◎ぽんこつ (小説「ぽんこつ」より抜粋)
★ 東京の、墨田区竪川―。
といっても、さて、ぴんと来ない人が多いかも知れない。
長年東京に住んでいる人でも、山の手の住人だと、そんな町の名前は聞いたこともないという人が少くないだろう。
日本橋あたりから、隅田川をひとまたぎ、タクシーで十分ほどのところだが、山の手人種や銀座人種には、たしかに、あまり縁のない土地である。
いったいに、同じ東京でも、山の手と下町とでは、町の様子、人々の気風、言葉、いずれも、大分ちがっている。
そして、同じ下町でも、隅田川の西、つまり日本橋京橋側と、川の東、つまり、本所深川向島側とでは、また大分おもむきにちがいがある。
山の手の奥さま連中は、日本橋のデパートまでは買物に来るが、それから橋をわたって、川の東がわへは、めったに足をのばさない。
一方、川の東の住人たちの中には、世田谷区だの杉並区だのというところは、生れてから一度も行ったことがないという人が、たくさんいる。
彼らにとっては、銀座さえも馴染みのうすい町だ。
あちらは、どうも妙にハイカラで、気どっていて、取りつきにくいような感じがするのであろう。
「西銀座デパート開店」
という記事が、新聞に出ていたのを見て、江東のオバサンたちが、外電だと思っていたという話がある。
その墨田区の、竪川。
そこは、ぽんこつ屋の町だ。
竪川の町名と同様、ぽんこつ屋という商売もまた、一般の人には、あまり耳馴れないものであろうが、それは、使い古したボロ自動車や、事故をおこして、修理も不可能になったような自動車を買いとって、バラバラに解体し、鉄板はスクラップに、生かして使える部分は、セコハンの部品にして売買する、一種の古物商である。
竪川一丁目、二丁目の一帯には、東京中の、自動車解体部品業者の七割がたが集っていて、町は、ほとんど軒なみ、七八十軒、ぽんこつ屋ばかりだ。
ぽん、こつん。
ぽん、こつん。
ぽんこつ屋の名称は、タガネとハンマーで、日がな一日古自動車を叩きこわしている、その音から来ているらしい。
………
(阿川弘之著の小説「ぽんこつ」の「まけとし」の章より 中央公論社 昭和48年6月30日発行)
★ 東京の、墨田区竪川―。
といっても、さて、ぴんと来ない人が多いかも知れない。
長年東京に住んでいる人でも、山の手の住人だと、そんな町の名前は聞いたこともないという人が少くないだろう。
日本橋あたりから、隅田川をひとまたぎ、タクシーで十分ほどのところだが、山の手人種や銀座人種には、たしかに、あまり縁のない土地である。
いったいに、同じ東京でも、山の手と下町とでは、町の様子、人々の気風、言葉、いずれも、大分ちがっている。
そして、同じ下町でも、隅田川の西、つまり日本橋京橋側と、川の東、つまり、本所深川向島側とでは、また大分おもむきにちがいがある。
山の手の奥さま連中は、日本橋のデパートまでは買物に来るが、それから橋をわたって、川の東がわへは、めったに足をのばさない。
一方、川の東の住人たちの中には、世田谷区だの杉並区だのというところは、生れてから一度も行ったことがないという人が、たくさんいる。
彼らにとっては、銀座さえも馴染みのうすい町だ。
あちらは、どうも妙にハイカラで、気どっていて、取りつきにくいような感じがするのであろう。
「西銀座デパート開店」
という記事が、新聞に出ていたのを見て、江東のオバサンたちが、外電だと思っていたという話がある。
その墨田区の、竪川。
そこは、ぽんこつ屋の町だ。
竪川の町名と同様、ぽんこつ屋という商売もまた、一般の人には、あまり耳馴れないものであろうが、それは、使い古したボロ自動車や、事故をおこして、修理も不可能になったような自動車を買いとって、バラバラに解体し、鉄板はスクラップに、生かして使える部分は、セコハンの部品にして売買する、一種の古物商である。
竪川一丁目、二丁目の一帯には、東京中の、自動車解体部品業者の七割がたが集っていて、町は、ほとんど軒なみ、七八十軒、ぽんこつ屋ばかりだ。
ぽん、こつん。
ぽん、こつん。
ぽんこつ屋の名称は、タガネとハンマーで、日がな一日古自動車を叩きこわしている、その音から来ているらしい。
………
(阿川弘之著の小説「ぽんこつ」の「まけとし」の章より 中央公論社 昭和48年6月30日発行)