「*前句、知らむ顏して 知らん(^^)/して」
9条を 斜(なな)め読みして 語るだけ
憲法記念日 七十三周
夢 蔡
*注 川柳的な前句づけです。
前の年に、
蒼(あお)澄(す)める 空切り裂きし 飛行雲
憲法記念日 七十二周 夢蔡
ナンでも付けて、字数合わせをして、と勝手に遊んでおりました。
ところで、
「憲法記念日」は、俳句では、春の季語になっております。
少し調べました。
手毬(てまり)咲き山村 憲法記念の日 水原秋櫻子
「 とある山村を通りかかると、小手毬が春の日を浴びて
咲いておりました。
人の気配もなく、時間の止ったような風景の中で
作者は、今日が憲法記念日であることを想起する。
いまは「すべて世は事も無し」のような山村にも、かつての
戦争の爪痕が奥深く残っているのだろ。
声高な反戦句ではないが、内実は反戦の心に満ちている。」
「二度と戦争はごめんだ」
戦争を知る世代が少なくなり、この願いも薄くなりつつあります。
挙句、9条の見直しが大手を振ってまかり通るようになってきた。
一方では、直切的に戦争を知らない
戦後世代の想像力の貧弱さも指摘できる。以下略・・・。」
「新版 俳句歳時記」(2001・雄山閣出版 所載)の
清水哲男氏の句の解説を、勝手に要約いたしましたが、
どうも、むつかしい方向になってしまいました。
「個としての存在感を失い、時代に流されるままなら、
最早、詩歌の出番など無くなてしまうではないか。」
(清水哲男)
そういわれましても、・・・・・手に余ります。・・・
「 何かを表現したければ・・・・・、
『何について書きたいのかを決めることだ』と
サルトルが、言っていると、大猿岩石は言います。
「 わかりました・・・・・
取りあえず、9条に行く前に、憲法の前文の一部を引用します。
「・・・わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し
政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることの
ないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存する
ことを宣言し、この憲法を確定する。・・・・・」
憲法の前文のほんの一部ですが、引用は初めてです。
この短い引用でも、もうすでに、何か引っかかります。
少しづつでも考えます。・・・・・
------<了>------
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