ラクがしたければ逆らうな!
水は落差の高い方から低い方へ流れる。電気も電圧の高い方から低い方へ流れる。エネルギーは高い方から低い方へ力が働くもので、強いものが弱いものに勝つのが「自然の理」というものである。
ラクがしたければ自然に逆らわずに、それを上手く利用することである。
水は落差の高い方から低い方へ流れる。電気も電圧の高い方から低い方へ流れる。エネルギーは高い方から低い方へ力が働くもので、強いものが弱いものに勝つのが「自然の理」というものである。
ラクがしたければ自然に逆らわずに、それを上手く利用することである。
それで満足できなければ、己の知識を高めること、強くなること、すなわちエネルギーを蓄えることである。上手く利用することもできず、強くなる努力もしなければ、それは諦めであり自分の負けである。
逆らうには力が要る!
強くなるためには力が必要である。力とはエネルギーであり、熱でもある。重い物を引力に逆らって持ち上げるには、エネルギーが必要なことは誰でも解っている。
強くなるためには力が必要である。力とはエネルギーであり、熱でもある。重い物を引力に逆らって持ち上げるには、エネルギーが必要なことは誰でも解っている。
熱心に勉強をして知識と技術を持って戦うことである。
戦いには常に膨大な知識力と技術力を蓄えていないと勝てない。口(言葉)で勝つには知識力だけでよいが、物理的に勝つには技術力も必要になる。
戦いには常に膨大な知識力と技術力を蓄えていないと勝てない。口(言葉)で勝つには知識力だけでよいが、物理的に勝つには技術力も必要になる。
技術開発
前者のような「自然の理」を上手く活用した知識・技術(例えば水力発電、太陽光発電によりエネルギーを得る)と後者のように重い物を持ち上げるために油圧・水圧を駆使する知識・技術(例えば、「てこの原理」、何らかの機械・動力を用いて持ち上げる)
つまり、新しい技術開発には二つの方法がある。
前者のような「自然の理」を上手く活用した知識・技術(例えば水力発電、太陽光発電によりエネルギーを得る)と後者のように重い物を持ち上げるために油圧・水圧を駆使する知識・技術(例えば、「てこの原理」、何らかの機械・動力を用いて持ち上げる)
つまり、新しい技術開発には二つの方法がある。
我々は自然という環境の中で生きていく以上、何もしないでいることはできない。自然は太古の昔から成長(進化)・変化し続けている。(生命ではないと言われているウイルスさえ進化している。)
だから何もしないでいると、ヒトは取り残されて原始化するだけである。嫌なら我々も進化する必要がある訳で、科学的に進歩しなければならない。
しかし、その過程で知識・技術を蓄えつつも自分の体を良く知り、バランスの取れたものでないといけない。
しかし、その過程で知識・技術を蓄えつつも自分の体を良く知り、バランスの取れたものでないといけない。
いまは、自分たちの考えた知識・技術で体質を変化(ガン・アレルギーなど)させてしまっている。
人工的な有害物を食べて体を壊し、医療技術でそれをカバーするのは、どう考えてもおかしな話である。寿命だけ延びても健康体でない限り、真の幸せにはならない。
人工的な有害物を食べて体を壊し、医療技術でそれをカバーするのは、どう考えてもおかしな話である。寿命だけ延びても健康体でない限り、真の幸せにはならない。
政府と国民の関係で考えると・・・
いまの役人・政治家には、国民のための思いやりがない、もっと言えば弱者(庶民)に対する思いやりがないのが問題である。強い者に負けて弱い者に強いのは本当のに強さとは言えない。
一方、国民の方もぬるま湯から出るに出れない状態(徐々に貧困化しているのにも拘わらず)のままで、力の結集がない。逆らうには力が要る!
いまの役人・政治家には、国民のための思いやりがない、もっと言えば弱者(庶民)に対する思いやりがないのが問題である。強い者に負けて弱い者に強いのは本当のに強さとは言えない。
一方、国民の方もぬるま湯から出るに出れない状態(徐々に貧困化しているのにも拘わらず)のままで、力の結集がない。逆らうには力が要る!
知識を持って小さな力を結集すれば、蟻が象を倒すこともできる、大昔のヒトは力を結集して怪獣を倒して食べた。
原子力災害にしろ、新型コロナ問題にしろ、一種の人災である。
原子力災害にしろ、新型コロナ問題にしろ、一種の人災である。
自然災害に対応するヒト(このヒトは、役人・国会議員)の能力にも限度がある。自分の保身や利益を捨て、庶民と結集してことに当たらねばならいのに、政府の対応は、民衆の心を掴んでいない。
庶民の血税でデタラメともいえる予算(特に何兆円ともいう使途不明の予備費)を組んで、方向性の違う用途に使おうとしている。これではいつまで経っても、庶民の不平・不満は消えず貧しい・不幸せな人々が増えるばかりである。
庶民の血税でデタラメともいえる予算(特に何兆円ともいう使途不明の予備費)を組んで、方向性の違う用途に使おうとしている。これではいつまで経っても、庶民の不平・不満は消えず貧しい・不幸せな人々が増えるばかりである。
力があれば、こんなことも・・・
何度切って食べても、油断していたら花まで
何度切って食べても、油断していたら花まで
咲かせちゃったので、そのままにしてやることに。
本日もご来訪いただきありがとうございました。
皆様の ポチッ! に心から感謝します。
「自然の理」の高低や強弱とは違い、
「政府と国民の関係」は強者にも弱者にも「こころ」や「熱意」「努力」が必要なのですね。
だからこそ諦めずに私達が「小さい力」「弱い力」を声をあげて示していかなければならないのだと思います。
『奢る平家は久しからず』の例えもありますので、勝者だと勘違いするような政府も、敗者のようだと卑下したり諦めたりする国民も双方勘違いせず努力と進歩を継続しなければならないことにお互いが気づかせることが重要ですね。
私も非力でも「小さな声」を挙げ続けていきますよ。
仰る通りです。
その時代を生きるために、父・毛利元就が子供に示した「三訓の矢」のように、皆で声を揃えれば、大きな世論となって政治を変えていくことができるのではないでしょうか?
日本のマスコミの情報発信の自由度は、世界でも滅茶苦茶に低いレベルにあります。しかも、べったりアメリカナイズされた米国の御用放送です。政府は慌てて外資介入を制限して、辛うじて30%以下にするようにしました。
NHKの御用放送ほどではありませんが・・・。
ただ、NHKの場合は、免許取り消しは絶対にありませんが、すべて政府の顔色を伺うのが必須になっています。
民放の場合は、睨まれると認可取り消しもあり、怖いので自由度を失っています。
先ほどのUnknown は私(fumiel-shima)です。
名前を記入せず失礼しました。
大丈夫です!! ご心配なく。
「コメント管理」でIDがしっかり表記されていますので、どなたかは存じています。
でも、敢えて表記したくないのかな? と思って書きませんでした。