劇場の裏の暗がりで鼠を噛み千切る子猫 母親の贈り物を子供部屋で引き裂く少女
だらけた雨が降る午前零時過ぎ 娼婦がタチの悪い中毒者に喉を絞められる
みんな殺される みんな殺される みんな殺される みんな殺される
窓から明りが洩れないようにしておけ 汚れた牙はタイミングを計ったりしない
二年前に赤ん坊を奪われた女が歩道に彷徨い出る 夜に耐え切れず知らずに狂った
そいつの旦那はビジネスマンで 女が狂ってることをまだ知らない
どこかに引っ掛けてビリビリに破けたスカートから見える太腿を 紙袋を下げた浮浪者が食い入るように見つめている
ドーナツショップに集まる着飾った少女達は 「それがどうしたの」とでもいうような顔でほんの数秒しか女に関心を抱かない さっき約束した顔も知らないダーリンが来るのを待っている 頭にゴールドのバンダナを巻いているらしいダーリンを
鼠を食い終わった猫は こいつは人間か動物かと思案するような目で女のことを盗み見ている 女が突然猫の方へ向きを変えた 猫は飛び上がらんばかりに驚いて 必要以上に距離をとりながら通りの向こうへと渡っていく
無線に何事か囁きながらタクシーが通り過ぎる 女は猫が消えていった辺りをぼうっとして見つめている (ああ、またわたしは小さなものを失ったのだ) その顔にはそう書いてあるように見える 別段感情を表すような動きはなにひとつ無かったけれど
電化製品を安く売り叩いている電化店の前では携帯用DVDプレイヤーが破格の値段 なにやら派手な泥棒ものの映画らしい 数人の大学生がそれを見ながら何かを話し合っている 大学生は何かにつけて注釈をつけたがるのだ 女は何かに招かれるようにその側を通り過ぎる
若いカップルが別れ話をしていた 男はかなり口汚くダーリンを罵っていたが ふらふらと通り過ぎた女に一瞬目を奪われる その隙に強烈な張り手を一発喰らう それで二人は一人になった 女はもっと先へと歩いていく
馬鹿でかい交差点のところで信号無視をして派手にクラクションが鳴らされたが 女は歩く速度をいっこうに落とさない 道路でちょっとした混乱が始まる ぐしゃぐしゃといろいろな方向に停車する車の間を 不思議なほど器用に女はすり抜けて歩いていく 交差点を抜けると暗闇になる 女は暗闇を怖がったりしないらしい
そこに明りがないのは古くからある庭園を保存しているせいで 夜でもある場所からなら入ることが出来た 警備員すら知らないその場所を女は知っていた 女は小さなころ その公園をくまなく遊びつくしたのだ そのことを女は覚えては居なかったけれど
やがて庭園の中央にある池の側に女は現れる 秘密の入口を潜り抜けるときにまたスカートを破いてしまったらしい 左半分はもうほとんど下着が露出していた 女は池の側に腰を下ろす 体育座りをして池の表をじっと見つめている 一時間か二時間かずっと女は動かなかった
やがて年老いた警備員が見回りの時間に 池の側で座っている女を見つけた 警備員は何事か話しかけたが 女の様子を見てすぐに話すことは出来ないと悟った 女を連れて事務所へ行き 余っている小さめの制服のズボンを穿かせてやった ゆるめにベルトをきゅっと締めてやると 女は嬉しそうににっこりと笑った さて、どうしたものか 警備員は思案したが 結局のところ警察に頼むしかないのだという結論に行き着いた 彼は事務所に固定電話の受話器を取り 園内に「少し変わった女が」迷い込んでいると告げた 女はわけも判らずにこにこと笑いながらパイプ椅子に腰掛けていた 警察の制服を見ると女は泣き喚いた 何事かよからぬ記憶に触れたのだろうか、と警備員は思った 警官は苦労して女をなだめると パトカーに乗せて走り去っていった 赤いテールランプを見ながら もう少し何かしてやれる事はなかったのだろうかと思いながら警備員は眠気覚ましのコーヒーを啜った
女が交番にたどり着くころ 交番の電話が鳴り響いていた 警官はあわててタクシーを降りて電話を取った 「家に妻が居ない」という男からの電話だった 警官はさっきあったことを男に説明した 「今すぐ行きます」と男は言った その時
道路で激しいブレーキのノイズがこだました 警官が振り返ると女がボンネットの上に転がってそのまま車の後ろに落ちるところだった 警官は受話器を放り出して駆け寄った もしもし?と電話の向こうの男が叫んでいた
運転手は車から狼狽した様子で出てきて「急に…急に…」とそれだけを繰り返した 善良そうなまだ若い男だった
警備員はコーヒーを飲み終えたところだった 後は朝まで数時間の仮眠を取って 一人住まいのアパートへ帰るだけだった 事務所の鍵を点検したときに窓の側にさっきの女が立っているのを見つけた なぜ―と言葉を発しかけたとき女の姿が消えた ああ と警備員は思った そして静かに手を合わせて何事か呟いた
女はズボンを穿いたときの顔で可愛らしく笑っていた
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