今日のニュースで、京大の学食の「ぼっち席」が人気らしい。・・・
以前から、学食などで一人で食事が出来ずに、トイレに入って個室で済ませる学生が比較的多いとか言う話を聞いていました。・・・
6~7人がけのテーブルに、ひとりでついて食べている様が、いかにも友達がいなさそうという感じを受けるからだそうです。人の目を気にするのですね。なんとなく理解できます。・・・
私も去年までは、近くのなか卯で食事をしていましたが、どうしても気を使ってしまいます。周りの視線もそうだが、食事の仕方などもきっちりしておかないといけないという脅迫観念が働きます。ましてや、生徒の親御さま方に遭うかもしれませんし、そうなれば尚更です。行儀の悪い事はできません。・・・(その割には、カレーとうどんを注文して左手でスプーン、右手で箸を持って食べていましたが)・・・
学生たちは、更に写真を撮られてSNSで全世界に発信されても困りモノ。・・・
昔ならば、学校の食堂などは、学生たちの会話や論議や、意見の交換場所的な雰囲気もあり、またそうあるべきだという事で大きなテーブルが設置されていたのでしょうが、今はそういう雰囲気ではなく単に食事を済ませるところなのでしょうね。・・・
食事をする時位、気兼ねなく食べたいという事ですな。・・・
そこで、テーブルに衝立を設置して対応したら、人気が出て来たという事です。・・・
それが「ぼっち席」(一人ぼっちのための席?)・・・
おひとり様専用のテーブルという事でしょう。・・・
うちの教室でもそうです。自習コーナーの各机には衝立をつけています。友人同士でやる時は、二人掛けのテーブルもあります。これが結構人気です。・・・
集中出来るそうです。たった一枚の薄い衝立でも、あるのと無いのとでは集中力が違いますね。それは、日本人的な所があるのですな。・・・
日本の昔の和風旅館などやお寺の近くにある宿坊などでは、お客さんが一気に押し寄せる時期があり、そういう時は一つの部屋を共有するという事もありました。(今は無いが)・・・
部屋の真ん中に衝立を立てて、それぞれ部屋を真ん中で分け、二組みのお客さんを向かえる方法。僅かな薄い衝立があるだけで、空間が分かれて気を遣う事が半減する。そもそも部屋と部屋の境目は障子やふすま一枚なので、その部屋を更に衝立で仕切るだけ。多少の音なども気にならなくなります。意外と落ち着くのです。不思議ですが、そういう文化でした。・・・
今のこどもたちにも、そういう感覚があるのかもしれません。元々、狭い暗い空間が落ち着くと言う本能もありますが(お母さんのおなかの中にいた記憶からです)・・・
もっと深く読んで行くと・・・
大学生になってもまだ乳離れ?が出来ていないという事か?その方が安全で落ち着く。臭くてもあえて、トイレの個室で食事をするという事も同じ感覚ではないのでしょうか?・・・
逆に私の場合は、ひとりで食事する事が普通で育ってきたせいで、家族と食事をしていても一切しゃべらないのです。反対に気を使ってしまう。けれど話せない。・・・
これもどうかと思うのです。我ながら、ヘンです。・・・
一人で食堂へも行きますが、余り混んでいない方が居心地が良いし、話しかけられない方が尚良い。だから、ひとりで居酒屋なんて行った事がないし、行こうともしない。一人でゆっくり自分と語りながら呑みたいのである。要は放っておいてほしいのです。・・・
この歳になると、もう男同士でウロウロするのもカッコ悪い。小学生ならいざ知らずです。・・・
だから、友達同士や同僚でお昼ご飯を一緒のテーブルで食べるという事が少々苦痛なのです。どうせなら、広いテーブルに自分一人の方がすこぶる良い!周りに人がいない方が良いのです。・・・
家族と一緒ならまだ家族がカバーしてくれるので助かります。(私はほとんどしゃべりませんが)・・・
最近困るというか、お母んを食事に連れて行く時です。最近はめっきりお母んも話さなくなったので、話題を出すのに一苦労なのです。アルコールでも入れば何とかなりますが、車の運転があるとそうもいきません。困るんです~、そんな自分が情けなく思うのです。・・・
あれこれ書きましたが、「ぼっち席」良いですね~。・・・
でも、たとえ一人でも広いテーブルを独り占めして、思いっきり大口を開けて食事できる人間に成った方が良いと思いますがね~。・・・
今日も何の話か分からなくなりました。・・・
学生よ、大志を抱け!・・・
明日に、期待!・・・