今日は、ふと昔を思い出したので、・・・
今から、35年前の話。・・・私が中学一年生の頃。・・・
おとんは、長年の夢である、「身延山、久遠寺」へのお参りを、計画していた。・・・
元はと言えば、私のお爺(おとんの父)が、身延山の七面山で修行したことから始まったのである。・・・
お爺は、当時、たまたま川の岸辺に立ち、たまたま流れて来た「日蓮」の木像を手に取り、修行をする事になる。その間のいきさつは良く知らないので省くが、自分の妻(お婆)や子供たちをほったらかしにして、七面山へ向かったらしい。・・・
七面山での修業は、並大抵ではなく、荒行であると聞いている。・・・その修行により、たくさんの人を救ったとかどうとか(おとんの姉・伯母さんより)・・・
お爺は、おとんが小さいときに病気か何かでなくなっている。だから、まったくおとんは、自分の父親の姿を知らないのだ。・・・
おとんは、いつか必ず、お爺がいたであろう、その修行場に行き、お爺が観て、感じたであろう自然や空気を、共有しようと思っていたのかもしれない。・・・何年も前からずっと・・・
そして、おとんは決意した。・・・私がお供でついて行く。・・・
夏のお盆休みを利用して行く事になった。・・・
家を出て、バスに乗り、南海の市駅から難波、地下鉄に乗り、大阪駅、新大阪駅、駅で駅員さんに聞きながら、新幹線の切符と特急券を買う。・・・「身延まで行きたいんや~」と、駅員さんに何度も聞き、「富士で降りて、身延線に乗って下さい。終着駅です」・・・「サンキュー!」おとんのあいさつ。定番です。・・・この頃は、今より電車の速度も遅かったから、新大阪まで3時間くらいかかっている。今なら、1時間半。・・・
新幹線に乗った。・・・おとんも私も初めてだった。・・・しかも自由席・・・座れる座席がなく、連結部で座っていた。・・・その時の記憶が曖昧だ。暑くてくらくらしてたし、たぶん二人とも寝てたからだ。・・・富士に着いて、乗り換え。しかも、ホームを間違えて、走る、走る。・・・
ようやく身延線に乗った。・・・今は走っていないが、昔のストーブ列車。真夏なのでさすがにストーブはついていないが、エアコンはなく、窓が開いていた。・・・それにしても暑い。・・・
汗が流れて、頭がボーっとして、長旅で疲れていた。・・・一駅づつ止まる、鈍行列車。・・・山間の富士川沿いをゆっくりと奥の方へ進んで行く。ほとんど景色は変わらない。・・・当時の記憶では、富士山が見えなかったが、この前私が三男と行った時には、どでかい富士山が良く見えた。当時からすれば線路が変わったのかもしれない。・・・
何だか、数えきれないほどの駅に停車し、永遠につかないような気さもしてきた。・・・お爺は、こんなに奥地へ行き、人知れず修行したと言うのか?・・・それにしても、日は傾き、もう夕方だ。今日泊まる所は、予約してない。おとんは、行き当たりばったり、何とかなるだろう精神だ。そうして、戦後の混乱を乗り越えてきた。・・・そして、おとんは、寝ていた。・・・
ようやく、終着駅「身延」に着き、やはり駅員さんに聞き、タクシーで参道まで着いた。・・・周りは、すっかり夕方になっていた。・・・今から参拝は無理なので、泊まる所を探す事にした。・・・「旅館くらい、どこにでもある。」おとんは、そう言っていたが、このお寺の周辺には、一軒だけ旅館がある。「田中屋旅館」・・・そこに行って聞いてみた。すると、「今は、盂蘭盆会なので、従業員が田舎へ帰っていて、予約客だけなんですよ。お生憎ですが~」・・・なるほど、仕方なく、おとんは、タクシーに乗り話を聞いた。「泊まれるとこ、無いかな」・・・タクシーの運ちゃんが、「いや~、この辺じゃないですよ~、宿坊がありますが、何処もいっぱいですよ~。予約してなかったの?」・・・おとんの顔に焦りが見えだした。・・・「どっか無いかな!布団部屋でもええんやけど~」・・・タクシーの運ちゃんが、「宿坊で聞いてみようか?断られるかも知らんが~」・・・早速、宿坊にあたる。・・・数軒回ったが、何処もいっぱいだ。さっき、旅館で聞いたように、盂蘭盆会なので、シーズンオフなのだ。だから、あちこちの旅館が閉まっているか、一部の予約者だけの営業なので、宿坊が満員になっている。・・・
