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◎大洪水の物語 2 シュメル神話の世界より 1

2013-08-13 15:49:22 | HKT48 AKB48
◎大洪水の物語 2 シュメル神話の世界より 1

★シュメル人は紀元前4000年紀(前4000~3001年)後半にメソポタミア南部のシュメル地方(現在のイラクのペルシャ湾付近)に登場し、人類最古の都市文明「古代メソポタミア文明」を生み出した

◎以下、おもに「シュメル神話の世界」岡田明子、小林登志子 著 中公新書および「シュメル」―人類最古の文明 小林登志子 著 中公新書 によります

★「メソ」は「中間」、「ポタミア」は「河(ポタモス)の」というギリシャ語で、古代ギリシャ人は、ティグリス河とユーフラテス河の両河にはさまれた地域を「メソポタミア」と呼んだ

★メソポタミアは南北大きく2つの地方に分けられ、
北方はアッシリア(「アッシュルの土地」)
南方はバビロニア(「バビロンの土地」)と称された

バビロニア地方はニップル市を境として、さらに南北に分けられ
北部をアッカド地方
南部をシュメル地方といった

・「シュメル」はアッカド語の呼称で、シュメル人自身は「キエンギ」と呼んだ

最古の文字は紀元前3200年頃、シュメルのウルク市で生まれた
 それは楔形文字ではなく、絵文字であり、ウルク古拙(こせつ)文字といわれる

・「トークン」という2cm前後の大きさの粘土製品があった
 「トークン」は円すい、円盤、球、棒などの幾何学形をしていて、穀物や家畜を管理する必要から、物の数量や種類を記録するための道具であった
 「単純トークン」からさらに多様な形をした「複合トークン」が発達した
 このトークンを粘土板に押し付けたのが、ウルク古拙文字の祖形であるという

・前3200年頃のウルク古拙文書(古拙文字が書かれた粘土板)が発見されていて、約1000文字が使用されているが、完全に解読されてはいない

★ウルク古拙文字は表語文字であったが、前2500年頃には表音文字も登場し、文字の数も約600に整理され、シュメル語が完全に表記されるようになった

ウルク古拙文字から楔形文字へ

・1本でさまざまな形を作り出せる葦(あし)のペンが工夫されて、書き始めが3角形の楔形になる文字が書かれるようになり、こうして楔形文字が誕生した
 葦のペンの一方の端は3角形になっていて、ここを押し付けると楔形ができる

★楔形文字はシュメル語を書くための表語文字であったが、やがて表音文字として使われ、他民族に借用された

・アッカド語、ウガリト語、エラム語、古代ペルシャ語、ヒッタイト語などはシュメル語の文字を借用した言語である

★シリアのウガリトで使われていたウガリト語は、楔形文字を単音文字(アルファベット)として使い、30字の簡略化された楔形文字になっていた

★前1000年紀の新アッシリア帝国では、アラム語がアッカド語とともに使われ、やがてアラム語がアッカド語にとってかわる
 アッカド語楔形文字よりも、フェニキア文字から発達した22字の単音文字で表記されるアラム語のほうが便利であった
 やがてフェニキア文字の系統がアルファベットとして現代まで残ることになった

★シュメルでは、文字を読み書きできる書記を養成する学校があった

・学校はシュメル語でエドゥブバ「粘土板の家」と呼ばれた
 「粘土板の家の父」は先生で、「粘土板の家の子」が生徒にあたる

・学校を題材とした文学作品もあった
 学校に通う生徒の1日を伝える「学校時代」という作品によると
 遅刻できないから朝早く起こして下さいと父にお願いしたとか、昼の弁当に2枚のニンダ(「パン」)を持っていったこと、答えが間違ったときには先生にムチで叩かれたと書かれている

・1日の食事は、朝食はなく昼と夜の2回だったようである
・学校には1か月30日のうち24日通い、「詰め込み教育」だった
・楔形文字の読み書き、シュメル語、算数では60進法の掛け算(畑の面積の計算)、壁を作るのに必要なレンガの数の計算など(書記は物品の管理や畑の検地などを行なった)、法律、神話、音楽などさまざまな教科が教えられていた

・義務教育ではなく、通えるのは少数の裕福な家庭の男子で、無事終了すれば書記になれた
・書記は現代の役人にあたり、シュメル社会のエリートである

・学校には図書館があって、粘土板に書かれた文学作品が保管されていた
 神話、叙事詩、讃歌などがあったが、大多数は詩の形式だった

・「シュメル神話」も出土した図書館の「図書目録」のなかに入っていた

古代バビロニアの数学

・バビロニア人は1年を360日とし、それを各30日からなる12か月に分けていた(ときどき余分な月をつけ加えて実際の季節と合わせていた)
 1日を12の2時間にわけ、1時間を60分、1分を60秒に分けた

