◎飛行機 9 ライト兄弟 1
◎ライト兄弟について、おもに
「ライト兄弟」富塚 清 著、三樹書房
「ライト兄弟」ラッセル・フリードマン 著、偕成社
をもとに、簡単にまとめてみました
★ライト一家
・ライト兄弟の兄のウィルバー・ライトは1867年4月16日、インディアナ州ミルビル近郊の農場に生まれた
・弟のオービル・ライトは1871年8月19日、オハイオ州デイトンのホーソン街7番地の自宅で生まれた
・ウィルバーには、長男ロイクリン(1861年3月生まれ)と次男ローリン(1862年11月生まれ)の2人の兄がいて、ウィルバーは第三子となる
・ウィルバーの次に、双子が生まれたが早くに亡くなった
・ライト一家は1869年にオハイオ州デイトンに移り住み、そこでオービルが生まれた
・一番末に、妹のカザリンが生まれた(1874年8月19日で兄オービルと同じ日である)
・父のミルトンはプロテスタントの一教派の同胞教会の牧師で手先が器用ではなかったが、母のスーザンは器用で、道具類は自分で直し、子どもたちの玩具はすぐ買い与えるのではなく、子どもたちが自力で作るように仕向けた
玩具が壊れたときも、どうすれば直るか考えさせ、子どもたちに工夫させるようにした
★そり作り
・1878年の冬、ウィルバー(11歳)、オービル(7歳)、妹カザリン(4歳)
の3人はビック・キルという丘に遊びに行った
他の子どもたちは、木製のそりを持っていて、それで雪の斜面をすべって遊んでいた
ライト兄弟はそりを持っていなくて、他の子に乗せてもらったが満足できなかった
母のスーザンは買ってあげられないけれど、皆で考えて自分たちで作ってみることにしましょうと言った
「お母さん、作り方知ってるの」
「わたしだって初めてよ。でもよく考えてやってみたら、きっと出来るわ」
と、そり作りを始めた
スーザンは兄弟たちが、物置に走り出すのをとめて
「焦ってはだめ。いつもお母さんが服を作るとき、まず図を描いてみるでしょう。
あのようにしなくてはだめよ。
まず、画用紙と鉛筆、それと定規と物指しを持ってらっしゃい」
4人はそりの設計を始めた
ただ滑れるだけではなく、従来のそりの欠点を改良してもっと性能のよいものにしようとした
スーザンは数学や物理の知識を使って説明しながら図面を描いていった
「あとはこの形に合わせて作るだけです」
「お母さん、やってくれる」
「まず、あなたたちだけで、やれるだけやってごらんなさい。困ったら助けますけどね。」
母親には難しい場所の工作は助けてもらって、3日ばかり作業したところうまく形になった
抵抗を減らそうと、そりの下の滑り面はヤスリで磨いて、ろうを塗った
そりが完成して、他の子どもたちと競争することになり大勝利した
その次に、兄弟たちは方向を変えることがうまくできるように、舵を取り付けた
舵が付いたそりは、ほかにはなく、ライト兄弟のそりは近隣では無敵となった
★父親の土産のヘリコプター
◎ライト兄弟が飛ぶことに初めて興味を持ったきっかけは、父のミルトン・ライトが帰宅するときに持ち帰った土産だった
・1878年の秋、兄ウィルバーが11歳、弟オービルが7歳のときのこと、父親が土産を持って帰ってきた
「とても素晴らしいものだよ」
「なんだろう」
「わたしも初めて見て、珍しいと思って奮発して買ってきたのだから」
「そら」と父がそれを手放すと、ばたばたと生きているように飛んだ
やがて床に落ちて、手にとって調べると、それはコルクと竹と紙とゴムひもでできたおもちゃだった
ウィルバーとオービルはそれを「こうもり」と呼んだが、父親はヘリコプターというものだと説明した
・竹と紙でできた2枚のプロペラが上下におかれ、それを1本のねじったゴムひもが互いに反対方向に回す仕掛けになっていた
○このとき兄弟は、「飛びたい」と真剣に思ったという
・工作に自信があった彼らもこのときはヘリコプターを作ることはできなかった
○ヘリコプター作りを始めたのは3年後のこと、ウィルバーが14歳のときである
小型のものはうまく作れた
ところが大きく拡大したものを作ろうとすると、プロペラが曲がったり、プロペラを改良すると重くなってゴムの力では回せなくなったり、どうしてもうまくいかなった
とうとう兄弟は、ヘリコプター作りはやめてしまった
のちに飛行機作りにのりだしてからも、兄弟はヘリコプターに手を出すことはなかった
