愛された記憶は数多く撮られた写真や動画(ビデオ)の中にあるのではなく
肌身の奥深く、あるいは心のヒダのそれとは知れないところにあって、
ふとした折りに思いもかけず全身を満たしていく、
そのようなものではないだろうか。
そのきっかけが写真、ということもあるかもしれないけれど。
これは親は子を撮りたがるけれど
撮られる子にとってはどうなのか? というおバカな疑問。。。
その疑問は、さっきパソコンデスク下の収納部からアルバムを出して
ひととおり見たが為に起こったもの。
処分、とかのことを考えると
これは本などといったものより数倍手強い・・・
写した人の思いとか諸々の情の詰まった存在。
写された側にとっても、写した側の情がにじんだ見る履歴書 みたいなものですから。。。
写真、私にはどうしていいのか分りましぇ~ん。
ま、無理矢理捨てることもないし
と、写真一枚にもかなりの重さを感じた次第。
ポチッと応援を!
ありがとう
まだ
月曜日 。