(1)古代オリエント世界 4
4 オリエント世界の統一
〈アッシリアの統一〉
・アッシリア人は前2500~2000頃にティグリス川中流の北メソポタミアに建国した。
・アッシリアの名は、最初の首都アッシュルまたは天神アッシュルに由来する。
・前15世紀ごろミタンニに服属するが、前14世紀中ごろミタンニから独立を回復。
・前9世紀前半、全アッシリア王の中で最も残忍な王アッシュルナツィパル2世が首都をニネヴェからカルフに移し、人々を強制移住させた。
・センナケリブ王のとき首都をニネヴェに移し、その子エサルハドンは前671年、エジプト(第25王朝)の首都メンフィスを落とした。
・アッシュルバニパル王のとき、アッシリアの最大版図となった。
・アッシュルバニパル王は、ニネヴェに大図書館を建設し、古代メソポタミアに関する記録や文学作品の粘土板のコレクションを大量に収集していた。
・ニネヴェの大図書館には22000枚以上の粘土板文書、文学、歴史、哲学、医学、天文学に関する文献と商業文書が収蔵されていた。
・アッシリアは、各地の支配者を一掃し、代わりにアッシリア人の「総督」を派遣した。
・各地の住民たちも追い払われ、別の場所に強制移住させられた。
・前612年、メディアと新バビロニア(カルデア)の連合軍によって首都ニネヴェが落とされ、アッシリアは滅亡した。
〈4王国分立時代〉
・こうして、アケメネス朝ペルシアがオリエントを再統一するまで、エジプト(第26王朝)・リディア・新バビロニア・メディアの4王国が分立した。
★リディア
・世界最古の金属貨幣をつくった。鋳造ではなく、溶かした金属に刻印を押してつくったもの。
★新バビロニア(前625~538年)
・カルデア人のナボポラッサルによって創設された。首都はバビロン。
・ネブカドネザル2世の時代が最盛期。
★ネブカドネザル2世
・ユダ王国を滅ぼし、「バビロン捕囚」を行った。
・ジッグラト(バベルの塔)の造営。
・バベルはヘブライ語でバビロンのこと。
・イシュタル門
・「空中庭園」付き宮殿
・「空中庭園」は古代世界の7不思議の1つにあげられるが、「空中庭園」がバビロンに実在していたかどうかについては疑問がある。
・新バビロニアは前538年、アケメネス朝のキュロス2世に滅ぼされ、ペルシアの属州となった。
〈アケメネス朝ペルシアのオリエント再統一〉
・オリエントのほぼ全域を支配した史上初の世界帝国(前550~330年)。
・前7世紀ペルシア人はイラン高原南西部パールサ地方(現ファールス)に定着した。
・最初はメディアに服属していたが、前550年、アカイメネス家キュロス2世の指導のもとにメディアを倒して独立。
・前546年にはリディアを、前538年には新バビロニアを滅ぼした。
・キュロス2世の子、カンピュセス2世は前525年エジプト(第26王朝)を征服し、エジプト第27王朝の初代ファラオとして即位した。
・第3代ダレイオス1世のときに、東はインダス川流域から西はエーゲ海北岸にいたる大帝国に発展した。
・ペルシア戦争に敗北した。
・ダレイオス3世がアレクサンドロス大王の東征を受け、イッソスの戦いやアルベラの戦いに敗れ、前330年バクトリアの総督に殺されて、アケメネス朝ペルシアは滅亡した。
〈ダレイオス1世の諸改革〉
◎サトラップ制を帝国全土に適用し制度化した。
◎「王の道」
◎エジプトにおいてナイル川と紅海を結ぶ運河を完成させた。
◎早馬を利用した騎馬急使の制度
◎帝国の公用語としてアラム語を採用した
◎帝国共通の金貨・銀貨を発行した
◎ペルセポリスの建設
★サトラップ制
・ダレイオス1世は、免税特権を認められた1行政区と納税義務を課せられた20行政区に帝国を分割し、各行政区に総督(サトラップ)を任命し、銀あるいは金による年間納税額を帝国指定の重量単位に基づいて決定した。
・サトラップには王族やペルシア人貴族が選ばれ、「王の代理人」として派遣されたペルシア人サトラップを介して、中央集権体制が確立する。
・サトラップのもとには、その行動・職務を監視するための「王の目」「王の耳」と呼ばれる監察官が派遣された。
・ダレイオス1世は、被征服地の人々が納税・軍役の義務を守る限り、原則として被征服地内部の問題に介入することはさけ、彼らに固有の言語・宗教・法、伝統・慣習を容認した。
