◎腐ったら、負け(2)
●2期生
・HKT48の2期生21名は2012年9月23日の劇場公演で「初お披露目」をした
1期生の多くは2期生のメンバーに危機感を感じていたという
9月30日から、2期生たちによる研究生公演「PARTYが始まるよ」が始まった
中心には「10年に1人の逸材」といわれた、田島芽瑠がいた
・1期生はお互いに言い合わなすぎと言われたが、2期生はお互いぶつかることが多かった
「2期生は、いつもピリピリしてました。帰りのバスの中で、毎日反省会をしていたんです」(田中優香)
「2期生は、本当にバチバチしてたと思います。…ピリピリしてたんですけど、みんなすごく必死だったし、助け合ってたんです。ケンカもいっぱいしたけど、それを乗り越えて絆みたいなものを作ったんだって思ってます」(秋吉優花)
●HKT48初のオリジナル曲
・2012年10月、AKB48の29thシングル「永遠プレッシャー」のタイプCのカップリング曲として、HKT48初のオリジナル曲が収録されるとの発表があった
「初恋バタフライ」である
「初恋バタフライ」のセンターは田島芽瑠と発表された
1期生でずっとセンターをやってきた「はるっぴは、裏で泣いていたみたいです」(植木南央)
「はるっぴは泣きすぎちゃって、そのままレコーディングできなかったんです。…私もショックで声が出なくなっちゃって、レコーディングができなくなっちゃたんですよ。…さっしーを囲んで1期生たちがみんな泣いていました。…芽瑠ちゃんは、申し訳なさそうにしていて…。芽瑠ちゃんが悪いわけじゃないのに。かわいそうなことをしたなって」(さくら)
○2012年11月1日、HKT48に移籍した多田愛佳の劇場デビュー
多田愛佳は移籍を決めたとき「メンバーと絶対に仲良くならない」と決めていたという
「東京に戻ることになったとき、寂しい思いをしたくなかったから」
つらいことばかりだったけど、HKTの子たちは、誰も腐ってなかった
「みんなと仲良くならないでおこうなんて無理でした」(らぶたん)
●デビューシングル「スキ!スキ!スキップ!」
・2013年1月、HKT48劇場でHKT48のデビューシングルの選抜発表が行われた
センターは、田島芽瑠
「さすがにありえないって思ってました。だって、デビューシングルですよ。…なんで?なんで私が?って。もうプレッシャーがすごかったです。…取材も何を言っていいのか悪いのかもわからないし、…振りも覚えなくちゃいけないしで頭の中がパンパンでした」(める)
○「スキ!スキ!スキップ!」が発売されたのは、2013年3月20日
全国握手会、個別握手会のイベントが行われた
最初の握手会は、3月20日、よみうりランドでの全国握手会である
めるちゃんのレーンには、多くのファンが集まった
泣かないタイプのめるちゃんが、うれし泣きした
「ファンの方は、私の友達。私の味方。私の仲間。そう思えました。…宝物だって思いました」(める)
「隣のレーンが芽瑠ちゃんで。その時、自分のレーンだけ人がいないように見えちゃったんです。…それを見て「辞めよう」って思ったんです。それからは、「いつ辞めようか」ってことばかり考えてました。芽瑠ちゃんが悪いわけじゃないのはわかってるのに。」(さくら)
以下、握手会つながりで、個人的なことを書きますけど、ごめんやしておくれやす
○さくちゃんとの初めての握手会
・私が、初めてさくちゃんと握手したのは、2013年3月23日の千里セルシーでの「スキ!スキ!スキップ!」の全国握手会だった
・そのとき、なんと魅力的な娘がいると思った
すごく輝いていた
この娘は、かならずブレイクすると確信しましたぞな
それ以来、私はさくちゃんが好きになり、さくちゃん推しになった
・「さくめーる」が始まったのは、2014年4月やった
・たしか、2014年5月4日のインテックス大阪での個別握手会で、さくちゃんに「推しメンは誰ですか」と聞かれて、「さくらちゃんです」と答えた記憶がありまする
前日の5月3日は写メ会で
さくちゃんは、さわやかな白い服やった
●センターについて思うこと少し
・センターは、1番注目をあびる
・しかし、センターじゃないとダメということは断じてない
どこにいても、たとえ最後列にいたとしても、光っているものは光っている
金はどこにあっても金である
土の中に埋もれていれば、見えないけれど、金は金であり、銅になることはない
たとえ今は注目されていないとしても、見てくれている人がいる
センターじゃなかったとしても悲観する必要はまったくない
また、センターになったとしても、あまり重く考えることはない
センターは、持ち回りで、一時的なものであり、1つの役割にすぎない
