あともう少しだけ

日々の出来事綴ります。やらずに後悔よりやって後悔。

照準

2014-11-28 21:56:47 | コラム
年をとると時間が過ぎるのが早くなると周りの人が言うけれど、私にはその実感がない。自分が20才になった頃から今までを振り返るに、正直まだこのくらいしか時間が経っていないのかと思う。自分で言うのも何だがこの間色々あった。
昔を振り返ると年寄りっぽくなるので話題を切り上げる。とりあえず年が変わった所で区切りがつくわけでも課題が解決する訳でも自分が勝手に成長する訳でもない。自分が動かなければいくら年を重ねた所で変わらない。現状維持ならまだしも、変わり続けなければ錆びつくのだ。それは嫌だ。私にとって何が嫌かと言えば、成長を止めて現状に満足する事なのだ。クソ真面目に生きてきた癖に、妙な所がへそ曲がりだ。この性根が私の人生の岐路で散々悪目立ちしてきた。今に至ってこれを才能と受け止めたのは良い事なのかどうなのか。生きづらいのは確かだ。しかしこの生きづらさは私の傍にずっとあり続けたものなのだ。これがあってこその私の人生なのだ。この流れに沿って歩み続けたら何があるのか。とりあえず行き止まりではなさそうだ。
年の瀬が迫ってくる。しかし焦っても仕方ない。そもそも何に焦るのか。私は何を突き詰めていくのか。色々やったその先に、何を研ぎ澄ますのか。真剣に全力でやってきたつもりだ。けど完璧ではない。まだまだ未熟である。もっと進める。もっと進まなければならない。なぜ進まないといけないのか?この問いを自分に発する時、いつも結論は決まっている。怒りなのだ。何に怒っているかは書かないけれど、この怒りは後天的なものなのだ。そして決して消えないものだ。こんなものでも才能と言っていいのだろうか。才能が欲しいとは思うけど、こんな形で手に入ると知っているなら、欲しがっただろうか。要らないとは言えない自分がいる。自分を奮い立たせるものがあって、それのせいで普通に過ごせなくなったとしても、人生に不利益しか及ぼさなくても、それが無かった方がよかったとはどうしても言えないのだ。これはもうれっきとした自分の一部なのだ。これがなければ今の自分ではありえなかった。案外私は今の自分が好きなのだ。だから笑って突き進める。突き進んだその先を見てみたい。止まったら腐って死ぬだけだ。感情も情報も物質も留まると澱む。それをかき消すにはやはり動くしかない。この思いを思い切りぶつけると相手は大抵引く。けど私はわかっている。周りの空気を読んで自分を抑えて、その結果自分が損をしたとしても、誰も責任をとってくれない。だからやってやる。別に失敗しても、何も知らない周囲が鼻で笑うだけだ。何を恐れる事があろうか。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