北条氏と繋がりが強かったですが、息子の二代将軍源頼家は比企能員の娘、若狹局(わかさのつぼね)を側室として迎え、長男の一幡を設けています。
比企能員は北条時政や政子、義時の陰謀で薬師如来のお祓いをするという儀式に呼び出され謀殺され、ついでに比企一族は義時によって滅ぼされています。
非業の死を遂げる比企能員が佐藤二郎さんだとどんな演じ方になるのか、ギャグにしかならないような予感もしますw

こうした記録は「吾妻鏡」という歴史書を見ると記載されています。
今回の大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」や以前の「草燃える」はおそらくは
吾妻鏡を原本として脚本を作っていると思われます。
しかし、この歴史書、○月○日、何々が起きた
と日記帳のように書かれているのですが、北条氏が編集した歴史書です。
だから都合の悪いことは曖昧に記載されています。
例を挙げれば二代将軍源頼家が死去した時、ただ、亡くなられたという知らせが届いたという記載に留まっています。
一方で、京都側のこの時代の歴史書「愚管抄(ぐかんしょう)」では頼家は暗殺されたと明確に記載されています。しかもかなり生々しく記載されています。
ここでは書けませんw。

吾妻鏡と愚管抄、二つの歴史書だけでなく、この比企郡にはゆかりのお寺がいくつか存在し、そこからも歴史を学ぶことができます。
東松山市の宗悟寺、岩殿観音
吉見町の吉見観音
川島町の金剛寺
ときがわ町の慈光寺
などこの地を訪れることで歴史書に記載の無かった
比企一族や当時の御家人の記録、動きが記載されています。

吾妻鏡のように歴史書は勝者によって都合よく書き換えられたものでもあり、その歴史書の矛盾点は各地を回ることでなんとなく、ぼんやりですけど垣間見ることができます。
だから歴史は教科書でも漫画でも資料でも、最初は何から入ってもいいと思いますが、詳しく勉強するときは必ず原本を見ることと、現地に向かうこと。
この二つが大切だと思います。

鎌倉殿の13人はコメディとして、
でもどれだけ歴史書や現地の部位を用いているかにも注目して、今後も視聴していこうと思います。
コメント
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