またまた、新しいカテゴリーを創設してみました。
創設にあたり、初めに「評論家」について書いてみます。
highdy がブログに書く内容は、「highdy のことば」シリーズなど随所に出てきますが、ボランティアなど自分の哲学的な考えと経験・実践していることのみです。
政治も含めて社会一般の厳しい批判も数多くしていますが、すべての人が幸せになるために、より良い未来をつくるためにみんなが協力して社会を変えようと願うものです。
以下、「です・ます」調を「である」調に変えて評論します。
評論家
いまや「国民総評論家」の流れにあり、「評論家はいらない」とも言える時代である。
評論家
いまや「国民総評論家」の流れにあり、「評論家はいらない」とも言える時代である。
何故か能力(専門知識)がなくても、コネさえあれば容易に評論家を名乗ることができ、どうにか食べて行けるシステムができているのも変な話である。
ちょうどこの「highdy のにわか評論」のようなものである。(highdy の場合はコネもなく、誰にも依存せず指図も受けないし、そんな人間にはなりたくない。)
何処からか、「お前と一緒にするな!」矢が飛んできそうだが・・・。
評論家が必要だったのは、国民の教育が普及してなくて十分な判断基準が少なく、情報源が限られていた時代の話。
最近、彼らの中には自分と感性の似た他人の発言・推測を自分の意見のように発表し、その権威づけのために、盗用した人の名を自分と同じ意見を持った人と紹介する人もいる。
野党と同じで、批判はしても提案が極めて少なく、「本来の意味の批判」は薄れて、いや、批判を超えて単なる誹謗中傷になっていることも少なくない。
ニュース解説番組のような場に、専門家でもないタレントを出演させているのは、テレビ局の視聴率アップを狙った作戦かも知れないが、他のクイズ番組で常識も知らないほどのおバカさんぶりを発揮 (!?)している人が自分勝手な評論をしている。
もちろん、タレントでありながらその道に精通している方も見受けられるが・・・。
たまに不適切発言で、一部の人の反発を招き、揚げ足とりや難癖をつけられ、Twitter などの SNS で拡散され袋叩きに遭った挙句、それが原因で自殺に追い込まれた方もいる。
「ことば」は造り主、ちょっとした言葉が他人(ひと)を幸せにも不幸にもするものである。
被害者の心情も十分に汲み取り真実を掴んだ適切な言い回しをしないと、特定の人の足を引っ張る発言はそのような被害を招くこともある。
このブログの中にも「辛口」の方は多いが、正しい「批判」であり決して「誹謗中傷」はされていない方が殆どである。
にも拘らず、誹謗中傷の被害を受けている方もおられる。
社会的に無責任な「名ばかり評論家」で上から目線でお気軽発言をする方が多いが、今はプロの評論家もその評論を評論される時代である。
本日もご来訪いただきありがとうございました。
皆様の ポチッ! に心から感謝します。
~批判はしても提案が極めて少なく~
件の政党がほぼ、これです…。
僕は決して、自民党万歳!じゃないですが、菅さんの失言を引き出すのが目的?と思わざるをえない答弁はなーといった感じです。
僕も先日、ブログにご批判を頂戴しました。
その折、HNで良いので明示いただけたら、より返信できたと思っています。
highdyさんのブログは、幅広いご視点から記されていて、学ぶことが多いです!
ブログをされている方で、「unknown」表示されたり、メッセージ受付、コメント欄を消しておられる方は結構多いですね。
コメントをしたり、お返ししようと思っても困ることがありますが、人それぞれ事情があるものと思います。
「ご批判」にも種類があって、好ましくないものもあるようです。(私のところにはお陰様で1件もありませんが・・・)
批判をするからには、改善策などの提案ができればいいのですが、どうも政治家にはそのような方は少ないようです。逆に評論家には、詳しい事情を知らずに無責任な提案をする方もおられます。
ややもすると私達もそうかも知れませんが、それも評論の一つと言えるかも?
カテゴリーが多い分、雑なものも沢山あると思いますが、少しでも何かのお役に立てれば幸いです。
本当に仰るとおりだと思います。
私は評論家のようなつもりで投稿したことはないつもりですが、時には激しく、
辛辣な言葉で投稿することもありますので時々は反省しています。
今やどんなこと、何にでも、そして考えられない事にも評論家と称する人達がいますね。
今、この時期、緊急事態宣言下で罰則が議論される中・・クラブをはしごするような政権党の議員はバッシングよりも
もっと強い罰を受けるべきだと思います。
今日のhighdyさんの記事の中の『ちょっとした言葉が他人(ひと)を幸せにも不幸にもする』が心に響きました。
私も多くの人からたくさんの影響を受け、通説に感じています。
『ちょっとした言葉が他人(ひと)を幸せにも不幸にもする』
代案のない批判はただの誹謗中傷になってしまいますし、文句を言うだけなら子供でもできる話です。
国会で野党の多くも代案のない批判を繰り返しているように思います。
ただ、私は国会中継をずっと見ている訳ではなく、マスコミにいいように加工された情報を見ているだけかもしれないので、私の野党批判も間違っているかもしれません。
情報を発信する際は内容に責任を持たなければいけないと再認識しました。
こんにちは、いつもありがとうございます。
前政権からそうですが、国のトップが「言うことと、することが違う」ようでは困ります。
何人で会食しようが、「自粛しましよう」と言いながら自分たちが会食するのは変です。
銀座のクラブで飲んでいた議員は、「陳情であった」と言い訳をしているという報道もありますが、たとえそうであっても、自分たちで「自粛」を決めたのですからから・・・。
「ことば」は、感情によっても変わって来るもので、「売り言葉に買い言葉」のケースもありますから、自分の発する言葉には注意が必要です。冗談をまともに受け取る方も多いので。
コメントをありがとうございます。
あらゆる分野において、安易に評論・解説は難しいものだと思います。
よくスポーツ解説(フィギュアスケート、相撲、野球)などにおいて、最もらしい解説をしています。特に失敗についての解説はそうで、下手をすると解説者よりレベルが低いと批判めいた発言をします。
その解説者が元チャンピオンとかそれに準ずる実績を上げていれば説得力もありますが、「自分はどったの?」と言いたくなるようなランクだった方がいます。
自分が言ったことには責任を持つ、批判・評論をするからには、他人を「傷つけない言葉」への配慮も必要だと思います。