因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

今日から夏休み

2008-08-14 | インポート
 今日から短い夏休みに入る。故郷に帰らない夏は何年ぶりだろう。近所の八百屋さんで「さっき切ったばっかり」の4/1カットの水瓜を買った。今年初めての水瓜、わしわしと食べよう。

 朝の連ドラの『瞳』(1)は新しい展開を見せ始めた。ダンスビートの東京予選に落ちた瞳たちはユニットを解散、プロからスカウトされたメンバーもいて、瞳(榮倉奈々)は虚脱感に襲われる。目標をなくし、周囲からも置いてきぼりにされたような感覚だろう。母(飯島直子)の誘いで瞳は1週間、母の働く化粧品会社でアルバイトをする。「なぜそんなに仕事を頑張れるのか」と問いかける瞳に、母は「周りからありがとうと言われること、誰に喜んでもらえるからだ」と答える。「好きっていうだけじゃ足りないな」とも。

 仕事とは何か、何のために働くのかを再び考える。自分の好きなことが仕事にできれば最高だが、それは非常に難しい。意に染まぬ仕事を続ける中で、どこにやりがいや喜びや誇りを見いだすか。このところ姜尚中の『悩む力』を何度も読み返す。著者は「人はなぜ働かなければならないのか」という問いに対して「他者からのアテンション」「他者へのアテンション」であると説く。ユニットメンバーの純子(満島ひかり)の兄から「ダンスなんかやってなんになるの?」と問われて、瞳は「ダンスってとにかく楽しいんですよ」と言い返す。気持ちはわかるが説得力がない。銀行員である兄はお金になること、それも高い利益を得られることしか認めない。こういう人にダンスの楽しさや、自分たちにとってダンスがどれだけ大切なものかを理解してもらうことは難しいと思う。だったらそんな人とはつきあわず、自分たちだけの楽しみを追求すればよいのか。

 ダンスでも絵画でも演劇でも、まずは「自分はこんなことを表現したい」から始まるが、自分で作って終わり、それで満足かというと、そこから「誰かに伝えたい」「どんなふうに伝わったかを知りたい」という気持ちが沸いてくる。手応えを得たいという思いである。

 夏休みのあいだ、芝居は1本だけである。先週までの観劇記事やえびす組劇場見聞録、因幡屋通信の原稿を控えている。舞台から発せられるものをしっかり受け止め、言葉にしたい。舞台を作る、劇評を書く、それを読んでくださる方の相互にアテンションがありますように。

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