あともう少しだけ

日々の出来事綴ります。やらずに後悔よりやって後悔。

習慣 次の段階

2016-02-14 22:17:54 | コラム

運動した次の日はお腹がすく。駄目だとわかっていても何かを食べたくなる。特に炭水化物、甘いもの。これらを一定以上食べたら良くないってのはわかるんだけど、どうにかならんもんか。体作りの為に始めた運動は何とか習慣として体に染みついたものの、動いた後の「何か食べたい感」はなかなか抑えられない。この冬で体重も増えた。ネズミといいスズメといい寒い時期に太るのは生命維持の観点からいって当たり前のことなのだけど、もう少し生命の危機を覚えてもいいからこのぜい肉何とかしたい。せめてこの時期は現状維持して、暖かくなってから減量したい。しかしその「せめて」すらできていない。運動の量を増やしてもいいけど、走ると膝が痛くなる。週2,3回がギリギリだ。ならば筋トレ。こちらも毎日やるものではないと言う。そうなるとやはり食事制限か。けど食事制限で頑張ろうとして結局体重が増えてしまったのが去年だった。

さて困った。頭を使えばカロリーを消費するなんていうけど、おそらく一番頭を使ったであろう大学受験期もぶくぶく太っていった過去があるし。こうやって脳トレ気分で文章書くのも少しはエネルギー消費しているかもしれないけど、微々たるものだ。音読しながら書いてみるか?顔の筋肉を使いながら、表情筋を活躍しながらキーボードを打てば、もっと効率的に脳を回転させることができるかも。しかし実際問題頭を使って体重が減ったという経験がないので、正直期待できない。ここから頑張って原稿用紙100枚位の文章を書いたところで、特に影響はない気がする。そもそも頭を使うにしろ、体を動かすにしろ、悪い意味で慣れてしまっているのだ。普段以上の負荷をかければ、体がエマージェンシーモードに突入して無駄なエネルギーを消化しにかかるかもしれない。ブログの文字数を増やすとか、走る距離を増やすとかそういうのでもなく、負荷の密度を上げる。書くスピード、走るスピードをそれぞれ上げるのだ。無駄なものを省いて心身をより機能的にするイメージを作る、これだ。とは言ったものの、今までの慣れたペースから早いペースに変えるってのは疲れる。ただ疲れることはなかなか続かない。楽しみがないと。文章を書く上での楽しみってなんだ。出来上がった文章を見てひとり悦に入ることか?走る上での楽しみって何だ。走っている最中に出てくるアドレナリンを味わうことか?いずれにしても自己満足でしかない。が、趣味なんて自己満足で十分か。自身を顧みるに、目標を作るとそれを下回る悪癖がある。そして結果よりも過程を楽しむ所がある。そういった人間が継続して、しかもある程度の負荷を受けられる条件ってのは何だろう。そう言えば私は、ちゃんと何かを完成させたことってあるだろうか。一応ブログ記事はいちいち完結させているから、それを以って完成させていると言えるっちゃあ言える。けど短い文章だ。論文のように、情報を集めて、構成して、人に読ませるような形の長文を作ることは久しく行っていない。それも作文の楽しみなのでたまにやってみるのもいいか。思った事をただ垂れ流すのも面白いけど、達成感があまりない。達成感を感じるには、自分の中に「ここまでやれば達成」と言える境界線を作る必要がある。その境界線ってどうやって決めるべきなのか。他人からの評価、もしくは数字がわかりやすい。よく考えれば体作りについても、体重という目に見える数字がある。もっと数字にこだわる必要がある。数字にこだわった方が色々見えて、面白い。写真も他人に見せて評価をもらった方が楽しい。

よし、考えが大体固まってきた。もっと積極的に人からの評価を受けるようにしよう。自己満足だと行きつける所に限界がある。評価を受けてこそ伸びるもんだ。ではどうやって評価をうければいいんだこれ。こうやって文章を書いて、読んでもらってるんだかもらってないんだかわからん状態では虚空に全力投球するようなものだ。書く題材を見つけて、それを文章にして、実際に人に読んでもらう場所が必要だ。ブログだけではなく、何か別のもの。仕事に絡ませた方が早いか。せっかく写真も撮るのだから、雑誌、もしくはチラシのような形のものを作るか。そうか。今現時点で見せる予定はなくとも、機会が生じたときに見せられる形で物を作っておけばいいのか。それなら心当たりがある。こうしたものを作ってるんです、と胸を張って見せられる品を作って数を増やしておけば、何かあった時の武器になる。大きな船に乗りながら小さな船を作るのが、この世知辛い大航海時代を乗り切るこつだ。このブログを更新する糧にはならないだろうが、別にいいか。これはあくまでついでの作業なのだから。今私が考えていることをやろうとすると、記事を作る必要が出てくる。そうなると欠かせないのが取材だ。今の私の肩書では取材が出来ない。あくまで情報収集として、か。責任者から話を聞こうとするから面倒な事態になるんだ。一般人でも集められる情報からでも記事は作れる。周辺の人から雑談としてネタを拾えばそれはそれで面白い文が作れる。やってみるか。もともとやってみたい事には変わりないのだから。

さて思ったより考え込んでしまったけれど、これでどれくらい頭のエネルギーを使えたか。おやつに食べた羊羹3切れ分にもならないだろう。


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