◎ライト兄弟について、おもに
「ライト兄弟」富塚 清 著、三樹書房
「ライト兄弟」ラッセル・フリードマン 著、偕成社
をもとに、簡単にまとめてみました
★ライト一家
・ライト兄弟の兄のウィルバー・ライトは1867年4月16日、インディアナ州ミルビル近郊の農場に生まれた
・弟のオービル・ライトは1871年8月19日、オハイオ州デイトンのホーソン街7番地の自宅で生まれた
・ウィルバーには、長男ロイクリン(1861年3月生まれ)と次男ローリン(1862年11月生まれ)の2人の兄がいて、ウィルバーは第三子となる
・ウィルバーの次に、双子が生まれたが早くに亡くなった
・ライト一家は1869年にオハイオ州デイトンに移り住み、そこでオービルが生まれた
・一番末に、妹のカザリンが生まれた(1874年8月19日で兄オービルと同じ日である)
・父のミルトンはプロテスタントの一教派の同胞教会の牧師で手先が器用ではなかったが、母のスーザンは器用で、道具類は自分で直し、子どもたちの玩具はすぐ買い与えるのではなく、子どもたちが自力で作るように仕向けた
玩具が壊れたときも、どうすれば直るか考えさせ、子どもたちに工夫させるようにした
★そり作り
・1878年の冬、ウィルバー(11歳)、オービル(7歳)、妹カザリン(4歳)
の3人はビック・キルという丘に遊びに行った
他の子どもたちは、木製のそりを持っていて、それで雪の斜面をすべって遊んでいた
ライト兄弟はそりを持っていなくて、他の子に乗せてもらったが満足できなかった
母のスーザンは買ってあげられないけれど、皆で考えて自分たちで作ってみることにしましょうと言った
「お母さん、作り方知ってるの」
「わたしだって初めてよ。でもよく考えてやってみたら、きっと出来るわ」
と、そり作りを始めた
スーザンは兄弟たちが、物置に走り出すのをとめて
「焦ってはだめ。いつもお母さんが服を作るとき、まず図を描いてみるでしょう。
あのようにしなくてはだめよ。
まず、画用紙と鉛筆、それと定規と物指しを持ってらっしゃい」
4人はそりの設計を始めた
ただ滑れるだけではなく、従来のそりの欠点を改良してもっと性能のよいものにしようとした
スーザンは数学や物理の知識を使って説明しながら図面を描いていった
「あとはこの形に合わせて作るだけです」
「お母さん、やってくれる」
「まず、あなたたちだけで、やれるだけやってごらんなさい。困ったら助けますけどね。」
母親には難しい場所の工作は助けてもらって、3日ばかり作業したところうまく形になった
抵抗を減らそうと、そりの下の滑り面はヤスリで磨いて、ろうを塗った
そりが完成して、他の子どもたちと競争することになり大勝利した
その次に、兄弟たちは方向を変えることがうまくできるように、舵を取り付けた
舵が付いたそりは、ほかにはなく、ライト兄弟のそりは近隣では無敵となった
★父親の土産のヘリコプター
◎ライト兄弟が飛ぶことに初めて興味を持ったきっかけは、父のミルトン・ライトが帰宅するときに持ち帰った土産だった
・1878年の秋、兄ウィルバーが11歳、弟オービルが7歳のときのこと、父親が土産を持って帰ってきた
「とても素晴らしいものだよ」
「なんだろう」
「わたしも初めて見て、珍しいと思って奮発して買ってきたのだから」
「そら」と父がそれを手放すと、ばたばたと生きているように飛んだ
やがて床に落ちて、手にとって調べると、それはコルクと竹と紙とゴムひもでできたおもちゃだった
ウィルバーとオービルはそれを「こうもり」と呼んだが、父親はヘリコプターというものだと説明した
・竹と紙でできた2枚のプロペラが上下におかれ、それを1本のねじったゴムひもが互いに反対方向に回す仕掛けになっていた
○このとき兄弟は、「飛びたい」と真剣に思ったという
・工作に自信があった彼らもこのときはヘリコプターを作ることはできなかった
○ヘリコプター作りを始めたのは3年後のこと、ウィルバーが14歳のときである
小型のものはうまく作れた
ところが大きく拡大したものを作ろうとすると、プロペラが曲がったり、プロペラを改良すると重くなってゴムの力では回せなくなったり、どうしてもうまくいかなった
とうとう兄弟は、ヘリコプター作りはやめてしまった
のちに飛行機作りにのりだしてからも、兄弟はヘリコプターに手を出すことはなかった