◎飛行機 13 ライト兄弟 5
★サミュエル・ピアモント・ラングレー(1834-1906年)
・ラングレーは独学で天文学を学び、アレゲーニ天文台長とウェスタン大学の物理学と天文学の教授だった
1891年にはスミソニアン協会の理事長に就任した
・ラングレー教授はウェスタン大学時代から空気力学の研究を開始し、揚力や抵抗の値を計測しており、軽量のエンジンを使えば動力飛行が可能であると信ずるようになった
・ラングレー教授は模型飛行機を使って実験にとりかかり、1891年からは蒸気機関を動力とする模型飛行機の実験にとりかかった
1896年には1馬力の蒸気動力の模型飛行機で時速50kmで1300mの飛行に成功した
・ラングレー教授の飛行実験に目をとめたアメリカ陸軍は5万ドルの資金援助をした
◎エアロドローム
○1903年には、人を乗せて飛ぶ機体が完成した
単葉を2枚前後に並べたような形で、前翼のうしろに左右2個のプロペラをおいた
全長16m、翼幅14.6m、全重量330kgで、エンジンは5気筒星型ガソリンエンジンである
エンジンの重量は75kgで52馬力を出したという
このエンジンはラングレー教授の助手の機械技師のチャールズ・マンリーが製作した
○ラングレー教授はこの模型飛行機をギリシャ語の「空中を走るもの」という意味で(実際は「飛行場」を意味する)エアロドロームと名付けた
★ガソリン自動車の発明
○オットー(ドイツ)は1861年に「4サイクル・エンジン」の原理を発明し、10年以上の研究のすえ、1876年に最初の4サイクル・エンジンを完成した
最初は石炭ガスで動いたがのちにガソリンエンジンとなった
・オットーのドイツガス発動機会社の工場長ダイムラーは、マイバッハとともに1882年に独立、エンジンの試験工場を設立した
1885年、ダイムラーはガソリンエンジン付き2輪車(つまりオートバイ)を作った
1886年には4輪馬車にエンジン(460cc、1.1馬力)を取り付けたガソリン自動車を作った
1885年、ベンツは4サイクル・エンジンを製作し、1886年ガソリンエンジン付き3輪車を作った
ダイムラーとベンツは1926年に合併し社名をダイムラー・ベンツとした
★エアロドロームの飛行実験
○1903年10月7日、ラングレー教授はポトマック川に浮かべた屋形船上の発射台からエアロドロームを発射しようとした
チャールズ・マンリーが救命胴衣を身につけて、ゴーグルをつけて操縦席に乗り込んだ
エンジンの回転数を上げ、機体を引っ張っているバネの発射装置をはずすように合図を送った
機体は前方へ飛び出したとたんポトマック川に墜落した
マンリーは救出されたが、機体の修理に1カ月以上かかり、12月8日に2回目の飛行が試みられた
2回目の飛行実験でも同じく川に墜落し、失敗に終わった
ラングレー教授は以後の飛行実験を断念し、1906年に世を去った
・ラングレー教授の失敗を国中の新聞がおもしろおかしく酷評し、ニューヨーク・タイムズ紙は「人を乗せる飛行機はいずれできるだろうが、それは数学者と技術者が100万年から200万年も、地道に研究を積み重ねたうえでのことだ」と論評した
いいかげんな新聞記事であった
◎100万年も待つことはなく、9日後の12月17にライト兄弟が初の動力飛行に成功する
★サミュエル・ピアモント・ラングレー(1834-1906年)
・ラングレーは独学で天文学を学び、アレゲーニ天文台長とウェスタン大学の物理学と天文学の教授だった
1891年にはスミソニアン協会の理事長に就任した
・ラングレー教授はウェスタン大学時代から空気力学の研究を開始し、揚力や抵抗の値を計測しており、軽量のエンジンを使えば動力飛行が可能であると信ずるようになった
・ラングレー教授は模型飛行機を使って実験にとりかかり、1891年からは蒸気機関を動力とする模型飛行機の実験にとりかかった
1896年には1馬力の蒸気動力の模型飛行機で時速50kmで1300mの飛行に成功した
・ラングレー教授の飛行実験に目をとめたアメリカ陸軍は5万ドルの資金援助をした
◎エアロドローム
○1903年には、人を乗せて飛ぶ機体が完成した
単葉を2枚前後に並べたような形で、前翼のうしろに左右2個のプロペラをおいた
全長16m、翼幅14.6m、全重量330kgで、エンジンは5気筒星型ガソリンエンジンである
エンジンの重量は75kgで52馬力を出したという
このエンジンはラングレー教授の助手の機械技師のチャールズ・マンリーが製作した
○ラングレー教授はこの模型飛行機をギリシャ語の「空中を走るもの」という意味で(実際は「飛行場」を意味する)エアロドロームと名付けた
★ガソリン自動車の発明
○オットー(ドイツ)は1861年に「4サイクル・エンジン」の原理を発明し、10年以上の研究のすえ、1876年に最初の4サイクル・エンジンを完成した
最初は石炭ガスで動いたがのちにガソリンエンジンとなった
・オットーのドイツガス発動機会社の工場長ダイムラーは、マイバッハとともに1882年に独立、エンジンの試験工場を設立した
1885年、ダイムラーはガソリンエンジン付き2輪車(つまりオートバイ)を作った
1886年には4輪馬車にエンジン(460cc、1.1馬力)を取り付けたガソリン自動車を作った
1885年、ベンツは4サイクル・エンジンを製作し、1886年ガソリンエンジン付き3輪車を作った
ダイムラーとベンツは1926年に合併し社名をダイムラー・ベンツとした
★エアロドロームの飛行実験
○1903年10月7日、ラングレー教授はポトマック川に浮かべた屋形船上の発射台からエアロドロームを発射しようとした
チャールズ・マンリーが救命胴衣を身につけて、ゴーグルをつけて操縦席に乗り込んだ
エンジンの回転数を上げ、機体を引っ張っているバネの発射装置をはずすように合図を送った
機体は前方へ飛び出したとたんポトマック川に墜落した
マンリーは救出されたが、機体の修理に1カ月以上かかり、12月8日に2回目の飛行が試みられた
2回目の飛行実験でも同じく川に墜落し、失敗に終わった
ラングレー教授は以後の飛行実験を断念し、1906年に世を去った
・ラングレー教授の失敗を国中の新聞がおもしろおかしく酷評し、ニューヨーク・タイムズ紙は「人を乗せる飛行機はいずれできるだろうが、それは数学者と技術者が100万年から200万年も、地道に研究を積み重ねたうえでのことだ」と論評した
いいかげんな新聞記事であった
◎100万年も待つことはなく、9日後の12月17にライト兄弟が初の動力飛行に成功する