諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

憲法記念日にて

2020-05-04 14:01:55 | 日記・エッセイ・コラム

       

       「*前句、知らむ顏して 知らん(^^)/して」

   

     9条を 斜(なな)め読みして 語るだけ

                    憲法記念日 七十三周   

                                  夢 蔡

      *注 川柳的な前句づけです。

  前の年に、

    蒼(あお)澄(す)める 空切り裂きし 飛行雲

                憲法記念日  七十二周   夢蔡

  ナンでも付けて、字数合わせをして、と勝手に遊んでおりました。

  ところで、

  「憲法記念日」は、俳句では、春の季語になっております。

  少し調べました。  

    

   手毬(てまり)咲き山村 憲法記念の日  水原秋櫻子

   

   「 とある山村を通りかかると、小手毬が春の日を浴びて

   咲いておりました。

   人の気配もなく、時間の止ったような風景の中で

   作者は、今日が憲法記念日であることを想起する。

   いまは「すべて世は事も無し」のような山村にも、かつての

   戦争の爪痕が奥深く残っているのだろ。

   声高な反戦句ではないが、内実は反戦の心に満ちている。」

   

    「二度と戦争はごめんだ」 

   戦争を知る世代が少なくなり、この願いも薄くなりつつあります。

   挙句、9条の見直しが大手を振ってまかり通るようになってきた。

   一方では、直切的に戦争を知らない

   戦後世代の想像力の貧弱さも指摘できる。以下略・・・。」

   「新版 俳句歳時記」(2001・雄山閣出版 所載)の 

   清水哲男氏の句の解説を、勝手に要約いたしましたが、

   どうも、むつかしい方向になってしまいました。

   

    「個としての存在感を失い、時代に流されるままなら、

   最早、詩歌の出番など無くなてしまうではないか。」

                              (清水哲男)

   そういわれましても、・・・・・手に余ります。・・・

  「 何かを表現したければ・・・・・、

     『何について書きたいのかを決めることだ』と

     サルトルが、言っていると、大猿岩石は言います。

    「 わかりました・・・・・

    取りあえず、9条に行く前に、憲法の前文の一部を引用します。

 

    「・・・わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し

     政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることの

     ないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存する

     ことを宣言し、この憲法を確定する。・・・・・」

   

    憲法の前文のほんの一部ですが、引用は初めてです。

    この短い引用でも、もうすでに、何か引っかかります。

    

     少しづつでも考えます。・・・・・

 

           

          ------<了>------

 

    

    

  

   

  

     


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