身延山・久遠寺の門前に近い、その宿坊で、相部屋なら良いですよと言ってくれた。・・・我々にしてみれば、ありがたい事だ。ただ、夕飯は終わっているので出ませんが、朝飯は段取りできますという事だった。・・・タクシーの運ちゃんに、少し多めに代金を払い、その宿坊で世話になる事になった。・・・部屋に案内された。大部屋を仕切り、6畳あるか無いかの部屋だったが、我々にとっては申し分なかった。隣では、テレビの音がしてたが・・・それから、公衆電話を借りて、お母んに電話した。・・・「いやぁ~、泊まるとこなかったんで、往生したでぇ~」・・・私が電話に出て、お母んの懐かしい声に、泣いてしまった。本心は、不安で一杯だったのだ。ただ、もう中学生だから、ぐっと我慢していたが、お母んの声で緩んでしまった。・・・その後、参道の食堂で、夕飯を食べた。・・・私は、定番の「たまご丼」・・・これが、大好物なのだ。どこに行っても、これを食べる。・・・
それから宿坊に帰り、風呂に入り、寝た。・・・隣の部屋のイビキがうるさくて眠れなかった。更に、おとんのイビキがコラボして、更に眠れなくなった。・・・
早朝、宿坊のおつとめがあるようで、読経の声と音で目が覚めた。ほとんど寝ていない。・・・すぐさま起きて、久遠寺へ行こうとして表に出た。・・・通りで、とんでもなく大きな荷物を背負おうとしている人がいて、見かねて手伝った。彼は、歩いて旅をしているようで、山登りしているらしかった。・・・おとんが聞く「修行か?」・・・お爺の面影を重ねたのかもしれない。・・・宿坊に戻り、朝食を食べた。精進料理。・・・見た事のない物体が数本並んでいた。おとんに聞くと、「・・・・オクラ、やなぁ~」・・・おとんも初めて食うらしい。お坊さんが食するモノに間違いはないと言う信用から、思い切って食べてみた。まずくはない、むしろねばねばが、からだに効きそうだ。・・・昨日までの疲れがスッと引いて行く。・・・
宿坊で支払いをすませ、久遠寺の天空まで伸びる階段を、二人でゆっくりと、一段づつ登って行く。「お爺も、きっと上ったんやー」そう言いながら、どこまで続くか分からない大きな階段を上って行く。・・・本堂に着き、お参りをして、さらに上空の奥之院へロープーウェイで向かう。・・・上がるにつけ、雲が眼下に広がって行く。アナウンスが流れる。「親が子を思い、子が親を思う~」・・・日蓮がここに庵を構えた理由が話される。ここから、千葉の安房の父母に毎日祈りをささげたらしい。・・・
奥之院では、霧が立ち込め、真夏だと言うのにひんやりしていた。・・・土産物屋はない。あるのは、日蓮の庵跡と、念珠やパンフレットを販売する小さな案内所だけ、しかも蛍光灯一つだけ。・・・現在では、そこにはお土産屋さんや、食堂がある。・・・奥之院にお参りし、下山した。・・・
それから、富士山の五合目へバスで行き、河口湖の旅館に泊まった。(今回は、空いてた。)・・・
そして、帰路に着いた。・・・
その後、何回か、おとんと身延詣でを行った。・・・必ず、富士山へ行く。・・・
何時しか、私も就職し、一緒には行けなくなったが、年に一回必ず、おとんは出かけた。・・・いつだったか、毎年出かける事に腹を立てた母親と喧嘩し、日帰りなら良いだろうと、弾丸ツアーを敢行して、その日の真夜中に帰って来たことがあった。・・・
おみやげは、必ず、「みのぶ饅頭」・・・
おとんのお骨を分骨し、納めているので、私もそろそろ、行かないといけない。・・・
必ず、いつか、もう一度。・・・
明日に、期待!・・・
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