どうしていつも「自分」を忘れてしまうのか。どうしたらいいか考える時はいつも他人軸、自分軸と他人軸はまだ混乱していて、境界線もあいまいだ。今のところ、そこまでは分かるけれど。
問題が勃発したとして対処を考えた時、まず軸にするのは「問題だと考えている他人のためにどうするか」だって怒ってるわけでしょ、私がした「何か」のせいで。例えば私の思いやりのない言葉だとか態度だとか、それは私のことな訳でしょ。だとしたらその為に自分が何かできるのか?を考えるのが自然なのではないのだろうか?でもそれが違うんだと言われる。他人軸だと言われる。
自分のこと考えてるよ、これは自分軸じゃないの?よくわからないんだ。「何言ってるのバカバカしい」なんて思えないよ。だって相手は怒ってる、察しろよって怒ってる。私に何をしてほしいの?わからなくて戸惑うと相手はさらに怒る、私が悪いからだと怒る。自分なりの正義が間違ってると言われたら、もう何もできない。自分の拙さに罪悪感と無力感を抱くしかなくなる。喉に小石が詰まって息が苦しいよ。消えてなくなりたいよ。だって私が間違っているから怒ってるんでしょ、どうしたらいいの?母はいつも私を怒っていた、思いやりがないと、自分勝手だと。
もし、これがただの母の八つ当たりだったのだとしたら、これは母の問題なのだろうか?カウンセラーに言われたのは、真に受けることはない、どうして真に受けるのか?そんなの私にもわからない、私は何時だって人の感情のために疲弊しているのだから。相手の感情が正しいのだと、私が下手を打ったのだと、そういう事ではないという事なのか?
横暴な父と母という私の心証は、彼らを相手に手古摺ったから。父母を悪だと罵っても、そう思いつつも、私がもっとうまくできていたらよかったのにと今でも思っている。もっと根本的なことなのだろうか?大事なことがわかっていないのだろうか?
確信に近づきつつある気がしている、私の問題の本質の一つに。