長尾小四郎景直は永禄期から天正期にかけて所見され、諸史料から上杉謙信に血縁者として重用されていることがわかっている。前回までに、景直が長尾景信の子であり、上杉信虎、長尾景満の弟であることを示している。
今回は、景直について簡単にその動向を整理したい。
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まず、『越後長尾殿之次第』から、景信の三子である。母は為景の娘と推定される「秀林永種」である。これらの点は、以前の検討で確認した所である。
元亀2年長尾景直書状(*1)、元亀3年長尾景直・鰺坂長実連署状(*2)から「小四郎景直」を名乗ったことが確実である。
[史料1]『先祖由緒帳』「歌川加右衛門由緒」
祖父歌川新左衛門、本来関東かなすきと申所之城ニ居申候、氏直江出仕申候、其後 謙信様関東御手ニ入申、越後江御供仕参候、 謙信様御遠行被遊、 宗心様御代ニ罷成候而、長尾小四郎頼景と申、 宗心様甥子様ニ御座候、越中四郡被進候時分、牛喜と申者と歌川両人頼景様江御添被成、越中四郡之奉行被 仰付砌、長尾之御幕之御紋被下置候而、越中江被遣候由申伝候、頼景御逆心故なきものに被為成候故、越後江罷帰候而、蔵王郡、石地、名立三ヶ所之御知行被下置、槍十丁之御軍役仕罷在候、其後年寄申付而隠居仕候、
[史料1]は米沢藩作の『先祖由緒帳』に載る歌川加右衛門の先祖由緒である。『先祖由緒帳』は延宝5年の成立であり、戦国期の所伝として貴重なものが多い。人物や年代に多少の誤差はあるが、概ね事実であると捉えられる。[史料1]には「長尾小四郎頼景」という人物の所伝が含まれ、これは景直を表わしている。
「長尾小四郎」が「宗心様(=上杉景勝)甥子様」であるという点は景勝の年齢から不自然であり、景直が謙信の甥である、の誤りであろう。すると景直母=景信妻は謙信の姉妹であるから、前回までの検討結果と整合性が取れる。
『越後過去名簿』より天文23年11月に景直が母「秀林永種」を供養しており、これが景直の活動の初見ということになる。この記録と父景信、兄上杉信虎らの活動時期からみて、景直の元服は天文20年前後といえる。
同記録において、景直は「春日山長尾御屋敷小四郎殿」記されており、その系統が御屋敷長尾氏として認知されていたことをうかがわせる。
永禄初期には、長尾藤景との姻戚関係を示唆する文書が残る(*3)。「とをとう殿と小四郎えんかの事」とあり、片桐昭彦氏(*4)は「長尾藤景と長尾小四郎との間で婚姻あるいは養子縁組を結ぶように指示している」と解釈している。
さらに、越中椎名康胤の養子となったことが永禄7年上杉輝虎願文(*5)の「椎名事、亡父以来申合与云、長尾小四郎養子成之云」という一文から分かっている。『越後長尾殿之次第』も景直を「椎名殿」と伝える。この椎名氏の継承と関連して、景直の活動は北陸が中心である。
天正7年6月上杉景勝判物(*6)において「長尾小四郎一跡」が本庄顕長に与えられているから、その時点までに越後から没落したことがわかる。[史料1]にて言及されている景直の「逆心」とはこのことだろう。また、この文書(*6)から越後における景直の所領に頸城郡名立が含まれていたことが確実である。
天正6年10月には越中で上杉方として織田軍と交戦しており(*7)、その敗北を受けて織田氏へ帰属したと考えられる。
天正6年頃は越後において御館の乱が勃発していたが、景直は越中において行動していたため、上杉家中の対立よりも織田氏からの圧迫が離反の直接的理由と推測される。
同様に越中で活動していた河田長親(禅忠)も御館の乱への関与は消極的であったから、越中で活動し、そこに経済基盤=所領を持っていた武将たちにとっては、越後における跡目争いよりも越中への織田氏の攻撃が喫緊の課題であったことがわかる。
つまり、織田氏への帰属は景直が上杉氏に対して主体的な敵対意思があったというよりも、自身の越中における権益確保が目的であろう。
天正9年9月には織田氏家臣柴田勝家から「椎名小四郎」=景直へ書状(*8)が出されており、織田氏勢力下での活動が確認される。これが終見文書である。
以上、長尾景直について簡単に検討した。
関連文書
年不詳(永禄初期カ)某条書(新3280)
年不詳(永禄初期カ)某条書(新3279)
永禄3年8月25日長尾小四郎他四名宛長尾景虎掟書(新3274)
永禄7年6月24日上杉輝虎願文(新2815など)
元亀2年4月23日上村庄右衛門尉宛長尾景直書状(越5-77)
元亀3年5月24日山吉豊守宛長尾景直・鰺坂長実連署状(越5-115)
年不詳9月24日河田窓隣軒他一名宛上杉謙信書状(越5-357)
天正6年10月11日齋藤新五郎宛織田信長書状(越5-607)
天正7年6月1日本庄新六郎宛上杉景勝判物(越5-703)
天正9年9月6日神保越中守宛柴田勝家書状(越6-74)
天正9年9月6日椎名小四郎宛柴田勝家書状(越6-74)
新:『新潟県史』、越:『越佐史料』
*1) 『越佐史料』五巻、77頁
*2) 同上、115頁
*3) 『新潟県史』資料編5、3280号
*4)片桐昭彦氏 「長尾景虎(上杉輝虎)の権力確立と発給文書」(『戦国期発給文書の研究』)
*5) 『新潟県史』資料編5、2815号
*6) 『越佐史料』五巻、703頁
*7) 同上、607頁
*8)『越佐史料』六巻、74頁
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