「くそ!死んでたまるかよ!この私がこんな所で!」
藁木は壁にある手すりを使って奥へ奥へと歩いていた。魂の流出は収まりつつある。腕の感覚も戻ってきていた。もう少し経てば身に着けているソウルフルも使用できるほど回復するだろう。だからひたすら奥に行って時間を稼がなければならなかった。
「勝つ。私は勝つんだ!どんな方法であろうと、どんなに罵られようと、どんな状況に陥られようとも最終的に勝てば良い」
藁木 吾朗は運に見放され続けた男である。彼は子供の頃から不運に見舞われた。五十音順でほぼ最後の彼は体育のテストで逆上がりを行った際、普段なら出来たものの、待ち時間でトイレに行きたくなり、我慢していた。やっと出番になった時、緊張でどうしようもなくなった。それでも少しの間だからとそのままテストに望んだ。逆上がりは殆どが成功した。勢い良く回ったつもりであったがひっくり返った状態のままで止まってしまった。だが、そのまま元に戻る状態は可能であった。が、彼はその状態で失禁してしまったのだ。垂れる小便は腹を伝い、顔にまで押し寄せた。テストだからみんなが注目している時であった。死にたかった。そしてその時に付けられたあだ名が『逆さ小便』略して『逆小(ぎゃくしょう)』であった。
他にも不幸な出来事が相次いだ。そのまま公立の中学に行けば嫌な友達がいると勉強して受験したのだが、当日、受験校に行く家の車が事故起こして間に合わなかったのだ。受験直前、『お前らバカとは違って私立に行くのだ』と同級生達を罵り続けたのだが、その同級生達が多い公立に行かざるを得なかった。当然、中学の時は皆から無視され続けた。そして、高校受験の時は、車はやめて電車にしたのだが、それがよくなかった。近くにいた中年の男が電車に酔って吐いたのだ。まともに浴びてしまい、洗い流したが精神的に動揺してしまい、見事に落ちた。専門学校に行かざるを得ずその頃にはぐれてしまっていた。
藁木は優れた能力を持っていた。にもそれを活かす事があまりにも出来なさすぎた。そんな不幸続きで決定的な出来事があった。
彼女が出来たのだが通り魔に刺されて死亡したのだ。犯人の動機は誰でもよかったという身勝手な理由であった。周辺の藁木を知る者は
「吾朗に不幸を移されたんだろ?」
「かわいそうに吾朗と付き合わなければ・・・」
矛先は犯人にではなく、藁木自身にも及んだ。それが耐えられなかった。
「何故だ!何故俺だけがこんな不幸にならなければならないんだ!誰か俺に恨みでもあるのかぁ!」
それがソウルド発動のきっかけであった。それから彼の心はこのように生きていた。
「俺は何をしてでものし上がる。他人を不幸にしようが関係ねぇ・・・他人なんか優れたものをを嫉妬するだけのゴミ同然なんだからな!途中なんかどうでもいい。最終的に笑えるのであれば俺は糞だって食う覚悟だ!」
そして、数年前のある日、間 要という人物に出会った。取り込むつもりであったが強さ、異質さ、怪しさに惹かれた。そしてこの病院の事を聞き、取り入っていった。計画が滞りなく進行するように主に個人主義でまとまりのない参加者達に対して積極的にコミュニケーションを図ることで順調に進ませる言わば潤滑油の役割を担っていた。いずれ、この計画全てを掌握してやろうと意気込んでいた。もし、世界的に認められれば一国の長以上の地位に立つ事も夢ではないと確信しているほどであった。
「必ず生き抜く・・・絶対にな!絶対になぁぁぁ!」
そういいながら藁木は歩き続けていた。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」
音が止んだ。隅っこでしゃがみ込み震えていた悠希はようやくレンジの電子音が聞こえなくなった事によって落ち着きを取り戻し始めていた。体中、汗まみれでびしょびしょである事に気付いた。
「気持ち悪い」
と、周囲を見回そうとした時に目の前が少し影となっていたので見上げてみるとそこにいたのはボロボロの元気であった。
「あ、アンタ!」
悠希は即座に元気のところに駆け寄った。
「バーカ・・・俺に全部、やらせてどうするんだよ・・・お前が乗り越えなくちゃよ・・・」
元気はフラフラのまま田町川が持っていたリモコンを使って音を消したのであった。
「そ、そんな事言ったってダメなものはダメなんだよ。だって私は強くないんだから!」
「おかげで俺はこの様だ・・・もうロクに動けねぇ・・・」
「しっかりしてよ!頑張ればまだ!」
「キツイ事言うなよなぁ・・・俺は、もうやることはやったんだ・・・後は、お前がここと資料室のものを燃やすだけだ。1人でも出来るだろ?」
