子供の頃、教育ママゴンに育てられた点取り虫がたくさんいたなぁ。と回想しながら、大学でも、そうだったなぁ(半分ぐらいだったけど)、大手企業に入った時もそうだったなぁと。特に大手企業は、金太郎飴みたいないわゆる優等生タイプばかり。
いつも先生の顔色を伺いながらテスト勉強して、スポーツするわけでもなく、放課後に遊ぶわけでもなく、ただ黙々と良い点を目指す。
彼らは大人になって官僚になったのでしょうね。と実感する官僚の国会答弁。
何で、こんなことを思ったのか?
安田登さんの本で、昔は(孔子の500年ぐらい前まで)人間にも心が無かった。と言う説を考えていたら、まだ人間は心を取得する進化の過程なのではないか?
だから生まれてから、心を取得する訓練が必要なのではないか?
と思ったからですね〜哲学的には、心とは何だ?と定義しないといけませんが。
心の訓練の元である孔子の論語を批判した老子は、この世の生成から日常を動かす超越的な力をタオと名付け、ただそれに従えと。
もっともっと後世のスピノザは、この力を「神=自然」と定義して、エチカの中で見事に幾何学的に、心のあり方(感情を中心に)を定義、定理して証明したけれど。