イチゴロー’s Memorandum

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宣教師殺害を考える

2019-01-14 19:33:01 | 日記
昨年11月のことなのでやや旧聞になりますが、インドの東方に位置するアンダマン・ニコバル諸島(ミャンマーの方がはるかに近い)の北センチネル島でアメリカ人の宣教師が殺害される事件がありました。あまり大きなニュースにはならなかったのですが、この北センチネル島はインド政府が上陸はおろか接近さえ禁じている島なのです。
なぜ、接近禁止の島なのか?
この島に住む「センチネル族」を保護するためだそうで、数千年もの間、他の民族と交流がないとのことです。ですから言語も他の民族と全く違うそうです。当然のことながら病気に対する抗体も少ないので、外部から病気が持ち込まれると全滅する恐れもあるそうです。また、外部との接触を嫌い、警戒心が強く攻撃的だそうです。スマトラ島沖地震の際に救援物資を輸送しようとしたヘリコプターに対しても弓で攻撃するほどだそうです。
インド政府も上記のこともあり1990年台半ばにはセンチネル人との接触をやめ、島自体を接近禁止にし保護地帯にしたとのことです。いわば一種の治外法権のようなものです。当たり前ですが、我々の考えは通用しませんし法律さえ通用しないでしょうね。

では、アメリカ人宣教師は何をしに行ったのか?
キリスト教の布教なのか、冒険なのか。宣教師の家族は冒険家だと証言しているようです。が、インドの法律を犯してまで行く必要があったのか?大変疑問です。

キリスト教の宣教師というのは古くは侵略のための尖兵だったとも言われています。事実、宣教師の報告には相手国の軍事力まで含まれていたそうです。日本にも戦国時代あたりからオランダ人などの宣教師が訪れてキリスト教の布教を試みていますが、成功したとは言えません。
キリスト教やイスラム教などが一神教なのに対して、日本は色々なものに神様が宿っているという信仰が中心になっています。
現在の日本ではキリスト教徒、イスラム教徒、仏教徒などが衝突もせずに一つの国に同居しています。おそらく非常に珍しいことだと思います。
歴史の教科書で十字軍遠征の話があります。一見すると十字軍側が正義のようにも見えますが、身勝手な理屈をこじつけたこ宗教対立にしか過ぎません。今も続くキリスト教とイスラム教の対立です。一番厄介な対立です。相手の神を否定して、相手を殺し合うのですから…

真相はわかりませんが、外部からの接触に攻撃的な民族に接触しようとして殺害されたことは間違いないでしょう。何かを持ち帰れば英雄かもしれませんが、非難轟々となることも間違いないでしょう。
遺体の回収ですが、インド政府が接近を禁止しており、尚且つ、センチネル族が攻撃的であるからには、宣教師の遺体の回収は不可能と言っていいでしょう。

センチネル族に対して我々が介入して文明化するなんぞは余計なお節介でしかありませんし、大きなお世話ではないでしょうか。
彼らのことは彼らに任せてそっとしておくのがベストと言えると思います。

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