毛細血管をノイズが這い回る、無数の羽虫のように…俺の感覚を喰らい尽くそうと目論んでる、二二時の朦朧とした時間―悲鳴には飽きたし、怒りには慣れた、愚痴には興味が無い、まるで水溜りのように俺はそれを放置している、体内の…体内の腐敗や違和感はもはや関心ごとではなくなった、どんなものでもいいのだ、それが身体を動かしていることに変わりはないのだから、ただ、阿呆のように水を飲み下す、手元にはいつでもそれが用意してある、遠い昔、誰かがブラウン管の中で喋っているのを聞いたんだ、「水さえ飲んでいれば人間は生きていられる」そんな話さ―もちろんそれが、ただただ肉体的な条件であることには疑う余地がない、もちろん精神にだって様々な影響があるだろう、だけどさ―精神が目的であるのならそれは食べ物や飲み物から始まったりしない、判るかい、それはもっと、思考を突っつくようなやり方から始まるものであるべきだ…いつからか俺の部屋には、針の鳴る時計が無くなった、それはスマートフォンで知ることが出来るからだ、その代り、時は刻まれるものだという概念も無くなった、さっぱりと…つまりそれがデジタルということだ―時間も、信念も、モラルも、すべては信号化されて雲の中に突っ込まれる、ふわふわと宙に浮かんでいるのさ、手を伸ばせば届くことの出来る雲の中にさ、パスコードを入れなよ、胸に溜めることのない秘密は快適だろう…だからお前は歳を取らない、そうだろ?それらが肉体に伸し掛かることがなくなったせいさ、いつでも身軽になって…サービスのいいパック・ツアーみたいに、着の身着のままで生きることが出来るんだ、パスコードさえ忘れなければ…俺は大声で笑う、そうすると血管の中の羽虫が動いてざらざらという音がする、こいつらもクラウドが預かってくれりゃいいのにな?戯言ばかりが飲み損ねた水のようにカーペットの上に落ちていく、なあ、ろくに飯を食っていないのに満腹なのはどうしてだろう、俺は歳を取って、消化器官が馬鹿になってきた、でも時々すごく調子のいい時だってあるんだぜ、そんなときは虫たちが一緒に流れていくのを見ることが出来る…俺は壁にくっつけてある家具のすべてを倒し、ボールペンで壁に羽虫の絵を描いていく、隅から隅まで、埋め尽くすように、ゆっくりと、時間をかけて…長く、目的のない夜を塗り潰すように、立った一匹の虫を丁寧に時間をかけて、ゆっくりと描いていく、虫の頭が、虫の目が、虫の口が、虫の腹が、その側面に空いた呼吸器官が、虫の脚が、今夜の俺の酩酊を連れてどこかへ消え失せるようにと願いながら…壁は今夜のうちに埋め尽くされてしまうだろう、そうするまで俺は眠らないつもりだ、時間は腐るほどある―子供のころから俺は、時間というものにこだわり過ぎていた、過ぎて行く時間を追いかけ、神経過敏になって、真夜中に発狂していた、どこかに行ってしまう、すべてがどこかに行ってしまう、そう認識することもないままに、それはいつの間にか漠然とした文章のようになって、いつか白紙になってしまう…そうした感覚が緩慢になって来たのは、残り時間が少なくなったせいかもしれない、「大人を信じるな」古臭いロック・ソングは言う、だけど信じるな、ろくに歳をとったこともない連中の言うことなど…たとえばこんな夜には、俺はいつかとまったく同じ夜を見ていると感じる、何も変わらないのだ、なぜなら俺はそれを放棄したことがないからだ―こだわるものが変わらないのなら、人間はどんなに歳をとっても変わることなどない、ただそれがよりよく見えるようになるのさ、変わることといえば、少し消化器官が馬鹿になるくらいのことだ…ええ、見えるかい、俺の羽虫たちが壁中を這い回る、俺は彼らに連れられて壁にぶら下がろうとしている、なぁ、待ってくれ、待ってくれよ、まだ全部描き終えちゃいないんだ、せっかく壁を全部空けたんだぜ、お前らがどんな手を使ったってまだ俺は手を止めないぞ…俺は壁を殴る、ペンを持っていない方の手で…そうするとやつらは一瞬ひるむのだ、そして俺はまた虫を描き始める、俺が描き上げようとしている虫と、俺の身体から天井までを這い回る連中が同じ存在なのかもう判らない、けれど俺は描き続ける、なんたって、時間は腐るほどあるからな―やがておぞましい天蓋のように部屋を埋め尽くした虫たちは、俺の体内で立てていたのと同じノイズを一斉に発し始める、それはまるでジョン・ゾーンのサキソフォンみたいに空気を切り刻む、ハハハ、俺はまた笑い始める、虫が、虫が追いつかない、ノイズは俺を安らかにさせる、どうしようもない、すべてを投げ出すときが来た、ベッドはすぐそばだ…圧倒的な敗北は心を楽にさせるものだよ、俺はベッドに身を横たえる、ひとかたまりになって、まるで大きな一匹の虫のようになった奇妙な生物が俺の目を覗き込む、悲鳴には飽きた、怒りには慣れた…
そしていつか、こうしていることにも鈍くなるだろう。
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