嫌なことがあるとランニングをする。走ると体にまとわりつくじっとりとした空気を散らせるような気がして心地いい。現実逃避かもしれない。でも体を動かしているその瞬間は確実に鬱憤を忘れられる。思うにこの「忘れられる時間を持っている」という事が重要なのだ。頭の中にある問題を頭の中で解決しようとするとどうしても無理が生じる。だから体を使って解決する。それでも、依然として実際の問題は解決しないのだけど。とりあえずは何とかなるだろう、と気を楽にできる。だから走るのは好きだ。
そう言えば日頃思っていた事があった。世間的に権威のある仕事に就いている人の中には、ちょくちょく我の強い人がいる。顔に張り付けている仮面に「我」という文字が張り付いているのだ。私は○○であるというアイデンティティーとか、立派な技術を持っているとか、経歴とか成し遂げた事とか、社会的な地位の高さとか、色々自分を誇る根拠を持っているようで、他人にへりくだったり、微笑みかけるなんてあり得ない。そんな感じ。余裕がない。もう少し気を楽にしていいのに。そんな表情じゃ誰も近づけない。勿体ない。
そう言えば日頃思っていた事があった。世間的に権威のある仕事に就いている人の中には、ちょくちょく我の強い人がいる。顔に張り付けている仮面に「我」という文字が張り付いているのだ。私は○○であるというアイデンティティーとか、立派な技術を持っているとか、経歴とか成し遂げた事とか、社会的な地位の高さとか、色々自分を誇る根拠を持っているようで、他人にへりくだったり、微笑みかけるなんてあり得ない。そんな感じ。余裕がない。もう少し気を楽にしていいのに。そんな表情じゃ誰も近づけない。勿体ない。
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