今日は、何処からも連絡がなく、静かな一日です。・・・
例によって、「一畳の庭」に、水やりをしようと行くと、キアシナガバチの一家もとうとう、4匹くらいになっていました。・・・近いうちに、空き家になるかもしれません。・・・
相変わらず、朝顔が咲き続け、ふうせん蔓もポコポコとふうせんを作っています。・・・
黄色いのが、セイタカアワダチソウ。・・・これは、せいぜい50ほど、反対側の三男の部屋の前は、2m近くの草が数十本。近いうちに整理しないといけませんが、その内にやります。枯れて行くのを待ってから~・・・
数日前から、鳥の鳴き声が近くで聞こえていましたが、まさかこの庭までは来ていないと思っていました。今日やけに大きな声がするので、そーっと、のぞいてみたら、セキレイが6羽、庭の周りを「ピー、ピー」と囀りながら行ったり来たりしています。どうやら、金網の仕切りの向こう側へ朝顔やふうせん蔓や、その他の野草の種が、大量に落ちているので、それを目当てに来ているようです。羽をパタパタさせると、真っ白い毛が鮮やかで、黒と白のバランスがきれいで、長い尾っぽがかわいいです。・・・「ピピッ、ピピッ」と空中で上下しながら飛んでいきます。・・・
それでも思うのだが、最近はあまりスズメを見かけない。・・・嫁さんに寄れば、「スズメは、早起き!昼まで寝てる人には見れません!(きっぱり)」言われたことがあった。・・・そうかもしれない、嫁さんは6時前に家を出ますから、言う事は正しいのでしょう。・・・
でも、チュンチュン言ってたら気付くはずだがな~。・・・それとも、今までろくな食料がないこの庭には、来なかっただけなのかもしれない。・・・
また、人間が出したごみや落とした食べ物が豊富だから、今更、山の天然ものなどには、見向きもしないのだろうか。・・・スズメは、雑食だし。(肉は食いません)・・・
何にしろ、今まで気付かなかったのかもしれないが、この庭に寄りついてくれることは、嬉しいのだ。新たな、草木の種も落としてくれるし、そうなると来年の春が楽しみになる。・・・
これから忙しくなるが、この庭の事も含めて、生活やこころに余裕を持って生きて行かないと、過去にもあったように、自分のこころさせも見失って、更に家族も見失うことになりかねない。・・・そして、そう成らない為にも「独立」は有効なのだ。・・・状況をみて、家の事が出来る。・・・
確かに、商売を始めたら、それに没頭するだろう。しかし、以前の会社での仕事のように、家庭も顧みず、また、丸一日拘束状態にしてしまう事は、避けたい。・・・馬車馬状態で生きられるのは、あくまで従業員、一社員であったからで、今後は自分が経営者だから、広く深く世間を見て、情報を収集し、仲間を増やしていかないといけない。そうしないと、事業も発展しないからだ。・・・家族と話せない、家族が何をしているかさえ知らない、何で悩み、何で喜んで、先でどうしたいとか、知っておかないといけない。また、それらを共有できるこころでいないと、オーナーは務まらない。家族の協力が無ければ、独立など出来る訳がないのだ。・・・
かつて、あくせく働いていた時、二年に一度の社員旅行が楽しみだった。・・・
北海道や九州、三重、京都、奈良、北陸、四国、ハワイ、オーストラリア・・・社員の中には、観光地さえも会社の集団行動は、勘弁してほしいというものもいたが、私はとっても楽しみだった。・・・一度だけ、旅行の幹事を任せて貰った事もある。旅館の幹事部屋には、特別にウイスキーなどの差し入れがあったりする。ただ、緊張しっぱなしで、全員に何を話したのか、どう先導したのかはっきり覚えていない。終わってから、「お疲れさん、無事何も起こらなくてよかったね」と、総務の「偉いサン」に言われた時は、感無量で泣いてしまった。・・・
その社員旅行の中で、必ずいつかそこにもう一度、行きたい所がある。・・・
以前にも話が出て来た、「北こぶし」。・・・知床の自然遺産をもっと知りたかったし、もっと感じたかった。あの時は霧がきつくて、「半島を船で周って自然遺産を満喫しようクルーズ!ツアー!」(仮題)がキャンセルになった。小型望遠鏡も持って期待していたのだが、無駄に終わった。自然の大鷲や熊やカモシカ、見た事のない野鳥などの動物を見てみたかったのだ。・・・そして、あのスナックで(バックナンバー6月・スターライトより)心のなかで誓ったのは、「独立して、必ずここへまた来る」だった。・・・
そして、そろそろ、私のお爺が修行し、おとんのお骨を納めた「身延山久遠寺」へも行かないといけない。・・・
おとんが死んでから、お骨を分骨し、一つは現お墓へ入れ、もう一つは「身延」へ納骨するつもりでいた。(バックナンバー5月・はじまりは・・・そしてはじまった・・・参照)・・・
しかし、なかなか機会がなく、当然簡単には会社を休める事も出来ず、また当時の数年前に、それまで所属長の肩書があったが、家庭的事情により外して貰ったから、自分だけの都合ではどうしようもないようになってしまっていた。・・・機会を伺いながら、いつかは所属長に戻れるだろうと、そうしたら段取りして行く事を考えようと、甘く考えていた。一年経ち、二年経ち、七回忌の法要が差し迫ったある日に、お母んから電話で、「いつになったら、持って行くねん!」と、催促があった。・・・確かに何時までも放っておけないし、かと言って所属長に戻れる可能性はゼロになって来た。当時の会社では、40歳前後を主流としてそれより若手での経営にシフトしていたからだ。要は、オジンは経費が掛かる上、無理がきかないから・・・
所属長がだめなら、自由に家の事を考えて行動できるようにしないといけない。・・・いつかは、会社を辞めて独立し、その時に心機一転お参りもかねて、お骨を納めに行こうとも考えていた。だが、お母んが急いで来たから、だめ元で当時の所長にお願いしてみようと・・・快諾してくれて、そして三男との二人旅で納骨したのだ。・・・手を合わせ、必ずまた来るからと・・・
その年の暮れに会社を退職し、色々あったが今に至る。(バックナンバー1月~)・・・
その当時考えていたように、落ち着いたら必ずお参りに行きたい。・・・知床半島も・・・
だから、いくら商売と言えど、人生の中で重要な事は確実にやらないといけない。・・・
自分に約束した事も守れないようなら、他人に対しても守れまい!・・・そう思う。・・・
必ず、事業を軌道に乗せ、お金を貯めて、自分との約束を守る。・・・
それまで、待っててね、おとん!・・・
それまで、元気でね、知床の動物たち!・・・
頑張るぞー!・・・
明日に、期待!
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