元気は諦めの目をしていた。それを奮い立たせるために悠希は言った。
「わ、私とセックスするんじゃなかったの?」
元気は一瞬、目を丸くして優しい目をした。
「へ・・・そういう一発ってのはここぞって時に取っておくもんだ。今の感情を信じるな。お前は今ボロボロの俺を見てただ、気分が高揚しているだけだ。落ち着けよ」
「私は本気だよ!だから!」
「わ、分かったよ・・・もらえるものはもらっとかんとな・・・据え膳食わぬは・・・ウッ!」
悠希は元気の肩を担いだ。元気は顔を歪ませた。
「い、いてぇ・・・何て酷い事しやがる・・・そっとしておけよなぁ・・・」
「約束は守ってもらうよ!」
そのまま二人はゆっくりと歩き出した。時折、顔を歪ませる元気に声をかけながら
一道は奥へと突き進む。
「はぁ・・・はぁ・・・」
細い一本道。ここで集団に襲われるようなら疲労した一道に勝ち目はない。それでも良いと思った。自分にしては良くやったと言う満足感があった。だが、彼にとって敵になるような人物は現れずそのまま歩き続ける。
『この先、とても嫌な感じがする』
『お袋の勘?』
『そうね。深く黒いものが渦巻いているようなそんな感じ』
『だからって引き返せはしないよ』
『私個人としては引き止めたいけれど・・・』
『無理だね。ここまで来たら・・・でも、帰りたい気持ちもあるなぁ・・・』
『ふふふ・・・そうしちゃおっか?』
親子の会話。冗談を言い合うとても自然なものであった。
「この角を曲がったら突き当たりが院長室・・・」
角を曲がるとショッキングなものを見た。それは先ほど逃げた藁木であった。藁木はうつ伏せで倒れていたのだ。ソウルフルも手から10cmほどであったが離れている。
「死んだ振り・・・か?」
狭い通路である。避ける事は困難であるし、動く事も出来ないだろう。近付いてきたところをソウルフルで一発叩き込めば、勝てる見込みは高いというものである。だが、ソウルドで跳ね返すという対処法があり、剣術に長けた一道に通用するかどうかは怪しいところだ。そこはもう賭けだろう。
一方の一道は引き返す事は出来ないし、他に、いい方法も思い浮かばなかったので藁木の手にわざとかかってやろうという所であった。
「ふぅ~」
構えはするがソウルドは出さない。しかしいつでもソウルドを出せる態勢を取った。
藁木との距離は5m。ジリジリ近付く。ピクリともしない。4m。出来るだけ接近させれば跳ね返す事も出来ないというのが狙いだろうがここまで動かない辛抱強さは並ではないだろう。
『もしかしてこの人・・・』
「まさか、また裏切り者でも?」
3mを切った。にもかかわらず藁木は動かない。一道はその状況の異質さに感付いた。今まで、魂を使って戦ってきたからか、感覚として分かるのだ。まるで魂が抜かれているのではないかと思ったのだ。一道は藁木に深手を負わせたがそれは致命傷ではなかった。ひょっとしたら逃げている間にソウルフルが暴発して自分に当たってしまったのかそのような事を考えて、2mを切ったところであった。
「殺気!?」
正面から殺気を感じた。それは院長室のドアの方向である。ドアは閉まっている状態であった。次の瞬間、ドアが光ったように見えた。倒れている藁木に気を取られていたのでソウルドで跳ね返すには遅すぎる。
「くっ!」
迫り来る弾にどうする事も出来ず一道は前のめりになりながら飛んだ。弾が頭上を通過した。何とか避ける事が出来たが、一道は倒れてしまっていた。
「しまったぁっ!」
狭い通路である。避けるにも限界がある。だが、倒れながらソウルドで跳ね返す事は出来ないだろう。次の弾が飛んできた時までに立ち上がるのは今の一道には難しいだろう。
「これまでか!?」
一道は、死を覚悟した。だが、体が勝手に動いた気がした。お袋が動かしたのではない別の何かだ。何者かに吸いよさせられるかのような感覚。
右手は何と藁木のソウルフルを握っていた。そのまま指に力を込めた。引き金が引かれてソウルフルが魂を発射した。その方向は院長室のドア。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ドアの後ろから悲鳴が聞こえた。一道は何が起こったのか分からずそのまま立ち上がった。
「何だ。今の感覚は?」
今まで感じた事がないものであった。やられすぎで頭がおかしくなっているのかもしれないと思った。
「まさかアンタが助けてくれたのか?」
藁木は答えない。藁木のソウルフルを使った事でうつ伏せであった藁木の顔が少し覗くことが出来た。それは苦痛に顔を歪ませ、とても醜い顔であった。
