心を込めて

心の庵「偶垂ら庵」
ありのままを吐き出して 私の物語を紡ぎ直す

他者依存して誤魔化してきたもの

2022-10-29 15:53:48 | 新しい心持へ

 

「母親から嫌われているという事実から目を背けたかった」

だから小さな棘に気が付かない振りをした

私はずっと母親に認めてほしかった

嫌われている自分を認めたくなかった

だから「他人からの評価に依存した」のだ

「自己ではなく他者」を「行動や生き方を決める軸」にしたのだ

最初は母の嫌う私を封印し母が認める私でいようとした、その後はクラスメイトの認める私、先生が認める私とエスカレートし、最終的には「誰もが認める私」になろうとした。誰からも認められることは土台無理なことだったのに。

新たな気付きは「ああそうだったのかと」新しい心持になり、そして意識の下にまた潜っていった。夫には何度も同じことを言っていると言われたが、新たな側面での気づきは新鮮で、こうして一つづつインプットしていかないと定着しない自分なんだなと思い至る。

心の整理はまだまだ必要で、自分を知り他者を知り、しなやかな思考でそして希望をもって進む、そう決めたから、自分のために。

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わかってほしい気持ちは依存だった

2022-10-29 14:43:13 | 新しい心持へ

 

私の中の「わかってほしいという欲求」の衝動は激しかった。ずっと心の奥底に脈打ち、不安で苦しくて堪らなかった。

私を見てほしい、私を蔑ろにしないでほしい、私を無視しないでほしい、私を大事にして、私の話を熱心に聞いてほしい。

物心ついてから苦しさを抱え続けて生きてきた、学生時代も社会人になってからも、結婚してからも。

東日本大震災をきっかけに自分の中の綻びが表面化し、6年経って自分に向き合い始め、心療内科に通いカウンセリングを受け、民間のカウンセラーのセッション、民間団体の心理セミナーを受講したり心理についての通信教育を受けたりもした、その後は本や各種情報の媒体を利用して学びを深めてきた。大学で学ぶという手段も考えたが、私は今は「ピンポイントな自分の悩み」の正体を知りたかった。

心の中というものは言語化しがたく「個人的な悩み」と言われてしまえばそれまでだった、私が過去に受けた教育では「我慢」「努力」が最良の手段だったが、現在抱えている苦しみは我慢では解決するようには思えなかった。

もしかしたら「私の知りえていない世界があるのかもしれない」そう感じて苦しい道のりをたどってきた。答えは度し難いこの欲求の先にあると感じている、その答えがおぼろげながら見えてきた気がする。

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