・エジプトの記数法は10進法だったが、ゼロにあたる記号はなく、位取りの原理は持っていなかった
・バビロニアの記数法は基本的には60進法(10進法を補助的に使用する)で、ゼロにあたる記号はなくゼロは空白で表した
 しかし、けたの位置によって表す数が決まるという位取りの原理を持っていて、現代と同じような書き方で並べて数(楔形文字で表現された数字)を表した
 各けたの数は規則的に10進法を用いて書いていた

・バビロニアの60進法は度量衡制度に由来すると考えられている
 長さの基本単位はキュービットで、1ミリア=60スタディ、1スタディ=360キュービット、1キュービット=30ディジット

・乗法は掛け算表を用いて計算した
・除法は逆数を掛けるという方法で計算をした(逆数表を作っておいた)

・粘土板文書のなかには、2次方程式の解法や、連立方程式の解法が記載されているものがある

・バビロニアでは円の面積が近似的に求められていた
 内接する正12角形の面積<円の面積<外接する正12角形の面積
の関係から、内接・外接する正12角形の面積を求め、その平均値を円の面積とした

・バビロニアにおける円周率の値は3.125(エジプトでは3.16

・「3平方の定理」に相当する内容も知られていた
 「3平方の定理」の本当の発見者はピタゴラスではなく、古代インドのヒンドゥー教の僧侶であろう(「シュルバス-トラ」)

◎しかし、「3平方の定理」が正しいことを論理的に示した記録は残されていない
 1つは、秘術として公表しなかった
 それよりも、実用性があればいいということで、「証明」という考えがなかったのかも知れない
 今ならば、「定理」が正しいことは「証明」する必要がある
 「○○予想」は、「真」であるかも知れないが、いまだ真か偽か「証明」されていない段階で、もし真であると「証明」されたら、それは「定理」となる


粘土板文書の前後関係

・粘土板文書は、表面から左から右に向けて何蘭か書きこんでから、そのまま上下の方向で裏返しにし、今度は右から左に何蘭か書きこむ
 次に別の書板に書きつづける時は、直前の書板の最後の1行を繰り返す
 これによって、書板の前後関係が明瞭になる(「ギルガメシュ叙事詩」矢島文夫 訳 ちくま学芸文庫)

シュメル神話の洪水伝説

1 シュメル語版「大洪水伝説」
2 「ギルガメシュ叙事詩」第11書板の「大洪水の物語」


シュメル起源の「大洪水伝説」は、旧約聖書の「創世記」の「ノアの洪水」の物語へ継承される

1 シュメル語版「大洪水伝説」(おもに「シュメル神話の世界」岡田明子、小林登志子 著 中公新書)

・前2000年紀前半の古バビロニア時代にシュメル語で粘土板に書かれたもので、ニップル市から出土した
・現在さかのぼれる世界最古の「洪水伝説」である
・物語全体の4分の1ぐらいしか残っていない
・主人公はジウスドゥラ(シュメル語で「永遠の生命」を意味する)という

◎主に登場するのは
・ジウスドゥラ王 不死を得た王
・アン神 天空神でエンリル神の父
・エンリル神 シュメルの最高神、大気神
・エンキ神 知恵の神

シュメル語版「大洪水伝説」 大洪水

 神々は人間を滅ぼすために大洪水を送る決定をする
 この決定は「アン神とエンリル神の名前にかけて誓われた」ことで止めることはできない。だが、人間を滅ぼすことをイナンナ女神は嘆き、エンキ神はよく考えてみた
 ジウスドゥラ王は神官でもあって、神々を恐れ敬う、慎み深い人間であった
 ジウスドゥラは壁際でエンキから「洪水によって都市を一掃し、人間の種を滅ぼすことは神々の会議の決定である」とのお告げを聞く
 この後、ジウスドゥラはお告げに従って巨大な船をつくり、大洪水にそなえた
 やがて、凄まじい嵐がやってきて、大洪水が起こった

 7日と7晩の間、大洪水が国土で暴れ、巨大な船が洪水の上を漂った後で、
ウトゥ神(太陽神)が昇ってきて、天と地に光を放った
 ジウスドゥラは巨大な船の窓を開いた

 大洪水が引いた後でジウスドゥラは船から出て、神々へ牡牛と羊を犠牲に捧げた

 アン神とエンリル神はジウスドゥラに「永遠の生命」を与え、なおかつ人間と動物の種を救済したゆえに、海のかなた、東方にあるディルムンの地に彼を住まわせた