鬼無里 ~戦国期越後を中心とした史料的検討~

不識庵謙信を中心に戦国期越後長尾氏/上杉氏について一考します。

上条上杉美濃守を考える

2021-02-14 21:44:17 | 上条上杉氏
今回は、上条美濃守について検討してみたい。上条美濃守は『越後過去名簿』(*1、以下『名簿』)にその名が見える人物である。ただ、『名簿』以外では所見がなくその実名も不明である。


上条美濃守に関する『名簿』の記載は以下である。

「蘭室慈芳大禅定尼 越後鵜河上条上杉ミノノ守 御上サマ ウサミ平八郎トリツキ」


美濃守の妻の供養記録となる。

この供養の日付は記されていないが、取り次ぎの宇佐美平八郎は他の供養記録にも登場する。その時期は大永2年を上限、天文2年を下限とする。よって、上条上杉美濃守が活動した時期も大永年間から天文初期頃と見られる。

この宇佐美平八郎は「長福院トノ齢仙永寿大禅定門」すなわち、上杉安夜叉丸の供養も行っていることも記載されている。安夜叉丸は、上条上杉弾正少弼入道朴峰の実子で古志上条氏へ養子に入り早逝した存在である。

『名簿』における取次は供養された人物に関係の深い人物によってなされているから、美濃守妻と安夜叉丸が共に宇佐美平八郎を取次としている点は、美濃守と安夜叉丸に繋がりがあることを感じさせる。具体的にいえば、美濃守もしくは供養された本人である妻が、安夜叉丸と同様に朴峰系上条氏出身である可能性があろう。

『名簿』にはその系統として「鵜河上条上杉」と記されている。前回朴峰について検討し、琵琶嶋を拠点とする上条上杉氏で、その系統が琵琶嶋上杉氏と呼称されるようになったとの仮説を立てた。琵琶嶋は鵜河庄に位置し、矛盾しない。

ただ、上条の地も鵜河庄であるから上条を本拠とする系統の可能性も否定できない。この場合は、上条定憲らの血縁ということになる。


以上、上条美濃守は大永から天文頃に活動し、自身もしくは妻が朴峰系上条氏出身であった可能性を考察した。朴峰が長尾為景の舅であることを踏まえると、美濃守も為景に親しい関係であったことも類推される。『名簿』における美濃守妻の記載が上杉定実の供養記録に続いて全体で二番目であることも、それを示唆するかもしれない。

ただ、情報量は少なく推測の域を出ないことは否めない。上条美濃守に関して、現時点での私なりの推論を仮説として提示しておきたい。


*1)山本隆志氏「高野山清浄心院『越後過去名簿』(写本)」(『新潟県立歴史博物館研究紀要』第9号)


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