●2期生
・HKT48の2期生21名は2012年9月23日の劇場公演で「初お披露目」をした
1期生の多くは2期生のメンバーに危機感を感じていたという
9月30日から、2期生たちによる研究生公演「PARTYが始まるよ」が始まった
中心には「10年に1人の逸材」といわれた、田島芽瑠がいた
・1期生はお互いに言い合わなすぎと言われたが、2期生はお互いぶつかることが多かった
「2期生は、いつもピリピリしてました。帰りのバスの中で、毎日反省会をしていたんです」(田中優香)
「2期生は、本当にバチバチしてたと思います。…ピリピリしてたんですけど、みんなすごく必死だったし、助け合ってたんです。ケンカもいっぱいしたけど、それを乗り越えて絆みたいなものを作ったんだって思ってます」(秋吉優花)
●HKT48初のオリジナル曲
・2012年10月、AKB48の29thシングル「永遠プレッシャー」のタイプCのカップリング曲として、HKT48初のオリジナル曲が収録されるとの発表があった
「初恋バタフライ」である
「初恋バタフライ」のセンターは田島芽瑠と発表された
1期生でずっとセンターをやってきた「はるっぴは、裏で泣いていたみたいです」(植木南央)
「はるっぴは泣きすぎちゃって、そのままレコーディングできなかったんです。…私もショックで声が出なくなっちゃって、レコーディングができなくなっちゃたんですよ。…さっしーを囲んで1期生たちがみんな泣いていました。…芽瑠ちゃんは、申し訳なさそうにしていて…。芽瑠ちゃんが悪いわけじゃないのに。かわいそうなことをしたなって」(さくら)
○2012年11月1日、HKT48に移籍した多田愛佳の劇場デビュー
多田愛佳は移籍を決めたとき「メンバーと絶対に仲良くならない」と決めていたという
「東京に戻ることになったとき、寂しい思いをしたくなかったから」
つらいことばかりだったけど、HKTの子たちは、誰も腐ってなかった
「みんなと仲良くならないでおこうなんて無理でした」(らぶたん)
●デビューシングル「スキ!スキ!スキップ!」
・2013年1月、HKT48劇場でHKT48のデビューシングルの選抜発表が行われた
センターは、田島芽瑠
「さすがにありえないって思ってました。だって、デビューシングルですよ。…なんで?なんで私が?って。もうプレッシャーがすごかったです。…取材も何を言っていいのか悪いのかもわからないし、…振りも覚えなくちゃいけないしで頭の中がパンパンでした」(める)
○「スキ!スキ!スキップ!」が発売されたのは、2013年3月20日
全国握手会、個別握手会のイベントが行われた
最初の握手会は、3月20日、よみうりランドでの全国握手会である
めるちゃんのレーンには、多くのファンが集まった
泣かないタイプのめるちゃんが、うれし泣きした
「ファンの方は、私の友達。私の味方。私の仲間。そう思えました。…宝物だって思いました」(める)
「隣のレーンが芽瑠ちゃんで。その時、自分のレーンだけ人がいないように見えちゃったんです。…それを見て「辞めよう」って思ったんです。それからは、「いつ辞めようか」ってことばかり考えてました。芽瑠ちゃんが悪いわけじゃないのはわかってるのに。」(さくら)
以下、握手会つながりで、個人的なことを書きますけど、ごめんやしておくれやす
○さくちゃんとの初めての握手会
・私が、初めてさくちゃんと握手したのは、2013年3月23日の千里セルシーでの「スキ!スキ!スキップ!」の全国握手会だった
・そのとき、なんと魅力的な娘がいると思った
すごく輝いていた
この娘は、かならずブレイクすると確信しましたぞな
それ以来、私はさくちゃんが好きになり、さくちゃん推しになった
・「さくめーる」が始まったのは、2014年4月やった
・たしか、2014年5月4日のインテックス大阪での個別握手会で、さくちゃんに「推しメンは誰ですか」と聞かれて、「さくらちゃんです」と答えた記憶がありまする
前日の5月3日は写メ会で
さくちゃんは、さわやかな白い服やった
●センターについて思うこと少し
・センターは、1番注目をあびる
・しかし、センターじゃないとダメということは断じてない
どこにいても、たとえ最後列にいたとしても、光っているものは光っている
金はどこにあっても金である
土の中に埋もれていれば、見えないけれど、金は金であり、銅になることはない
たとえ今は注目されていないとしても、見てくれている人がいる
センターじゃなかったとしても悲観する必要はまったくない
また、センターになったとしても、あまり重く考えることはない
センターは、持ち回りで、一時的なものであり、1つの役割にすぎない