ここ数日、中3生の進路の件で本人と親御さんとの意見の違いで、ドタバタがありそうな感じで来ています・・・
親御さま方は、「大学へ行くべきや~」とか、「私立なんて行かせられない~」とか言っています。こどもたちは、親の言いなりにはならない!と言っています。・・・
こどもたちには、それなりにしたい事があったりどうしても公立へは行きたくない事情があるのです。・・・
大学へ誰もかれも行く事がその子にとって正解とは言えません。また、行かない事も正解とは言えません。将来の事など、だれも分からないのですから今は、本人のしたい通りに進学させればいいと思うのです。昔はどうあれ、これからの人生で大学へ行っても何らかのメリットが見いだせれば良いですが、何の夢も希望もなくただ単に体裁や将来性だけで考えていては、どうなる事やら分からないご時世です。大卒で派遣社員なんていうのが今や普通になりつつあります。また、せっかく入った企業でも終身雇用はありえない。大卒で何らかの技術や資格などがあればまだ企業に入れても何とかなるかもしれないです。また更に、先ごろの政府の改革論でも企業が自由に解雇できる法案を通すような話も出ていました。という事は、ある程度「つぶし」がきかないとその後は路頭に迷うのです。・・・
今は、出来るだけ個人のスキルアップが必須です。そういう事をなんの考えもなく、ただやみくもにしようとしても、出来るはずがないのです。・・・
それならば、今やりたい事、学びたい事を学んで、次の道へ進んで行く方がよっぽど先の人生に有効に働くと思います。・・・
未だに昔の、そういう伝説を信じている方が多い。・・・
「えっ?それならば塾に通わせる意味が無い」・・・
と言う方ももちろんいます。大学へ行かせるための、その前哨戦の高校入試を合格させるための塾が必要なら、そういう請負塾へ行かせれば良いのです。本人がそういう気持ちではないのに、うちとしては続けてやらせる意味もない。本人が行きたい所へ行かせるための我々のバックアップです。・・・
親の為の教室ではありません。・・・
こどもたちがそこへ行きたいと言う事が前提条件です。・・・
また、何らかの具体的な目的がある訳ではないが、私立へ行く。公立高校へは行きたくない。という生徒もいます。親としては、入学金が高い私立よりも公立へ行ってほしい。という事も分からない訳ではない。しかし、それなりにちゃんとした理由があります。それを聞かずに単なるわがままととらえてバトルを繰り広げて、ますます本当の話が出来ない状態にもなっているようです。・・・
ほとんどの親御さん方は、私が今まで見て来た中で、どうしても私立へ行きたい。と言う場合、政府金融公庫でお金を借りたり、学校指定の学生基金で用立てしたりして、なんとかしてでも言う通りにしています。それがやはりその子の希望なら、叶えて上げたいと言う親心です。・・・
女子生徒などは、高校を制服の可愛さで決めたりします。それもありですよ。・・・
「勉強するのに、そういう事は不純だ」とか言う方もいますが、そういう考えは古いのです。・・・
それよりも、今までに、勉強はなぜするのかを具体的に教えてこなかった親の責任です。・・・
大学へ行かせる為?だけ?・・・
親の都合でやりたい事、行きたい高校へ行かせない?・・・
こどもたちを犠牲にするのはやめましょう。・・・
ほんとうにわがままなのでしょうか?・・・
大学は、国公立でお安く上げてほしい。高校も同じ。・・・
真剣にしたい事があり、そこに特化している高校、大学へ行きたいと願う子のどこがわがままでしょうか?・・・
進学すると言うのは、本来やりたい事をしっかり吸収する事ではないのでしょうか?・・・
親の都合や希望や、見せかけの子供のため思考は、もう止めませんか?そうしないと、ますます就職がうまく行きませんし、少子化も止まらない。(全てが原因ではないが、一長一短はある)・・・
お金の問題があるのなら、尚更本人の自己責任で進めるべきです。・・・
将来うまく行かない事は当然あり得ます。たとえスムーズに高校大学就職とうまく行っても、必ず何らかの問題やアクシデントがあります。その時に、親がしっかり支えてあげられるように準備しておく事の方がよっぽどこどもたちのためです。なにもそこそこのレールを曳く事がその子の為ではない。それは、押し付けでしかない事を分かってあげてほしいのです。・・・
自己責任で、したい事学びたい事を学び、その上で失敗してもすぐに別の道が現れます。本人もしっかり自覚出来ているでしょうし、そういう子は強いです。・・・
前もってお膳立てなど、それこそ甘やかしです。過保護ですね。最後には何も出来なくなり、大の大人が親のすねをかじり続けて、世帯をもたない。親も自分の孫の顔すら見れずに死んでいくのです。・・・
大げさ?・・・
いいえ、これが事実なのです。・・・
本人の人権と人格を認め、責任を持たせて来ていないからそうなるのです。・・・
これがやりたい!と言うなら、その事を信じて認められる親でありたいと思います。・・・
明日に、期待!・・・