休みの日の朝、俺はのんびりと本を読みながらラジオを聴いていた。妻は買い物に行き、大学生の息子はまだ寝ている、高校生の娘は部活で学校に行く準備をしている。休みでも旅行に行くわけでもないし、特別な心躍る用事があるわけでもない、こんな退屈な何気無い瞬間にふと幸せを感じる事がある。ラジオから喜多篠忠作詞、吉田拓郎作曲で中村雅俊が歌う「いつか街で会ったなら」が流れてきた。「何気ない毎日が風のように過ぎて行く」と言う歌詞から始まるこの歌は、俺がまだ大学生の頃に流行った曲だ。その頃、俺は当時の地方から出てきた学生が誰でもそうであったように、四畳半の古ぼけた安アパートに住んでいた。ワンルームマンションがまだ無かった時代、もちろん部屋にお風呂はついていないし、トイレは共同、週に2、3回行く銭湯が楽しかった。アパートの場所は高円寺、そんな貧しい大学生活でも同じ大学に通う女子大生と恋をしていた。彼女は高円寺に不動産業を営む家族と住んでいた。朝、駅で待ち合わせをして彼女と大学に行き、大学でダラダラとみんなでおしゃべりして過ごし、夕方はバイトで、帰りはアパートの近くの屋台の焼き鳥屋で一杯200円の日本酒と1本50円の焼き鳥を6本食べて500円払って帰る。そんな何気ない毎日を過ごしていた。卒業が決まった彼女と留年が決まった俺。彼女は一流企業に就職した同級生を選んだ。俺はとても傷つき高円寺に住んでいられずに、逃げるように大学の近くの下宿屋に移り住んだ。
ふと高円寺に行ってみようと思った。
相変わらず人が多い高円寺、アパートやワンルームマンションが多いので、特に若者が多い。北口を出てすぐ左に曲がり線路沿いの商店街を阿佐ヶ谷方面に行く。大学の頃に通った道だ。彼女の父がやっていた小さな店舗の不動産屋はもうない。彼女は家族と店とは違う場所に住んでいた。もう少し歩くとその家に着く。木造の家はほとんどがコンクリートのビルか、マンションに変わっている。彼女の家は昔から鉄筋コンクリートなので、昔と変わらずに同じ場所にあった。表札に彼女の名前が書いてある。昔と名字も名前も変わっていない。同級生と結婚したとばかり思っていたが、まだ一人なのか?それとも離婚したのか?あの同級生が養子に入ったのか?でも彼の名前は表札にはない。いろいろな思いが交錯した。昔、高円寺を去る時に 「I left my heart in 高円寺」と口ずさんだのを覚えている。元歌は「霧のサンフランシスコ」とも「思い出のサンフランシスコ」とも言われている昔の歌。「ニューヨークやパリは華やかでも寂しい。僕の心は君の住むサンフランシスコに残して来た」と歌う歌と同じ気持ちだったからだ。中村雅俊が歌うように「別れた彼女といつか街で会ったなら、肩を叩いて微笑みあおう」と言う気持ちにはなれない。結婚が全てではないし、結婚したからと言って幸せになるとは限らないし、一人でも幸せな人はたくさんいる。でも、何故か?昔とても死ぬ程愛した彼女が、今も変わらない名前で住んでいるのは寂しい。今回も「 I left my heart in 高円寺」と口ずさみながら帰りの電車に乗った。
ふと高円寺に行ってみようと思った。
相変わらず人が多い高円寺、アパートやワンルームマンションが多いので、特に若者が多い。北口を出てすぐ左に曲がり線路沿いの商店街を阿佐ヶ谷方面に行く。大学の頃に通った道だ。彼女の父がやっていた小さな店舗の不動産屋はもうない。彼女は家族と店とは違う場所に住んでいた。もう少し歩くとその家に着く。木造の家はほとんどがコンクリートのビルか、マンションに変わっている。彼女の家は昔から鉄筋コンクリートなので、昔と変わらずに同じ場所にあった。表札に彼女の名前が書いてある。昔と名字も名前も変わっていない。同級生と結婚したとばかり思っていたが、まだ一人なのか?それとも離婚したのか?あの同級生が養子に入ったのか?でも彼の名前は表札にはない。いろいろな思いが交錯した。昔、高円寺を去る時に 「I left my heart in 高円寺」と口ずさんだのを覚えている。元歌は「霧のサンフランシスコ」とも「思い出のサンフランシスコ」とも言われている昔の歌。「ニューヨークやパリは華やかでも寂しい。僕の心は君の住むサンフランシスコに残して来た」と歌う歌と同じ気持ちだったからだ。中村雅俊が歌うように「別れた彼女といつか街で会ったなら、肩を叩いて微笑みあおう」と言う気持ちにはなれない。結婚が全てではないし、結婚したからと言って幸せになるとは限らないし、一人でも幸せな人はたくさんいる。でも、何故か?昔とても死ぬ程愛した彼女が、今も変わらない名前で住んでいるのは寂しい。今回も「 I left my heart in 高円寺」と口ずさみながら帰りの電車に乗った。