部屋の明りを落としたら天井にのろのろと蠢く俺という在り方の概念が見えた、目を閉じる事など初めから諦めていたからそんなものはどうでもよかった…自問自答なんてことはもう飽きるほどやりつくしていたのだ
記憶の中にもぐりこんだままの黒い、ダイヤル式の電話が「接続不良」へ繋がる番号を回す…「9」を一度回したらしい、その時に
ダイヤルが戻ってくるまでの間―密かに死んでいくつかを欠いたまま蘇る自分のまぼろしを見ていた
回線が模索している、そこを呼び出すのには途方もない時間を要する(なんせ、接続不良だからね)繋がる気配の無い呼び出し音は
百年の孤独を気取っているみたいだ
俺は呼び出し音を聞いている、仰向けに、棺桶の中の死体のように硬直を思わせる姿勢で仰向けになったまま…呼び出し音は鳴り続けている、それが繋がる保証などどこにも無いのだ
思えば、すべての電話はそもそもそういうものだった、「接続不良」なんて当たり前に存在しているべき事物なのだ…アクセスに慣れすぎてしまった今となっては本当の寂しさを知ることは出来ない
部屋の明りを落とした天井、のろのろと…動物園で保護された爪の伸びないナマケモノのように這いずる俺という在り方の概念
自虐とはプライドの事だと俺は思うんだがどうだろうね?本当は自分の事が可愛くて仕方が無いのさ―それを認めたくなくてムキになってるんだ…暗闇は検分されない思考をループさせるためのキャンバスになってしまった、それはいつからだ?まだ、学生服を身につけていた辺りからかもしれない、視線と認識、そういうものにどんどん
世界の隅まで追い詰められているような気がしていた10代、20代―すべては壊れたのか?俺の見つめているものは変化したのか?―いくつかの変化はあった、そのうちのひとにぎりは好転ですらあったような気がする
なにを知ってる?なにをしている?不必要なものをずいぶん排除する事の出来た俺―排除した後の空白になにを埋めることもままならず
気がつけばまたしても明りを落としただけの夜だ、気がつけばまたしても死後硬直のようなぼんやりとした…本当の死や生は散漫さから抜け出す事は出来ないのか?詩を綴るものが言葉に頭を捻り出すのは…それが本当は自分に密接しているものなのかどうか確信が無いからだ、「雑然とした思考」に行間を空けることが出来るというのならやってみればいい―言葉は決してものわかりのいい代物なんかじゃない…それを鏡だとでも思っているのか?言葉は心を映す鏡だと(真実だって言いたいんだろう)
お前は言葉のなにを信じている?お前が言葉に預けてきたものはっ魔号ことなきお前自身だと?言葉に出来る事なんか何も無いよ、言葉に出来る事なんか何も無いぜ…お前が信じている物事の真意はセンチメンタリズムさ…それはただのセンチメンタリズムなんだ―言葉に何かが出来るなんて考えない方がいい、ただただ連ねるだけでなければそれは不純ってことだ
信じる信じないって、そんな文脈のなかでないと汚れてしまいそうで不安なんだろう
信じることは不純さ―信じないことだってそうなんだ
どちらかを否定する事はもう一方を否定するということだから
聖職者にしか詩は綴れないわけじゃない…綴りながら人間を切り刻むやつだって確かに居るだろう―清らかなら文学で穢れていればアヴァンギャルドか?甘ったれたこと言ってんじゃない…どちらか一方だけでは成り立たないからそれは詩というんだ―ベラドンナだっけな、死して二百年、腐敗せずにいるシスター…
本当の清純なんてそんなところにしかありえないのではあるまいか?
だがそれは片方のみに限ってのことだ、すなわちこの詩とはあまり関係が無い、そう、清純の定義に丁度いいんじゃないかって…そう思っただけのことさ
美辞麗句を並べることを恐れちゃいけない、呪われるような穢れた言葉を吐くこともまた恐れちゃいけない
それが出来なければ詩には何も語ることは出来ない
いま―ぼんやりとキーボードを叩いているみたいに…こんな風に言葉を綴るやり方を覚えてからは俺は心中にノイズを飼うことはあまりなくなった、それはそこそこに吐き出す事が出来るものであることをいつからか悟ったからだ
吐き出すのさ、吐き出すんだ、それは吐き出されなければならない
現代社会に住んでいるからって分別ばかりしちゃ何の確証も得ることは出来ないぜ―プリミティブな感覚にはそんなもの邪魔になるだけだ
俺は天井を見つめ―その、どうしようもなくのろのろと這う概念は俺自身の詩の中から生まれてきたものだということに気づく、それは排除する事が出来ない、それは塗り替える事が出来ない、それはきらびやかに飾る事が出来ない…生まれたものの形は変えることは出来ないさ、そうだろう?
愛憎とか、そんなものじゃない
認めるか認めないのか
きっと、それだけさ
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