因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『ゲアリーズ・ハウス』

2008-02-24 | 舞台
*演劇企画集団 楽天団プロデュース公演 デボラ・オズワルド作 須藤鈴翻訳 和田喜夫演出 公式サイトはこちら 中野 スタジオあくとれ 26日まで
 昨年秋のリーディング公演『アメリカン・パイロット』を興味深くみたので、今回の公演もまったく予備知識はなかったがみに行くことを即決した。タイトルの『ゲアリーズ・ハウス』が何を指すのか、チラシを見ただけではわからなかったのだが、開幕してすぐに納得した。当日リーフレットによれば、「都会のシドニーから遠く離れた小さな町と、そこから更に車で数時間の丘陵地帯」が舞台になっており、ゲアリー(吉田テツタ)という男が家を建てようとしている場面から始まる。ゲアリーの家、『ゲアリーズ・ハウス』。そのものズバリである。

《ここから少し詳しい記述になります。未見の方はご注意くださいませ》

 ゲアリーは年の頃三十代半ばから後半だろうか。彼には年若い妻スー・アン(前薗幸子)がおり、もうじき初めての子供が生まれようとしている。彼は家族のための家をたった一人で建てようとしているのだ。そこを偶然訪れたデイブ(池田ヒトシ)は、愚直なまでに妻を愛するゲアリーと、子供っぽく粗野で心身の不安定なスー・アンの姿に驚きつつも、何か惹かれるところがあるのだろう、次第に親しくなる。しかしゲアリーが家を建てようとしている土地は、実は姉のクリスティン(明樹由佳)と共同名義であり、長年音信不通だった彼女が血相を変えて乗り込んでくる。

 小さな劇場にまさに作り始めたばかりの家があり、物語が進むにつれて窓枠がつき、壁ができ、次第に家らしくなっていく様子がおもしろい。大工仕事の演技が実に自然である。ゲアリーとクリスティンきょうだいは、幼いころ幾人もの里親に育てられた辛い経験があり、スー・アンもまた幸せとはいいかねる子供時代だったらしい。それだけに「家」は単に建物ではなく、安住の地、幸せの象徴なのだろう。

 開幕直後、「ぜんぜん翻訳劇らしくないな」と感じたのだが、みているうちにこれがオーストラリアの話であるとか、その国民性、日本との違いなどなどということがまったく気にならなくなった。血のつながった肉親が諍うことの悲しさ。赤の他人がどうした縁か、出会って共に暮らし始め、家族になることの不思議。水と油のようなもの同士が互いに激しく対立しながらも、どこかで繋がっていく。絶望したゲアリーが衝動的にとった行動は、前半の空気を重く沈ませる。いったいこの人たちはどうなるのか。どんなことがきっかけで相手を好きになるのかは、本人にも予想がつかないし、もしかするときっかけも理由もないのかもしれない。しかしこの物語の終幕は、「ああ、よかった!」と客席で安堵のためいきが出そうになるくらい幸福感に満ちたものとなった。人が繋がるのは、繋がりを取り戻すには時間がかかるのだ。ゲアリーズ・ハウス。ゲアリーの家に彼自身が暮らすことはないが、ゲアリーが願ったことは、彼が思いもよらないいくつもの実を結んだのだ。

 作品に関わった方々のたくさんの愛情が注がれていることが伝わってくる舞台だった。昨日からの強風が少し収まった夕刻、駅までの下り坂をゆったりと歩く。さっきまで過ごした空間が、心身に温かく確かな手応えを残していることを感じながら。

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