ikyoko
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小説 門
今日3月3日で、夏目漱石の「門」の連載が終わった。
105年ぶりに再連載したということで、文章の表現がとても難しく、そのためにひとつひとつの言い回しを考えながら読んだ。
幸い一日分の連載分は少ないので、そんな風に丁寧に読むことができたのは良かった。
最終回ということで、もう一度読み直してみた、というのは、どうしても気になる場面があって、その場面にはっとさせられたから。
「小康はかくして事を好まない」から「うん、しかしまたじき冬になるよ」までの文中のくだりの状況が、ぞくっと感じたから。
今でも、こういう結末になったのか、という思いで、考えてしまっている。
銭湯で会った「五十ばかりの頭を剃った男」とは、「安井」なのではないのか、、、答えがでないまま今も考えてしまう。
それから
夏目漱石の「それから」が終了。
毎日の楽しみが、ひとつ なくなった、、。
106年前の人となり や時代背景を、文章に見つけていくと、ワクワクした。
今自分がよく知っている地名・場所に、主人公 代助 が歩いていると、自分もそこにいるような気持ちになった。
106年たっても人間は変わりやしないんだ、そう思う。
代助の住んでいた神楽坂、三千代の住んでいた小石川の106年前はどんな風景だったんだろう、思いは馳せる、、。
こころ
100年ぶりに連載されたという夏目漱石の「こころ」が昨日終った。
今の世の中ではおそらく見向きもされないと思われる、淡々とした日常が描かれている。
なんか読み終えた達成感があってそれはどうしてなんだろうと考えているー。
終わりからの旅
第一次世界大戦で捕虜となって、アメリカの収容所から復員してサンドイッチチェーン店で成功した兄 と、新聞記者の弟は異母兄弟。
戦後の日本で生きていくふたりが、絶ちがたい初恋の想い・異母兄弟の葛藤。
戦後という時間の光と影を情感豊かに問い直している辻井喬の作。
大作なので飽きるのではないかと思いきや、一枚一枚のページが気がついたらほぼ半分にまでなっているんで自分でもびっくり。後半も一気に読むのが楽しみ。
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絵本 たなばたむかし
七夕さまの話には織姫とひこ星がよく知られているけれど、大川悦生/作 石倉欣二/絵「たなばたむかし」は、民謡の語り口で話の内容もとてもいいものなので紹介です。
持っている絵本が昭和54年5月発行のものなので30年たっても今もなお人気のあるもので、
楽天ブックス とかアマゾンとか 五つ星で、いろんな賞に輝いている。
天の川ができた訳と、七夕に雨が降りやすい理由をさりげなく描かれていて
手元においていつまでも大事にしたい絵本のひとつ。
あらすじ↓
ある日、いぬかいさんが見かけた水浴び中の天女。
いぬかいさんは思わず松の木にかかっていた羽衣を隠してしまいます。
天女のたなばたさんは仕方なくいぬかいさんのお嫁さんになります。
ある日、羽衣の隠し場所を知ったたなばたさんは・・・。
天の庭で再会したのものつかの間、
間違った方向に瓜を切ってしまったために
水があふれ出て・・・。
渡辺淳一 酔いどれ天使
短編4作「乳房切断」「酔い取れ天使」「ある心中の失敗」「脳死人間」
おもしろかったので、四つとも引き込まれるように読んだ。
「結」 の部分は四つとも同じで、関わった人との答えがないまま終わるのが特徴というか渡辺淳一の短編の書き方なのかなあ、、物足りなさは感ずるけれど。
「起承転」の部分はさすがだなあ~と思わせる。
興味のありそうな普通の日常の生活の文章に医学知識をうまく組み込んで、そして・そして・と読んでる人を惹きつけ、いつのまにか文字から離れないようになっている。
初期の作品ということなので、最近日経新聞に連載された晩年というか後期の作品と見比べてみるには、他にもいろいろ読んでみなければならないらしい。
杏子 を読んで
もうだいぶ前に買ってその時に読んで、最近になって往復約2時間の車中で読んで、引き込まれるようにその中に入り込んでいた。
解説から、
世界をどのように感じどのような姿勢でそこに生きるか、現実を確実・絶対的なものとして把握することの不可能を知っているふたり。錯覚し幻想しつつそれにひきずられながら生きざるを得ないことを意識している者たちが同行者を見つけ出し、生きることを試みようとする、、
とても奥深いむずかしいテーマが語られている。
もう一つまた違う人生を見て驚きのようなものに誘われた。