諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

「昭和の日」のほほけたんぽぽ

2008-05-03 16:10:48 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                         『 この旅死の旅であらう ほほけたんぽぽ 』  漂泊の俳人 種田山頭火の句である。                                                                                                 

★人は、時に得ることよりも、日々失って行くことのほうが、圧倒的に大き過ぎることの事実を付きつけられて慄然とする。 気付いた時には、もう、遅い。ある日、既成化された事実は、法的な拘束力をもって、人の日常を犯し始める。突発性疾患ではないが、突然発症する。その原因と為るモノは、秘かに体内に巣くって出番を待っている。★「後期高齢者医療制度」とは、全く、酷い制度である。それは、既に2年前の『改革劇場』で仕掛けられていたのだ。平均寿命が延び、人口動態調査の推移からすれば、長生きする人達が、増加し、従って、それに比例して医療費等・福祉関連の諸費用が、増大する。この程度のことなら、20年・・30年も前から解りきっていたことだ。日本の人口動態図の変化は、何度新聞紙面に載ったか。『 将来の日本 』と言った特集企画もの(例・・・図・写真・識者のコメント・カラー全7段)を組んでたりして。多分だから、それは、さておくー(笑)  ★ そのために、「 何を成すべきか 」 為政者と優秀な選良たる「お役人さま」の力量をもってすれば、充分に計画し、予算化なりの制度化を講じる時間はあったはずだ。、問題を抱えたままの『 年金 』から天引き徴収と言う「 民草 」の懐に手を突っ込んで剥ぎ取る様な小手先の「新制度」を作る必要がどこにあるのだろうか。全く理解できない。しかも、【 天引き 】 である。※(注) (1)借金の中からあらかじめ契約期間中の利子をひきさること。と広辞苑に載っている。こうした手法の法律的範疇は、「 貸金業規制法 」(?)だろう。高利天引きの借金を返せず、無垢な娘を連れ去る。時代劇か「 おしん 」 の辛酸に使われたりして泣かせどころのシーンを思い起こす。(また、余談 あなたの文章前置き長くて、回りくどくて、と家人。おおきなお世話)★今年から【後期高齢者】として仲間入りするのは、昭和8年生まれの人たちである。昭和の一桁世代で、『ボクラ少国民』として幼年時代に、♪「 赤い血潮で日の丸染めて、世界統一してみたい 」(八紘一宇)を歌い、「 欲しがりません、勝までは 」の真っ只中で、汗を流し勤労奉仕に励んだ人達である。それ以前生まれの人々は、もっと艱難辛苦であったことは、戦中の歴史が示すところである。終戦後の混乱を生き抜き、復興の立ち上げの実戦力となった人たちなのだ。感謝しこそすれ、この人々から、安寧な余生を送るための大切な糧の一部を取り上げる「 医療制」とは、一体如何なる神経の持ち主の発想か!★『 改革劇場 』の演出者は言ったものだ。 「《百表の米の精神》こそ大切だ。」と。これが、全く都合のいい誤用であることは、巷間知るところである。 ★其処に強制的に収容され、殆んど生きて帰らなかった人々が、毎日通り抜けたかの有名なアウシュビッツの正門には、【 働けば 自由になれる 】と大きい標語が掲げらいる。これもまた、人を人と思わず、人々から生きる権利を奪いながら、平然言ってのける傲慢な嘘であった。

   「  何でこんCa390441なにさみしい風ふく 」   (山頭火 ) 

 私は、厚労省の特定疾患のひとつ、「 突発性血小板減少症 」 と診断を受けて治療を受けている。(5月12日に医療控除の申請をした)治療薬の副作用でかなり神経が興奮している。かなりのハイ・テンションである。思いつき、発想 が次つぎに湧く。それを、直ぐ行動に移す。私の状況を知らない人たちは、単なるオシャベリではた迷惑。家族は、心配するが、私は、止まらないし、止めようとも思わない。

  「 ほほけたんぽぽ 」は、以前から「山頭火」(種田山頭火 金子兜太著)から拾った言葉で頭の隅にいつもあった。今は、ケイタイという便利なモノがあり、私にとってはカメラ。愛犬の散歩の時にイメージがぴたりと思い撮った。「ほほけたんぽぽ」と「後期高齢者」を結びつける粗筋が頭の中を駆け巡った。「血小板減少症」は、私の中にずっと住みつずけるかもしれない。だが、今は、このテンションを楽しんでいる。

   私はうたう  私をうたう  自然をうたう  人間をうたう 

             (山頭火)

   こんな心境で、このブログのキイを叩いている。尚、本稿は推敲を重ねるつもりである。従って、削除、差し替えありと言うことで、一応、〆にするつもりあった。しかし・・・

    人は、その其々の生活環境によって、考え方、感じ方が変わる。至極、当たり前の事である。山頭火のように熾烈な生き方をする人間もいれば、また、幸せに、こころ穏やかに過ごす人もいる。

   「 昭和の日 」のほほけたんぽぽ Vol。2 を起こすことにした。

    

       、                    


最新の画像もっと見る

コメントを投稿