◎OSAKA仰天ヒストリー諸説あり!!
★9.14 読売TV「OSAKA仰天ヒストリー諸説あり!!」で紹介されたものから
1 大阪には日本一の国技館があった
○大阪国技館
・明治に、東京相撲協会と大阪相撲協会が成立した
明治42年、東京相撲協会の常設相撲場として両国国技館(初代)が完成
これに対して大阪相撲協会が建てたのが大阪国技館である
・大阪国技館は1919年(大正8年)9月12日、現在の大阪市浪速区の新世界ルナパーク南側(通天閣の近く)に大阪相撲を中心とした興行開催を目的にオープンした(収容人数1万人)
しかし大阪相撲はすでに衰退期を迎えており、1925年の本場所を最後に相撲興行を停止した
1928年には映画館、劇場として活用されるようになり、松竹キネマの映画や大阪松竹少女歌劇のレビューを興行した
やがて、1925年の大阪大空襲で建物は焼失した
◎大阪大国技館
・1927年、東京、大阪の相撲協会がいったん解散し、大日本相撲協会が発足
・大日本相撲協会の興行施設として昭和12年(1937年)に再び大阪につくられたのが大阪大国技館(大阪関目国技館とも呼ばれた)である
大阪大国技館は昭和12年3月、地元の有力者、相撲ファン、建設業者によって現在の大阪市城東区に建設された
鉄筋コンクリート4階建てのドーム建築で、収容人数25000人(現在の両国国技館の収容人数は約11000人)
広さは東京ドームの約1.5倍
昭和16年戦局の悪化から、4年で7回の準本場所を開催しただけで、相撲興行は中断
戦時中は倉庫や工場として転用され、戦後は進駐軍に接収された
昭和26年(1951年)ごろに取り壊された
現在、跡地にはマンションが建っている
2 大阪には世界一のプールがあった
○大阪プール
・大阪市港区にある大阪市営の水泳・アイススケート場
◎旧大阪プール
・1950年に日米国際水泳選手権の開催のため、大阪市北区の扇町公園の敷地内に建設された(現存する「扇町プール」とは別物である)
競技用50mプールと飛び込み用プールを備えていた
・U字形に囲む常設スタンドの観客収容人数は約25000人で、ギネスブックにも掲載されていた
スタート台に背泳のスタート用の握り手がつけられたのも最初の工夫であった
○シーズンオフには、ステージを設けてスポーツ、コンサート、集会にも利用された
○プロレス
・1957.10.13 NWA世界ヘビー級選手権試合(61分3本勝負) 大阪・旧大阪プール
鉄人ルー・テーズ 対 力道山 1対1の引き分け
1本目 ルー・テーズ(バックドロップからの体固め)
2本目 力道山(体固め)
3本目 両者場外へ落ち、リングアウト
ルー・テーズ対力道山のNWA世界ヘビー級選手権の1戦目は1957.10.7 東京・後楽園球場(61分1本勝負) 時間切れ引き分け(0対0)
実際は59分20秒の時、ゴングが鳴らされたという
2戦目が1957.10.13 大阪・旧大阪プール
○映画のロケ
・映画「海の若大将」(主演 加山雄三 相手役は星由里子 「若大将シリーズ」第5作)(1965年公開 宝塚映画制作 配給 東宝)
宝塚映画制作のため、舞台は東京であるが、ロケは多く関西で行われた
田沼雄一(加山雄三)が所属する水泳部のロケでは関西大学のプールが使われた
クライマックスの日豪対抗水泳大会のシーンで、京南大学水産学部水泳部のエースの加山雄三が泳ぐ
その場面に旧大阪プールが登場する
・現在、扇町公園にはモニュメントとしてスタート台が残されている
★9.14 読売TV「OSAKA仰天ヒストリー諸説あり!!」で紹介されたものから
1 大阪には日本一の国技館があった
○大阪国技館
・明治に、東京相撲協会と大阪相撲協会が成立した
明治42年、東京相撲協会の常設相撲場として両国国技館(初代)が完成
これに対して大阪相撲協会が建てたのが大阪国技館である
・大阪国技館は1919年(大正8年)9月12日、現在の大阪市浪速区の新世界ルナパーク南側(通天閣の近く)に大阪相撲を中心とした興行開催を目的にオープンした(収容人数1万人)
しかし大阪相撲はすでに衰退期を迎えており、1925年の本場所を最後に相撲興行を停止した
1928年には映画館、劇場として活用されるようになり、松竹キネマの映画や大阪松竹少女歌劇のレビューを興行した
やがて、1925年の大阪大空襲で建物は焼失した
◎大阪大国技館
・1927年、東京、大阪の相撲協会がいったん解散し、大日本相撲協会が発足
・大日本相撲協会の興行施設として昭和12年(1937年)に再び大阪につくられたのが大阪大国技館(大阪関目国技館とも呼ばれた)である
大阪大国技館は昭和12年3月、地元の有力者、相撲ファン、建設業者によって現在の大阪市城東区に建設された
鉄筋コンクリート4階建てのドーム建築で、収容人数25000人(現在の両国国技館の収容人数は約11000人)
広さは東京ドームの約1.5倍
昭和16年戦局の悪化から、4年で7回の準本場所を開催しただけで、相撲興行は中断
戦時中は倉庫や工場として転用され、戦後は進駐軍に接収された
昭和26年(1951年)ごろに取り壊された
現在、跡地にはマンションが建っている
2 大阪には世界一のプールがあった
○大阪プール
・大阪市港区にある大阪市営の水泳・アイススケート場
◎旧大阪プール
・1950年に日米国際水泳選手権の開催のため、大阪市北区の扇町公園の敷地内に建設された(現存する「扇町プール」とは別物である)
競技用50mプールと飛び込み用プールを備えていた
・U字形に囲む常設スタンドの観客収容人数は約25000人で、ギネスブックにも掲載されていた
スタート台に背泳のスタート用の握り手がつけられたのも最初の工夫であった
○シーズンオフには、ステージを設けてスポーツ、コンサート、集会にも利用された
○プロレス
・1957.10.13 NWA世界ヘビー級選手権試合(61分3本勝負) 大阪・旧大阪プール
鉄人ルー・テーズ 対 力道山 1対1の引き分け
1本目 ルー・テーズ(バックドロップからの体固め)
2本目 力道山(体固め)
3本目 両者場外へ落ち、リングアウト
ルー・テーズ対力道山のNWA世界ヘビー級選手権の1戦目は1957.10.7 東京・後楽園球場(61分1本勝負) 時間切れ引き分け(0対0)
実際は59分20秒の時、ゴングが鳴らされたという
2戦目が1957.10.13 大阪・旧大阪プール
○映画のロケ
・映画「海の若大将」(主演 加山雄三 相手役は星由里子 「若大将シリーズ」第5作)(1965年公開 宝塚映画制作 配給 東宝)
宝塚映画制作のため、舞台は東京であるが、ロケは多く関西で行われた
田沼雄一(加山雄三)が所属する水泳部のロケでは関西大学のプールが使われた
クライマックスの日豪対抗水泳大会のシーンで、京南大学水産学部水泳部のエースの加山雄三が泳ぐ
その場面に旧大阪プールが登場する
・現在、扇町公園にはモニュメントとしてスタート台が残されている