Windsurfing Hokkaido

北海道でのウインドサーフィン活動や旅行記などの日記

東日本大震災3

2011-03-24 06:37:38 | 東日本大震災
2011年3月13日(日)
7時20分、新潟県村上市瀬波温泉
「恵みの宿 夕幸の森」を出発
 
 

国道113号線を東へ、まずは南陽市に向い
 
 

そこから国道13号線を北上し、山形市に向いました
山形市までは地震の影響は何も感じませんでしたが
山形市内で急に進行方向左車線が渋滞し始めました
最初は何の渋滞なのか解りませんでしたが
それはガソリンスタンドに並ぶ車の列だったのです
山形市でカー用品店やホーマックなどが開店する時刻にあわせ
新潟の宿を出発して来ましたが
予想よりガソリンなどの緊急物資は遠くまで影響していました
後悔しても始まらず
まずはガソリン携行缶を購入しようと
イエローハットに行きましたが既に昨日で売り切れ
「オートバックス山形深町店」に行き事情を話すと
店の奥から5リッター携行缶を最後のひとつですと出してくれました
ありがとう。助けられました
次に「ホーマック南館店」に行き
ガソリン携行缶や灯油のポリタンクなど購入しようと行きましたが
前日からの混乱からなのか、本来10時の開店が11時開店に変更され
既に開店を待つ長蛇の列でした
そこで1時間並ぶより、向かいのスーパー「ヨークベニマル南館店」に行き
食料品など購入したほうが効率的と判断し行きましたが
開店と同時にレジは長蛇の列
カップ麺やレトルトカレーなど買い物かごに入れレジで約1時間並びなんとか購入しました
 
 

レジを出ると、この店は入場制限で外に長蛇の列でした
 
 

「ホーマック南館店」に戻るとすんなり入ることができました
でもガソリン携行缶は売り切れてました
ひとり数量限定の灯油用ポリタンク2個、ミネラルウォーター2本、電池、ナプキンなどを購入しました
この時点で購入出来ていないのはガソリン・灯油・カセットコンロ用ボンベです
新潟方面に戻って購入して出直すか
このまま進んで購入出来そうなところを探すか、かなり迷いました
地図で仙台までの残りの距離
そして仙台から新潟までの帰路の距離
ガソリンタンクの残量
レンタカー(マツダデミオ)の取扱説明書でガソリンタンク容量を調べ
ややしばらく電卓をはじいて悩みました
結論、「車のガソリンタンクの残量が半分のところまでとりあえず走ろう」でした
山形市を出発し、再び国道13号線を北上
天童市から東へ右折し国道48号線を進みました
天童市を過ぎると急に街並みが少なくなり
店舗やガソリンスタンドの姿はどんどん減っていきました
この時点でほぼガソリンは半分(20.5リッター)です
これ以上進むと被災地に近付きガソリン補給の条件が益々悪化するだけです
とりあえずガソリンスタンドが沢山有った天童市まで戻ることを決断しました
在庫の沢山有りそうな大きなスタンドを選びガソリン給油待ちの行列に並びました
約1時間で給油の順番が来たのですが
給油合計、上限3千円の制限がここで初めて聞かされました
落胆したものの担当の方に事情を話すと
別コーナーに誘導して頂き
なんと、ガソリン満タン
更に、ガソリン携行缶も満タン
更に更に、灯油を18リットルポリタンク2個満タンにしてくれました
山形弁でよく聞き取れませんでしたが
「よ~ぐ、遠い北海道から来てくれたな~」
「東北人を代表してお礼ばいうべ~」
「気をづけて行ってくろ~」
「帰りも待ってるから寄っていげ~」
山形県天童市大字老野森字光戒旦の
トラックステーションの従業員の皆様
本当にありがとうございました
ここでの満タンが無ければ仙台往復は
かないませんでした
天童市からはガソリンも満タンで順調でしたが
 

 

作並温泉付近で若干渋滞がありましたが
 
 

16時15分
無事、仙台市青葉区中山の伯父の家に到着しました
伯父夫婦の無事を確認し
 
 

車で15分ほどの青葉区西花苑の従姉妹の家にも行き
従姉妹とその娘二人の無事を確認できました
どちらの家もライフラインは止まっていましたが
割と高台の為、家屋には大きな被害は有りませんでした
 
 

 

従姉妹の家の裏側50メートル位の宅地で
盛り土の地滑りが原因と思われる家屋倒壊がありました
建築士として自然の力の恐ろしさを眼の当たりにしました
幸いにも怪我人等は無かったらしく不幸中の幸いでした
 

この日は伯父宅に従姉妹達と泊まり停電の中
夕食をみんなで頂く事ができました
 
つづく
 


コメント (2)
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