切傷のように震えた呆然の午後、路上で渇いた迷いミミズの跳ねる光を右目で受けて
どこかで聞いた歌の一節を思い出そうとしていた、結果として叶わずともいいような、そんな願望
だけどそんな願望ほど激しく騒いで余所事を考えさせてはくれないのだ
駅に入る六両編成の特急列車のざわめきが青黒い梅雨の晴空に立ち上る雷のようなエコー、旅に出るのか、バラバラと乗り込む、影のような奴らの緩慢とした移動
ベルが鳴り、扉が閉じ、荒れた有袋類のような音を立てて車輪が軋む、滑りだすときの速度にはいくらかのナルシズムが確かにあるだろう
そいつが行ってしまうと駅前通りは空っぽの籠のようになり、ちょうど赤信号で少し静かになった交差点には黙祷の佇まいがある
自動販売機に群がる学生のグループはさっきの列車から降りてきたのだろうか、流行のムーブが知恵遅れみたいに見え始めたのはどのくらい前からだっただろう
青信号に変わる瞬間に本当にそれを渡りたかったのかどうかほんの数秒自問して、結論を待たぬまま歩みは続いた
浄化出来ない霊魂のような湿気がまとわりつく、風にほんの少し、雨粒が混じったような気がしたのは気のせいなのか?傘を開き始める幾人か、反応の速さだけが自分を守ってくれるのだと言わんばかりに
どのみち雨になれば俺は濡れるだけだった、自分を守る術なんかはっきりそうと知ったことなどなかった、だから鬱血のような空の下でも足を速めることすら思いつかない
降ればいい、濡れればいい、それがなんの問題でもなかったみたいに滴らせながら歩いてみればいい、そんな有様が抱え続けてきた断層に違いないのだ
破れ傘をかざしたみたいに見上げながら、そう、待っているのか、待っていないのか、何を、誰を、どんな成り立ちを
あるのではないかという浅はかな感触、居たのかどうか判らないやつの墓への地図を根掘り葉掘り漁るような細切れの日々が続いて
舞台化粧の仕方を忘れた道化師のような悲喜劇を確かに知っている自分に気づく、演じるとはどんな種類の本質にも決して近づけないということなのだ
癇癪のような夕立が路面を濡らした時間にはアーケイドの中に居た、なにを見るつもりもなかったのにどうして
雨の音を聞きながら濡れずにいたら濡れることが怖くなり、悲しいことなど知らなかったみたいな笑顔の老婆が腰をかけた一番近くの洋品店の店先のビニール傘を買って差した
雨音と足音がリンクする帰り道を、いつしか何も考えずに歩いていた、アナログのメトロノームの前で見た白昼夢のような時間、腰をかけたままの時間を、笑顔でずっと見つめている老婆、老いたいのか、老いて、幾つかのことを諦めたいのか
それが成就だとは俺には思えなかった、傘を折るべきか、折って濡れるべきか、だけどやはり折ることも出来なかった、癇癪のような夕立の中、濡れずに居たのだから
駅に次の列車が滑り込む、まるで新しい世界がそこに開けるみたいに儀式的に、俺は信じなかった、時刻で区切られてゆく定期稼働の誕生など、駅を歌おうとする詩人など乗車券とともに轢死してしまえばいい
ほどなく雨は上がる、諦めて、濡れたやつらが空を見上げて一息つく、段階を飛ばすように太陽が光度を上げていく、濡れた身体はすぐに乾くものだ、日向に立つことの喜びを彼らは知るだろう、それは再生だろうか、あるいは治癒だろうか、傘の下に立つ俺はその意味を知ることが出来ない
滑り込んだ列車がまた鳴声を上げながら逃げてゆく、ホームにはそれを見送る連中がぽつぽつと雨粒のように
どこかへ行くのか、どこかへ帰るのか、行くあてはあるかい、会いたい人はいるかい、誰かを迎えに行くのかい、誰かを捨ててゆくのかい、傘をたたんで高架下に立つ、自動販売機には売り切れの表示がある、出ないと判っているのに何度か押してから隣のカフェ・オレを買った
砂糖不使用、ミルク60%、守られるあてのない約束、約束はだれを喜ばせるのだろう、果てがないのなら嘘で構わないのに
新しい列車が急ブレーキをかけた、絶望的な叫びが聞こえて――――――――
赤い雨が
少しだけ降った
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