・また被征服地の旧支配層も、王に対する忠誠を表明しサトラップの地方行政に協力するかぎり、現地における支配的な地位を保証された。
★「王の道」
・ペルシア帝国時代のもっとも有名な、帝都スーサから小アジアのサルディスにいたる約2400kmの幹線道路である。
・20~30km間隔に111の宿駅(宿泊施設をもつ)が設置され、要所には関門や衛兵所が設けられ、街道の治安はよく保たれていた。
・ペルセポリスとスーサのあいだにも同様の「王の道」が整備されていた。
・宿駅には「旅行者」に食糧と馬糧を供給する穀物庫が併設され、駅馬が準備されていた。
・王や高官の発行する「押印文書」を持つ王族や公務旅行者などに対しては、宿駅における食糧と馬糧の無料受給が保証されていた。
・特別の保護や案内を必要とする「旅行者」に対しては、道中の安全・便宜をはかるために「押印文書」を与えられた「王室所属のガイド」が同行した。
・幹線道路の一部には、すでに路面に切石や砂利・砕石が敷き詰められていたという。
・「王の道」を利用して各地から王、中央政府のもとに情報がもたらされた。
★早馬を利用した騎馬急使の制度
・通過する宿駅で、馬を交替するとか使者を交替するとかして、リレー方式で書状を届ける。
★帝国の公用語としてアラム語を採用
・アラム語は外交用語・商業用語として広くオリエントに普及していた。
・王のことばは、書記によってアラム語に訳され地方に送付され、地方からの情報もアラム語で作成され、書記によって王の前で読まれた。
★帝国共通の金貨・銀貨を発行
・金貨の鋳造権は王が独占したが、銀貨の鋳造権はサトラップにも認められた。
・金貨は純度98%、銀貨は純度90%以上というきわめて良質の貨幣だった。
・しかし、その純度の高さから他の貴金属とともに使用されずにしまいこまれて、ごく一部の地域を除いて流通することはなかった。
★ペルセポリスの建設
・ダレイオス1世は新年祭ノー・ルーズを祝うための聖都としてペルセポリスの建設に着手した。
・新年祭ノー・ルーズは、宇宙創造神話を象徴的に繰り返すことによって世界を更新しようとするもの。
・ペルセポリスは政治上の首都ではない。
4 オリエント世界の統一
〈アッシリアの統一〉
・アッシリア人は前2500~2000頃にティグリス川中流の北メソポタミアに建国した。
・アッシリアの名は、最初の首都アッシュルまたは天神アッシュルに由来する。
・前15世紀ごろミタンニに服属するが、前14世紀中ごろミタンニから独立を回復。
・前9世紀前半、全アッシリア王の中で最も残忍な王アッシュルナツィパル2世が首都をニネヴェからカルフに移し、人々を強制移住させた。
・センナケリブ王のとき首都をニネヴェに移し、その子エサルハドンは前671年、エジプト(第25王朝)の首都メンフィスを落とした。
・アッシュルバニパル王のとき、アッシリアの最大版図となった。
・アッシュルバニパル王は、ニネヴェに大図書館を建設し、古代メソポタミアに関する記録や文学作品の粘土板のコレクションを大量に収集していた。
・ニネヴェの大図書館には22000枚以上の粘土板文書、文学、歴史、哲学、医学、天文学に関する文献と商業文書が収蔵されていた。
・アッシリアは、各地の支配者を一掃し、代わりにアッシリア人の「総督」を派遣した。
・各地の住民たちも追い払われ、別の場所に強制移住させられた。
・前612年、メディアと新バビロニア(カルデア)の連合軍によって首都ニネヴェが落とされ、アッシリアは滅亡した。
〈4王国分立時代〉
・こうして、アケメネス朝ペルシアがオリエントを再統一するまで、エジプト(第26王朝)・リディア・新バビロニア・メディアの4王国が分立した。
★リディア
・世界最古の金属貨幣をつくった。鋳造ではなく、溶かした金属に刻印を押してつくったもの。
★新バビロニア(前625~538年)
・カルデア人のナボポラッサルによって創設された。首都はバビロン。
・ネブカドネザル2世の時代が最盛期。
★ネブカドネザル2世
・ユダ王国を滅ぼし、「バビロン捕囚」を行った。
・ジッグラト(バベルの塔)の造営。
・バベルはヘブライ語でバビロンのこと。
・イシュタル門
・「空中庭園」付き宮殿
・「空中庭園」は古代世界の7不思議の1つにあげられるが、「空中庭園」がバビロンに実在していたかどうかについては疑問がある。
