Windsurfing Hokkaido

北海道でのウインドサーフィン活動や旅行記などの日記

江差追分

2010-11-22 21:29:41 | 日記
昨日は風吹きそうも無いので
第3回おたる産しゃこ祭に行ってきました
 
 

とても良い天気でした
 
 

小樽市漁協も小樽産しゃこをブランド化したいんでしょうね
 
 

場所は「運河公園」
 
 

旧日本郵船小樽支店 のまん前です
 
 

長蛇の列
 
 

皆さんの目当ては
 
 
 

しゃこです
 
詳しくは解りませんが
秋にしゃこが収穫出来るのは小樽だけだとか?
 
並んでまで食べ物を食べる習慣が無いので市内観光に・・・・
 
 

祝津の「日和山灯台」と「鰊御殿」
 
 

日和山灯台
 
 

鰊御殿
 
 
 

赤岩海岸
 
 

ホテルノイシュロスと江差追分節名歌碑
 
おしょろ・たかしま          うたすつ・いそや
「忍路・高島およびもないが、せめて歌棄・磯谷まで」
 
江戸時代、松前藩がこの地を治めていた頃
ニシンを追って漁師は松前や江差から北上しました
当時蝦夷地には陸路がほとんどなく海路に頼っていました
松前・江差から北上し小樽あたりに来るには
積丹半島の突端、神威岬を通るのですが
いつも南西の強風が吹き、しけることが多かったので
神威岬は難所として恐れられていました。
あまりにも海難事故が多いのに困った松前藩は
神威岬から北を女人禁制としたのでした
亭主や恋人を追って行きたい神威岬の先には、忍路や高島(小樽)が
行くことの出来ない神威岬の手前には、歌棄や磯谷(寿都)があります
 
私流、訳
「江差でもう何年も、北へ行った恋人を待っているけれど
彼は今どうしているのだろうか
元気でやっているのだろうか
心配で心配で気が変になりそう
忍路や高島までは、とうてい行きようもないけれど
せめて歌棄か磯谷まで行って
少しでも彼に近づき彼を感じたい
どうか神様私の彼をお守りください・・・・」
ってか
 
寿都町はそんな歴史で当時から女人が北上できる最北端の地として栄えました
私が小学校1年生で寿都町に転校した時には
寿都町と黒松内町間には私鉄「寿都鉄道」が運行していました
既に栄華の影は薄れていましたが
街の規模に似合わない寺の多さと役所の存在に驚かされたものでした
未だにあんな小さな町、寿都に簡易裁判所があります
それと寿都警察署は歴史的にも松前・江差との繋がりが濃い為、函館方面警察署なんです
岩内警察署は札幌方面警察署なので
警察の分水嶺は雷電なんですね
寿都簡易裁判所も函館家庭裁判所の寿都出張所でした
この辺のことは、どうも江差追分にルーツがあるようです
 
電話もメールもない時代の悲しい恋人達の詩でした
 
電話もメールもある今の世
恵まれすぎてるような、そうじゃないような・・・・
どんな世も物じゃなく、心なんですよね
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


コメント (2)
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