120階の屋上から150階の空室の窓に荒縄を結んで気が狂った男が綱渡りをしている
彼の目は落ち窪みもはや世界を見るための確かな光はそこには無い
生まれてから40年近く繰り返してきた言葉たちも
綿毛のようにふわふわとどこかに飛んで行ってしまった
120階の屋上から150階の空室の窓に荒縄を結んで綱渡りをしているわけは
もしかしたらそいつらの背中をなんとか見つけようとしているのかもしれない
120階の屋上から150階の空室の窓に荒縄を結んで気が狂った男が綱渡りをしている
120階と150階の感覚はおよそ500メートル
その街のメインストリートの上にかけられた幅数センチのブリッジ
気が狂った男は昔怖いもののことをたくさん知っていた
怖れが自分を言葉に向かわせるのだと思っていた
怖れが自分の首筋に喰らいついて剥がれなくなったとき
自分が本当に書きたいものが書けるのだと思い込んでいた
怖れが自分の首筋に喰らいついたときに
あれこれと言葉を並べられるほど楽に呼吸が出来るものだと
信じて疑いもしていない時点でやつはどうしようもない馬鹿野郎なのだ
120階の屋上から150階の空室の窓に荒縄を結んで気が狂った男が綱渡りをしている
そこは地上から高過ぎるせいでしたにいるやつらは誰も男に気づくことはない
幸か不幸かその日は雨の前でまったく風が無い日だった
気が狂った男はまるでただの地面を歩くように構えることが無かった
自分がどこを歩いているのかさえ知っているかどうか疑問だった
男は年代物のラバーソウルを履いていた
そんなこと別にここで語ることじゃないけれど
120階と150階のあいだに張られた綱の上では地上の喧騒はわずかにも聞こえなかった
そのかわり何か種類の違う根本的な騒がしさとでもいうものがそこにはあった
いまにして思えばそれは静寂に過ぎる静寂であったのだろうと
後付けみたいに納得するしか地上の者には理解の仕様が無い
種類の違う根本的な騒がしさとでもいうものがそこにはあった
120階の屋上から150階の空室の窓に荒縄を結んで気が狂った男が綱渡りをしている、120階から150階へと張られた縄には当然のごとくにきつい角度がある
男はそれを信じてはいないみたいだ
子供でも制覇出来る丘を上るように歩みを進めていく
気が狂っているということがどういうことなのかよく判らない、でも
男を見ているとそれは様式を感じないということなのだろうかという気になってくる
感じないのか感じられないのか、また、それをどちらかに決めるのは必要なことなのだろうか
120階の屋上から150階の空室の窓に荒縄を結んで気が狂った男が綱渡りをしている、その男のなんにもなさは生まれて1000年も経っている樹木のように見えた
もはや枝を高くかざす必要さえ無くなった段階の樹木に
男はなんでもないことのようにずっと歩いていたが
傾斜のせいで歩幅はずっと狭いままだったので
歩いているうちに夜になった
(可哀相に、この男の命運もとうとう尽きてしまうのだ)俺はそう思って
その瞬間をせめて見ないでいようとカーテンを引いて眠りについた
次の日は何も予定の無い日だったので遅くまで眠っていた
目覚めたのは窓を叩く激しい雨の音のせいだった
顔を洗って服を着替え、窓のカーテンを開けた
男は雨に濡れながら中間辺りにしがみついて動かなかった
はじめは動けなくなっているのだと思った、けれど目を凝らして見ると
男はどうやらすやすやと眠っているらしかった
ガトリング・ガンの弾みたいな雨粒を浴びながら
ふかふかのベッドの上にいるみたいに安らかに眠っていた
重力によって亡き物にされるよだれがひとすじ口元から漏れた
やがて男は目覚めると雨で顔を洗い
昨日と同じ調子でまた歩き始めた
120階の屋上から150階の空室の窓に荒縄を結んで気が狂った男が綱渡りをしている
昨日と同じどんな苦労も感じられない静けさで
(俺には次第にそれはそいつがまともだからこそそうしていることが出来るのではないだろうかと思えはじめてきた)
もしも自分が銃を持っていたなら
当てられないと知りつつそいつに向けて引き金を引くだろう
120階の屋上から150階の空室の窓に荒縄を結んで気が狂った男が綱渡りをしている
そいつは俺の首筋にも正真正銘の怖れを喰らいつかせるみたいだ
俺は綱の上にいる男よりも怖れ乱れている
神様あの男を無事に150階へ届けてはいけない
何故だか俺はそれを強烈に感じて祈り始めた
その瞬間まで神を信じたことなどなかったのだけれど
120階の屋上から150階の空室の窓に荒縄を結んで気が狂った男が綱渡りをしている
朝から激しい雨が降り続いている
そいつはのんびりと歩きながらフラつきもしない
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