・新バビロニアは前538年、アケメネス朝のキュロス2世に滅ぼされ、ペルシアの属州となった。
〈アケメネス朝ペルシアのオリエント再統一〉
・オリエントのほぼ全域を支配した史上初の世界帝国(前550~330年)。
・前7世紀ペルシア人はイラン高原南西部パールサ地方(現ファールス)に定着した。
・最初はメディアに服属していたが、前550年、アカイメネス家キュロス2世の指導のもとにメディアを倒して独立。
・前546年にはリディアを、前538年には新バビロニアを滅ぼした。
・キュロス2世の子、カンピュセス2世は前525年エジプト(第26王朝)を征服し、エジプト第27王朝の初代ファラオとして即位した。
・第3代ダレイオス1世のときに、東はインダス川流域から西はエーゲ海北岸にいたる大帝国に発展した。
・ペルシア戦争に敗北した。
・ダレイオス3世がアレクサンドロス大王の東征を受け、イッソスの戦いやアルベラの戦いに敗れ、前330年バクトリアの総督に殺されて、アケメネス朝ペルシアは滅亡した。
〈ダレイオス1世の諸改革〉
◎サトラップ制を帝国全土に適用し制度化した。
◎「王の道」
◎エジプトにおいてナイル川と紅海を結ぶ運河を完成させた。
◎早馬を利用した騎馬急使の制度
◎帝国の公用語としてアラム語を採用した
◎帝国共通の金貨・銀貨を発行した
◎ペルセポリスの建設
★サトラップ制
・ダレイオス1世は、免税特権を認められた1行政区と納税義務を課せられた20行政区に帝国を分割し、各行政区に総督(サトラップ)を任命し、銀あるいは金による年間納税額を帝国指定の重量単位に基づいて決定した。
・サトラップには王族やペルシア人貴族が選ばれ、「王の代理人」として派遣されたペルシア人サトラップを介して、中央集権体制が確立する。
・サトラップのもとには、その行動・職務を監視するための「王の目」「王の耳」と呼ばれる監察官が派遣された。
・ダレイオス1世は、被征服地の人々が納税・軍役の義務を守る限り、原則として被征服地内部の問題に介入することはさけ、彼らに固有の言語・宗教・法、伝統・慣習を容認した。
・また被征服地の旧支配層も、王に対する忠誠を表明しサトラップの地方行政に協力するかぎり、現地における支配的な地位を保証された。
★「王の道」
・ペルシア帝国時代のもっとも有名な、帝都スーサから小アジアのサルディスにいたる約2400kmの幹線道路である。
・20~30km間隔に111の宿駅(宿泊施設をもつ)が設置され、要所には関門や衛兵所が設けられ、街道の治安はよく保たれていた。
・ペルセポリスとスーサのあいだにも同様の「王の道」が整備されていた。
・宿駅には「旅行者」に食糧と馬糧を供給する穀物庫が併設され、駅馬が準備されていた。
・王や高官の発行する「押印文書」を持つ王族や公務旅行者などに対しては、宿駅における食糧と馬糧の無料受給が保証されていた。
・特別の保護や案内を必要とする「旅行者」に対しては、道中の安全・便宜をはかるために「押印文書」を与えられた「王室所属のガイド」が同行した。
・幹線道路の一部には、すでに路面に切石や砂利・砕石が敷き詰められていたという。
・「王の道」を利用して各地から王、中央政府のもとに情報がもたらされた。
★早馬を利用した騎馬急使の制度
・通過する宿駅で、馬を交替するとか使者を交替するとかして、リレー方式で書状を届ける。
★帝国の公用語としてアラム語を採用
・アラム語は外交用語・商業用語として広くオリエントに普及していた。
・王のことばは、書記によってアラム語に訳され地方に送付され、地方からの情報もアラム語で作成され、書記によって王の前で読まれた。
★帝国共通の金貨・銀貨を発行
・金貨の鋳造権は王が独占したが、銀貨の鋳造権はサトラップにも認められた。
・金貨は純度98%、銀貨は純度90%以上というきわめて良質の貨幣だった。
・しかし、その純度の高さから他の貴金属とともに使用されずにしまいこまれて、ごく一部の地域を除いて流通することはなかった。
★ペルセポリスの建設
・ダレイオス1世は新年祭ノー・ルーズを祝うための聖都としてペルセポリスの建設に着手した。
・新年祭ノー・ルーズは、宇宙創造神話を象徴的に繰り返すことによって世界を更新しようとするもの。
・ペルセポリスは政治上の首都ではない。