横滑りする思考が頭蓋の内壁に残した掻き傷、そいつが過去や現在をイレギュラーに跳ねさせてマインドは行き場のないジャンプでいっぱいだ、昼なのに薄暗いのはきっと雨のせいなんかじゃない、なにかが俺の瞼をひどく圧迫してるせいさ、祈りも怒りもポエジーも役に立たないので、街中で無差別に人間を殺しまくるゲームに2時間ばかり興じた、そのせいかどうか分からないけど午後にはどんな痛みもすっかりなくなった、気持ち悪いくらいにスッとしたぜ、うん、分からないけどきっとそのせいなんなんだろうな、インスタントのコーヒーを飲みながらぼんやりと考えた、午前の痛み、午後の解放、身代わりになってくれる誰かを探してる、ゲームの中に、ドラマの中に、現実的なくだらない事件の中に、それがやる側かやられる側なのか、どちら側に立つべきか、どちら側なら満足なのか、そんなことまではまだ考えちゃいないけどね、でも、例えば、こんな風に言うと分かりやすいかな、近頃じゃなんだか俺の住んでる国も、総理大臣のせいで戦争に行かされるかもしれないなんて話がまことしやかに囁かれているけども(個人的にはあれは鍵がひとつ外れるだけのことであって、そんな風に考えるのはあまりに短絡的だと思うのだけどね、まあ、政治がどうのなんて話は詩人がやるべきことじゃない、そんなことがしたけりゃ活動家にでもなればいい、もちろんそれが、インターネットで罵詈雑言を並べ立てるだけのお粗末なものでも全然構わない、そのレベルの人間はまるで俺には関係がないからだ)、どいつもこいつも死にたくないっていう話ばかりしてる、だけどねいいかい、戦争ってのはこちらが殺すことだって出来るんだ、そんな風に考えて見たことはあるかい、戦争が始まれば殺人事件は減るはずだぜ、断っておくがこれはモラルの話じゃない、それぐらいのことは理解してもらえてると思うけどね、だけどさ、少し違った話になるけれど、芸術っていうのは本能が廃れていない人間がそいつを上手く消化するための手段だと俺は考えているんだけど、そういう枠に当てはめれば戦争には確かに芸術的な側面があるぜ、そんな顔すんなよ、物事の捉え方は柔軟な方が世界は楽しいものさ、その何倍も何倍も、しんどいことが多いのもまた事実だけどね、でもそれを選ばないよりは、選んだ方がずっとマシだって、選ぶべきだって俺は思ってるんだ、もちろん、誰かにこっちを選ぶべきだなんて話もしていない、俺にとって他の誰かの言うことがほとんど意味を持たないように、誰かにとっても俺の言うことなどほとんど意味を持たない、本当はきっとそういうものなんだ(もっとも、やたらに自分の言うことに意味を感じてもらいたがっていたり、誰かに意味あることを言ってもらいたがっていたりする連中もビックリするくらい世の中にはいるけどね、まぁ、さっきと同じさ、そんなレベルにまで関わっていたら意味がないものね)、意味か、意味なんてものは幽霊と同じだ、あると思うやつにはそれはあるだろうし、ないと思うやつにはまるでないものだ、あると思っているのに見えないこともあるし、ないと思っているのに見えることもある、そしてそれは、いつでもそんな風に見えるものではない、まったくない、自分がその時なにを求めているか、どこへ行きたいかによって、同じものは違う風に見えてくる、そしてそれは節目節目にそうなるものでもなくて、ウンザリするくらい連続して目の前にある、そいつを疎ましく思うなら選択肢のない道を「選ぶ」べきだ、でもさ、もう俺がなんて言うか分かってるだろうけど、ウンザリするくらいなにかが蠢いている方が生きて行く分にはずっと面白いだろうなと思うわけさ、さあ、戯言はやめて晩飯の準備だ、足りないものを補って置きすぎてるものを使うのさ、そうして今までそこにあったものとはまるで違うものが出来上がるんだ、なぁ、晩飯の準備って、結構エキサイティングだよな。
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