Windsurfing Hokkaido

北海道でのウインドサーフィン活動や旅行記などの日記

東日本大震災4

2011-03-25 06:59:05 | 東日本大震災
2011年3月14日(月)
寝床に着いたものの余震が頻繁にあり熟睡できません
ラジオの情報のみの原発の影響も気になり
 

深夜起きて仙台から小樽帰宅を計画
 
伯父夫婦・従姉妹とその長女(高3)と二女(中2)を連れ
北海道に帰ろうと考えました
従姉妹の旦那は東京に単身赴任中だし
北海道に連れ帰るのがベストと判断しました
みんなが起きたら説得することにしました
日中は市内大渋滞になるので
夜明け前に仙台市内の被害状況の確認に出かけました

 

市内全域を確認したわけではありませんが
青葉区と泉区の一部を調査した結果
地震の揺れによる外見上建物の被害はほとんど見られませんでした
いくつか車のディーラー店舗のような平屋の建築物の
大きなガラスが割れているものや
建物の内部で天井が一部落ちたり
排煙区画の為の排煙垂れ壁のガラスが割れているものなど
概ね現行の建築基準法の耐震基準の想定内の被害にとどまっていた様に思います
ただし、今回立ち入ることはできませんでしたが
海岸部に近い地域の津波による被害は新聞テレビで報道されている通りです

 

宮城県庁の建物も外見上は被害は無いようです
中心部は電気も復旧して信号も平常通りです

 

但し、山形行きなど都市間バスの停留所は早朝から長蛇の列

 

ガソリンスタンドにも開店前からガソリンと灯油を求める長蛇の列

 

給水が復旧している公園の水飲み場にも飲料水を求める長蛇の列でした

 

 

石積みの擁壁やブロック塀など一部被害が見られます

 

道路にも一部被害がありました
 

日中の道路渋滞の原因は
市内中心部の一部を除き停電なので信号が機能していないのと
ガソリンスタンドやスーパーマーケットにガソリン・灯油、食料などを求める車で
一車線が完全にふさがれている為です
伯父宅にもどり全員に北海道に避難することを提案
地域の中で自分達だけ避難することにかなりの抵抗がありましたが
避難することで被災地の食料やエネルギーなどの負担が少しでも軽減されること
子供達への原発事故による放射能の影響が懸念されること
まだ余震が続き地震被害の恐れがあること
など今ならまだ緊急避難が可能なことを説明し納得してもらいました
たまにやっと繋がる携帯電話で銭函の自宅に連絡し
インターネットで航空券を手配させ
避難準備に取り掛かりました
 
つづく
 


コメント
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