*萩原雄太作・演出 公式サイトはこちら 下北沢楽園 8日まで(1)
みごとなまでに何もない裸舞台に、5人の俳優が降り立つ。
あの日のひと月前、2011年2月10日の14時、新宿駅である。
3.11以来、未曽有の大災害に対して多くの劇作家が立ちすくみ、悩みながら自分の創作の姿勢を問い直す必要に迫られた。そこから生まれ出た作品は枚挙にいとまがなく、3.11が演劇の世界にも多大なる影響を与えたことを実感する。自身の苦悩そのものを舞台にした瀬戸山美咲の『ホットパーティクル』、混沌とした現在から近未来までを大胆に描いた中津留章仁の『黄色い叫び』や『背水の孤島』、いっぽうで震災の1年前をみつめた関根信一の『ハッピー・ジャーニー』も忘れがたい。
萩原雄太の舞台は前述のどれとも違う。震災直後の『プライマルスクリーム』には、正直なところ不完全燃焼の印象が残ったが、1年たってこちらも多少図太くなってきた(笑)。萩原のもつ一種の平熱感覚とでも言おうか、摸索する姿勢に対してきちんと対峙しようと、静かな喧嘩腰、平熱の闘志が湧いてくるのである。
上演台本(1000円/脚本付き前売券なら2400円のお値打ち価格)を開いてみると、平田オリザの同時多発会話も真っ青、台詞のタイミングなどが複数の記号で緻密に構成されており、そうとうな稽古の積み重ねがあったと想像する。
久しぶりに友だちと会うために2時間もかけて特急電車にのって新宿に来たというのに、ドタキャンされた。そのメールにどう返信するか。絵文字を使うか、どこで改行するかなどの小さな葛藤を鮮やかに台詞にする力、またある人物の台詞を、ほかの俳優がつぎつぎに代弁するかのような形式に目を見張った。
これが何を目指し、どのような演劇的効果を狙っているのかまではまだわからない。
しかし手法のための手法ではなく、3.11に翻弄されず作品のなかでどう位置づけるかという問題に対して、萩原雄太は独自の距離感を持っている。多くの劇作家が3.11によくも悪くも四苦八苦しているなかで、敢えてその1か月前に時制を設定したことがあざとく感じられないことは特筆すべきであろう。
終幕はさすがにこちらも疲れてきたのか(苦笑)集中がとぎれそうになり、とくに最後の最後の場面に対しては正直なところ困惑した。しかし何かを伝えようとしていることはわかる。劇作家が考えていることを実際の舞台でどう表現するか、俳優がそれにどう応えることができるか。変化の余地はまだまだあり、今後に期待できる。萩原雄太とその仲間たちの創作活動、演劇に対して、希望をもてるのだ。
逃げ場のない舞台で、照明も音響もなく一切を背負って劇空間を作り上げた5人の俳優(井黒英明、清水穂奈美、松原一郎、林弥生、横手慎太郎)の健闘を讃えたい。
萩原雄太はよい仲間を持っている。客席に媚びず、しかし頭でっかちにならず、信じる道を進まれたし。彼の劇世界は決して入りやすいものではなく、たやすく楽しさを得られるものではないが、目の前の舞台をどのように受けとめるかに対して、予備知識や妙なこだわり、自分勝手な思い込みが役に立たないことを思い知らされる。それがもはや爽快感を伴うのである。
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