あともう少しだけ

日々の出来事綴ります。やらずに後悔よりやって後悔。

自由過ぎるって不安。

2014-04-12 21:08:38 | コラム
ブログが止まっている間、愛用の黒ボールペンでノートにひたすら文章を綴っていた。手書きの方が気軽過ぎるんだもの。いちいちネットに接続する必要もないし、人に見られることも無いからタブー無しで自由なことを好きに吐き出せる。加えてこのペンは先が少し特殊で紙への引っかかり方がお気に入りで、ガリガリ音を立てながら文字を書いていると聴覚、触覚が刺激されて軽い陶酔状態になる。そして当たり前だけど、ブログに載せるという事は人に見せる事とイコールだ。それだと心のどこかでブレーキがかかってしまう。ブログとノートに書いてある文の雰囲気は大分違っている。しかし本来自分のブログだもの、好きなことを扱って構わないし、そもそも誰も気に留めない。気にせず勝手に突っ走っていればいい。それはその通りだ。けど人に見せる事を意識しなくていいのなら、そもそもブログをする必要は無いだろう。しかし私はブログをやろうとする。はて、何故か?
考えて思い当った。要するに、人に見せる文章を書かないと物足りないのだ。心情をいくらノートに書き殴ろうともそれは自己満足でしかない。せっかく書いた思いは、人に見せるに足る形に仕上げたい。うん、話は単純だ。動機が分かったところで、それでは書く内容はどうする?自分の精神を観察してその過程を文章に表すというのが、私が手書きで主にやっている事がこれだ。自分の心象風景を描写するという点で、絵を描くのと変わらない。手段が絵か文字かと言うだけ。文章を書く事に対し求めるのがこれならば、私が手書きの方を好む様になったのもうなづける。どんな文字で書くかも、表現の一種だから。さてこの内容でブログを進めるとして、こんな個人的な行為を他人が見て面白いかどうかが問題だ。面白いとは言われないまでも、興味を持つものになるか。描写した結果がとことん自分本位のものになったらまずい。掴んだ考えを他人に伝わるように加工しなければいけない。それで他人に伝わるように普遍的な形、つまり本質まで引き上げる必要がある。ハードルめっちゃ高い。これは文章の下書きが必要になるかもしれない。そりゃ文章の完成度は上がるだろうけど、書くために書くなんて本末転倒でつまらない。書いてるうちにいい塩梅が見つかってくるだろう。方向性はわかったので、今回はこんなとこにしよう。

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