「死を受け入れさえすればこんな顔になるほど苦しむ事もなかったろうに・・・」
ゆっくりと立ち上がりながら思う。
「だが、それだけ生きたかったという思いだけは分かる」
藁木の生に対する執念だけはこの形相から理解していた。
「うあああぁぁぁぁ!」
悲鳴はまだ続いていた。ドアの向こうからは殺意や敵意は感じられず、ただ焦りと恐れだけであった。一道は、ドアに向かいながら喋っていた。
「アンタは俺を憎んでいたから俺を助けるつもりもなかっただろう。今のはきっとただの偶然だろう。勇一郎さんはアンタに殺されたのだからハッキリ言ってアンタが憎い。だが、これだけは言わせてもらう。ありがとう。アンタがいたから俺は助かった」
藁木を見送り、院長室のドアへと向かう。
「よくもまぁ・・・ここまで来られたもんだ・・・」
元気は悠希の肩を借り表情を歪ませながら歩く。魂の流出は止まっていない。
「アンタここまで来られないと思っていたの?」
「そりゃそうだ。たった7人で病院の連中を潰せるなんて誰が考えるんだよ」
「だから、そこに付け入るところがあるって言ったじゃない?」
「そんなのはみんなを納得させる為のハッタリみたいなだよ。実際に上手く行くなんて思っちゃいなかった・・・」
「呆れた。そんな事でみんなを巻き込んで無責任過ぎない?」
「やるからにはトコトンその気にさせる必要があると思ったからだ。それに、俺だってかなり追い込まれたしな・・・さて・・・ここは開くのかどうか・・・」
関係者以外立ち入り禁止の表示がドアいっぱいにされている。そこにはドアノブが出ており、ドアノブをひねるとグルッと90度方向変えた。
「アイツら、やりやがったんだ!本当に成し遂げたんだ!やった・・・本当に・・・」
ガクッ
突然、元気が力なく倒れた。
「何、やってんの?しっかり立ってよ!アンタ、重いんだから!」
「本当に・・・」
「何、感動して力抜けてんの?」
「コレを・・・」
元気はまだ持っていたペットボトルを悠希に差し出した。これによって資料室などソウルドに関連する物は全て焼こうという事で持ってきたのだ。
「な、何、言ってんの?」
「因果応報って奴だろうなぁ・・・いくら敵だったとは言え、人殺しをした訳だしな。俺は・・・俺はどこまでもクズ野郎だなぁ・・・最低野郎だよなぁ・・・」
「アンタ、ちょっとしっかりしてよ!寝ている場合じゃないでしょ?」
「そうだよ。分かっているんだよ。ここでちゃんとしなければならないって事は・・・だがよぉ・・・本当、どうしようねぇよなぁ・・・何時だってそうなんだ・・・怪我したり、風邪引いたりして動けなくなると弱気になって不安が一気に押し寄せてきやがる」
元気は悠希の言う事に耳を貸さずただ話し続けていた。
「普段、考えないようにしているからな。嫌な事から全部逃げようとして・・・でも、結局逃げ切れないんだよな。調子が悪くなって足が遅くなると追いついてきやがる。それで俺を捕まえて、逃げないように縛りつけ、じわじわと嬲ってくる。ううっ・・・こえぇぇ」
元気は震え始めていた。顔には汗が大量に吹き出ていた。
「ホント、どうしたの?ねぇ?」
「分からない・・・だが、俺自身どうしようもないぐらいに・・・」
「何、言っているの?アンタらしくないよ。もっと明るくバカな冗談を言ってよね。ねぇ!」
悠希自身、元気の異変に薄々感づいていた。だが、それをこちらが態度として出したら元気はもっと奥へと突き進んでしまうだろうと思ったから叱咤激励することでいつもの元気を取り戻させようとした。
「もうやめてくれよ!俺はそんな大した奴じゃない。ただ軽口叩いて誤魔化していただけだ。俺に何も求めないでくれよ!」
「・・・。そんなに自分を卑下しなくたっていいじゃない。アンタは良くやっているよ」
「嘘をつくなよ。心の底ではそんな風に思ってないくせによぉ・・・」
「そんな事ないよ」
「あるに決まっている。だってよ。今の俺は・・・訳もなく、さみぃんだよ・・・こえぇんだよ・・・喋ってないと・・・怖くて死ぬ・・・」
「いいから・・・もういいから・・・安心してよ」
ギュゥ!
元気は悠希に抱きつき、震え、その声は嗚咽となった。
「いい匂いだなぁ・・・お前・・・」
元気の抱きしめていた力が急に弱まった。
「俺、頑張った・・・よなぁ?」
「頑張ったけど・・・頑張ったけど・・・もうちょっと頑張って欲しいよ」
「ふっ・・・あったけぇ・・・」
元気の力が途切れた。もう重いだけの人形となってしまった。
「私、また1人になっちゃったよ・・・また・・・」
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