若尾政希著「百姓一揆」(岩波書店)の中で、著者の若尾さん「一揆は体制を変えることではなく仁政を求めた。仁政が回復すれば一揆は収まった。領主も百姓の生存権を保障することを自覚していた。」と書いている。
学校で習った「百姓一揆」は、とにかく死なずに飢えをしのぎ生きぬくために収めた年貢からお米を分けてくれ、年貢の納入を待ってほしい、もっと年貢の量を減らしてほしいと言った、仁政とはちょっと違う感じがしてした。しかし仁政で生存権が保障されて一揆が収まったとあるのなら、仁政とは日本国憲法が25条で保障する生存権を確保する政策、そのものではないか。憲法25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と国の義務を規定している。
2021年1月28日の国会予算委員会で菅総理は共産党の小池書記局長の「最後は生活保護があるのなら、それを阻んでいる、ためらわせているものについて見直すべきだと」質問したのに、菅総理も田村厚労相もその壁である「扶養照会」の見直しを明言しなかったと、
Buzzfeed Japanが報じている。
生活保護を申請に役所に行くと、まず初めに扶養照会といい扶養者はいないのか親族に問い合わせがいくという。これは公助の前に共助をまず考えなさい。国家に頼むより先に親族や親戚に面倒をみてもらいなさいということだ。生活保護の申請をする人の1/3が申請を取りやめる実態がわかる。しかし、こんな扶養照会なんてテレビと新聞が全然報道しないから知らなかった。きっと多くの人が自分は生活保護なんて関係ないと思っているせいか、知らないのではないか。
江戸時代は、さきの若尾政希著「百姓一揆」(岩波書店)によれば「領主も百姓の生存権を保障することを自覚していた。」とある。江戸時代の方が、現代社会よりずっと弱者にやさしい、社会保障の行き届いた社会ではないのか。それも領主も百姓も保障されるべき生存権を自覚していたからである。
江戸時代のように一揆を起こす気力もない政治に無関心の国民のみなさんは、どうやって生き延びて行くのだろう。