例え嘘の顔でも、演技し続けていればそれはいつしか本当の顔になると思っていた。その推測は事実の様だったが、同時にその演技には、以前の卑屈な性格を上書きする効果がある訳ではないとも気付いた。明るく過ごすことで自分の中の影になっている部分が一層色濃くなっている。これを直視していると深夜の海を覗くがごとく体ごと吸い込まれてしまう様な気がするので、ひとまずこの暗闇は放っておくこととする。再びこれを見る時には更に暗い何かになっているかもしれない。
結局人の性格はデジタルではないので上書きはできない。しかし連続的に変化するアナログでもない。いくつもの性格が同時に機能している量子コンピューターのようなものではないだろうか。この薄暗い自意識にまみれた性格を嫌ってはいるが修正もできないので、これはそういうものなのだと割り切るしかないと考えるようにした。性格が修正できるのなら、修正できない努力が足りないのだと自分を責める口実ができてしまう。自問自答ならまだしも、自分を追いつめる真似はこの期に及んでこりごりだ。
ある出来事に接した時に浮かぶ複数の感情のうち、正しい感情と不徳な感情とに分けてみる。浮かんでくる感情に歯止めはできない。だから、後者についてはなるべく意識せず、前者についてだけ目を向ける。自分の中にある悪いものばかりに注視していたら進めなくなるから。不適当な感情を抱いたとしても、人として正しい感情も同時に浮かんでいるのなら別に構わないじゃないか。不適当な感情を煩悩と言い換えることができるかもしてない。それを正しくないと認識できる理性があるのなら、何を思い浮かべようと構わないと私は思う。
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