因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団フライングステージ  第48回公演『Four Seasons 四季 2022』

2022-11-06 | 舞台
*関根信一作・演出 公式サイトはこちら 下北沢・OFF・OFF劇場 6日終了 (1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24) 
 フライングステージは今年創立30周年を迎える。今回の『Four Seasons 四季 2022』は、2003年初演の『Four Seasons 四季』に登場したゲイたちの2022年を描いた作品で、自分は初演を見ていないが、2005年にはじめて足を運んだフライングステージの公演が再演の『Four Seasons 四季 』で、「あのときのあの人にまた会えた」という懐かしさだけでなく、あっという間に過ぎた17年の年月を実感せずにはいられず、苦さを伴う観劇となった。50代ともなると、親世代の老いや死は「必須科目」のごとく襲いかかる。と同時に、自分自身がもう若くはないこと、自由に動けて、どうにか頭が働くのはあと何年かと人生を逆算し、不安と恐怖を覚えるのである。映画『PLAN75』(早川千絵脚本・監督)が提示するように、老人を安楽死へと誘導する社会は、もうすぐそばまで来ているのだ。

 東京の郊外であろうか。庭に実もならず、紅葉もしない大きな木があるアパート「メゾン・ラ・セゾン」は、大家の相庭弘毅(関根信一)はじめ、デパート勤務の清水太一(石関準)、不動産業の田口茂雄(岸本啓孝)などゲイばかりが暮らす。住人のひとりである平谷賢(中嶌聡)が亡くなり、仲間たちで見送ろうとするが、兄の剛(中嶌二役)が断固拒否する。常にゲイとして「どのように生きるか」が描かれてきた物語の先に、「どのように死ぬか」という大問題が否応なく立ちふさがる様相は、コメディタッチではあっても深刻である。コロナ禍が続く2022年を反映した設定なので、登場人物は皆マスクを付けたままで演技をしており、弘毅の甥で小児科医の渉(井手麻渡)が感染を警戒する台詞など、劇場にあってもなお、収束の出口の見えないパンデミックの最中であることが容赦なく示される。

 弟のセクシュアリティについて頑なであった兄が心を解いていく過程に、高校教師であった弟のかつての教え子(井手二役)が、兄を見て思わず、「先生ですか?」と呼びかける場面が印象深い。生きているうちに理解しあえなかった兄と弟を、次世代の青年が結びつけたのだ。中嶌は素朴で誠実な造形で兄と弟を自然に演じ継ぐ。一方でデパート勤務の太一には、2005年版で「太一さんって彼氏いないんですか?」と聞かれ、「どうして否定の疑問文なの!」と怒るやりとりを思わせる場面が今回もあり、石関準の当たり役であることを嬉しく確信した。

 弘毅がアパートをLBGTQの人々のシェルターにすると決意する辺り、この十数年でオープンになったとは言え、差別や偏見がなくなってはいない現実を反映しながらも、自分が自分らしく生きられる場所を探し、受け止めてくれる人を探していた彼らが、いつのまにか、いろいろな立場や事情を抱えた人がその人らしく呼吸できる場所を作り、さまざまな思いを受け止める側になっていることを示す。与えられることを欲しながら、より豊かに与える側に変容していたのだ。

 かつて自分は、「メゾン・ラ・セゾン」の人々が見つめる大きな木を客席から興味津々、こわごわと覗き見ていた。「あちらの世界」の存在であるとの意識だ。17年が経ち、舞台と客席の距離は歴然としてあるが(そのほうがよい)、「あちらの世界」に見えていた大きな木は、ずっと親しみやすく身近なものとなった。そして自分が木を見つめるのではなく、いつのまにか、木が自分を見つめていてくれたことに気づいたのである。
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