3月、避難先体育館生活は、布団支給が老人優先されるばかりで
若い家族には、毛布一枚で、ちょうどバスで避難する前に
自宅から持ってきた寝袋をシーツにして、下に段ボール敷きな生活は
寒さばかりで、息子は熱を出したりしながらも、支給にならず
近くの病院に歩いて通院したりしていました。
体育館一日いても辛いので、三春町内に出かけたりしていました。
3月末に二次避難先が会津方面になると役場職員より聞き、
4月2日に喜多方市の熱塩温泉の旅館に、うちの家族は決まり、バスで移動しました。
子供連れの家族は、会津若松市内、東山温泉地、有名なホテルになりました。
老人は裏磐梯等の住みやすい温泉施設でした。
バスで移動する前の日に貰った布団類に名前書いて、大型バス1台に積み
一緒に出たのですが、その布団類はどこに運ばれたかはわかりませんでした。
後に、会津若松市におかれた役場の倉庫にあるとか、仮設住宅に使われたとか、
疑問ばかりでした。
夫が東電第二で仕事していたので、私と息子二人で旅館生活を5月末まで過ごしました。
旅館の初日の夜は、布団がこんなにふかふかで温かくて安心しました。
食事も豊富に作ってくれて、毎日が美味しかったです。
旅館の女将さんら家族は、とても親切で温かい人たちでした。
4月から5月までの生活は、女将さんが車を出してくれて、
衣類などの買い物に協力してくれて、嬉しかったです。
一緒に来た他の家族たちとは、同じ大熊なのに初めて会う人たちでした。
初めは人見知りもしましたが、話すうちにいろいろと話せて
笑いもあり、旅館へのお礼として、食後の食器下げは皆で協力しました。
このころ、役場職員や保健師さんらが来てくれたりと現状と健康相談が始まりました。
喜多方は、ラーメンが有名で食べに行ったりもしました。
大きなショッピングセンターもあり、出かけたりもしました。
熱塩温泉から喜多方市中心までは、10km離れています。
路線バスに乗って病院通院をして薬を貰い飲んでいました。
病院は、大きな精神科でもあり、デイケアのスタッフさんにはお世話になりました。
喜多方の人々は、本当に親切で、温泉なので、何回も入浴できてとてもよかったです。
夫が、5月中旬に、いわきにアパートを見つけたので、
時々、高速バスで、3人でいわきに行き、夫と過ごす日もありました。
それで、離れ離れな生活と別れて、夫が迎えにきてくれて、5月31日に喜多方を離れました。
旅館の方々の熱い見送りと、2か月間お世話になったことを今も感謝しています。
家族全員で過ごすのは3か月ぶりでした。
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